公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2019.07.16 (火) 印刷する

「専守防衛」の虚構に決別を 荒木和博(拓殖大学海外事情研究所教授)

 日本の安全保障の基本は「専守防衛」である。占領解除以来、言い方はともかく、こちらからは攻撃せず、相手からやられるときだけ、それを防ぐという国防方針は連綿と堅持されている。「米軍が矛」「自衛隊が盾」。つまり汚れ仕事はアメリカ任せで自らは「平和国家」を気取るという、文字通りの「矛盾」を政府も国会も国民も、真面目な顔をして70年近く続けてきたことは次の世代に嘲笑されるのではないか。
 安倍総理の方針からすれば、憲法改正でも自衛隊を憲法に「明記」するというだけだ。この「矛盾」については一切改善されない。逆に、現行憲法のままでも後述するように「芦田修正」による解釈の変更だけで専守防衛という虚構を葬り去ることは可能である。したがって本論は、今論議されている憲法改正がどうなろうと関係のない議論としてお読みいただきたい。

 ●米国の2倍の海岸線
 そもそも特定他国の軍事力が存在することを前提とした国防は「国」防ではない。同盟関係というのは、あくまで独立した国と国との関係であり、それぞれの事情によって当然変わりうる。トランプ米大統領が日米安保の片務性に言及したのは、どこまで深く考えてのことか分からないが、当たり前と言えば当たり前のことである。一部に「基地を提供しているのだから片務的ではない」という人もいるようだが、血を流すのと場所を貸すのとは全く別次元の問題である。
 敗戦後、今日まで続く北朝鮮工作員の密出入国、そして拉致をはじめとする様々な非合法活動に、わが国はほとんど拱手傍観に近い状況だった。日本の海岸線の長さは3万5000キロである。北方領土を抜いても3万4000キロ、米国の約2倍の長大な海岸線を「専守防衛」で守り切るのはほとんど不可能だ。さらに世界6位、約450万平方キロの領海・排他的経済水域には、どこにも塀を建てることはできないのである。
 近年、日本海側に北朝鮮の木造船が漂着しているが、生きた人間が乗っていた船も含めその大半は気がついたら日本の海岸に漂着していた。あのボロボロの木造船でも簡単に日本の海岸にたどり着けるという現実は直視しなければならない。

 ●工作員に侮られる日本
 特定失踪者問題調査会では、これまで全国で拉致や北朝鮮工作員の密出入国についての調査・検証を続けてきた。そして私たちは日本がいかに簡単に工作員の出入りを許してきたかを痛感してきた。元北朝鮮工作員は皆「日本に出入りするのはメシを食ってトイレに行く程度のこと」とか「工作員としての成績の悪いのが日本侵入に回される」と言っている。
 これは単に警察、海保、そして自衛隊の怠慢ですむことではない。今のままの構造では対応が不可能なのである。攻撃する側は場所を選べる。防御する側は守るべき距離・面積が広ければ広いほど幾何級数的に守りは困難になる。日本はその意味で決定的に脆弱なのだ。
 その脆弱性を補ってきたのが、米軍の存在である。米軍がいざというときは反撃してくれるから、日本は守られてきたのである。別の言い方をすれば他人の脅威を借りて専守防衛という虚構を支えてきたということだ。米軍自体も専守防衛、つまり守るだけの体制であれば自分たちすら守れないだろう。「米国に手出しをすれば何をされるか分からない(場合によっては手出しをしなくても何をされるか分からない)」という恐怖感が手出しをされない根源とも言える。
 もう一つ支えてきたものがあったとすれば、大分色あせてはいるが、かつての戦争で戦った日本軍の威光であろう。「あれだけ戦った国なのだから、今は専守防衛とか平和憲法とか言っているが、日本は怒らせたら何をするかわからない」という恐怖感が日本を守っているとも言える。いずれにしても「何をするか分からない」という威圧が国を守るのである。

 ●虚構からは足を洗おう
 占領解除後70年近く、米軍に用心棒をさせ、その代わり親分である米国の靴の裏をなめ、そしてそれをもって「平和国家」と糊塗してきたのが私たちの姿である。どんなに「日米同盟」とか「日米安保は東アジアの公共財」とかごまかしたところで、現実には日本は国民を拉致され、国土を蹂躙されてきた。日米同盟の方が安上がりという意見もあるが、膨大な「思いやり予算」を使い、イージスアショアをはじめとしてほとんど価値のない米国の武器を購入させられていることを考えたらそれすら怪しくなってくる。
 憲法9条2項の「前項の目的を達するため」、つまりいわゆる現行憲法制定時に挿入された「芦田修正」は国防のための軍事力を認めるものである。したがって憲法解釈の変更を閣議決定するだけで、この点はクリアできる。そして「国際紛争の解決のため」とされている1項の「武力による威嚇又は武力の行使」も、自衛のためであれば当然に認められることになる。というより、そもそも憲法にどう書いてあるかに関係なく、国家が自国の国民の生命財産、さらには歴史を守ることは自然の権利である。
 専守防衛という明らかな虚構と、それを改めようとしない怯懦、さらにはそれを「平和国家」という言葉にすり替える欺瞞を、わが国はこれまで膨大な、もっともらしい言い訳によって覆い隠してきた。安倍政権を含めた歴代自民党政権も、民主党政権や過去の非自民連立政権もこの点は同様であり、ということはもちろん私も含め責任は全国民にあると言わざるを得ない。
 すべての国家は自力で守るのが基本であり、それをさらに強固にするのが同盟をはじめとする国家間の協力関係である。もうこの虚構からはそろそろ足を洗おうではないか。虚構自体がすでに崩れているのだから。