2011年3月11日の東日本大震災の津波に伴う福島第一原子力発電所の過酷事故から8年余りが過ぎた。この間、原子力安全保安院は、民主党政権下の3大臣合意のもとで安全性総合評価(ストレステスト)を実施し、同時に水密扉や消防車、電源車の配備など厳しい安全対策を求めてきたが、6月には福井県の関西電力大飯原発3号機がやっと再稼働を果たした。
しかし、ここまで原発の再稼働が遅れているのは、菅直人政権が事故を機に、三条委員会として大臣と同格の強力な権限を持つ原子力規制委員会を発足させたことにも大きな理由がある。
当時の田中俊一初代委員長と4人の委員は暫定の委員であったが、その後、政権を奪還した自民党も、この5人の人事を国会で正式に承認してしまった。そして田中委員長は「半年を目処に審査を行うので、全ての原発をいったん停止する」として全ての原発の運転を停止させた。いわゆる「田中私案」というものだが、法的根拠はない。
この時から我が国は年間約2兆円もの化石燃料を余分に海外から輸入し、火力発電を焚き増しせざるをえなくなったのである。そして新規制基準が作られ、その適合審査は半年どころか、何年もかかる仕組みになった。単純計算で、燃料費は円安だったこともあり、年間2兆円、8年で16兆円(①)ものお金が費やされ、国富の流出を引き起こした。
●再稼働阻害する活断層審査
2013年4月30日付北海道新聞のインタビュー記事で菅直人元首相は、記者の「政権が自民党に代わって民主党が目指した脱原発政策は頓挫しましたね」との質問に、「トントントンと10基も20基も動くなんてあり得ない。何となれば、原子力安全保安院を潰して原子力規制委員会をつくったからです。かれらは活断層の話をはじめた」と答えている。
つまり、政権が自民党に代わった今も、私(筆者)から見れば「悪夢のような原子力規制」が続いているのである。そして、その規制の中心は活断層の議論を進めてきた島崎邦彦元委員長代理であり、議論を引き継いだ石渡明委員、及び規制庁の審査官・審議官らである。
審査に何年もかかるのは、敷地内断層の活動性の有無の証拠を揃えるために膨大な時間を要するためだ。年代を測定するための火山灰の分析、海岸の隆起の原因を地震とするかどうかの段丘編年の審査、設計用地震波形の決定、重要施設の地下の液状化の有無の根拠など、地質・地盤・耐震の審査が安全審査の約7割以上を占める。このため、6年経っても審査が後戻りしたり、ほとんど審査されていなかったりするプラントが10基を超える。
●40兆円が国民の新たな負担に
原発の安全対策には1基で約2000億円かかるとされる。さらに航空機衝突(航空機テロ)対策にも約1000億円、占めて3000億円かかる。30基を再稼働させるとすれば、9兆円(②)かかる。また、原発が停止中も維持にかかる保全活動などの費用が約14兆円(③)かかるとの試算があり、①②③を合わせた総額は約39兆円に達する。
そして、新聞報道によれば、テロによる放射性物質の放出を抑制するための施設、特定事故対策対処施設(特重施設)の工事遅延を理由にした再稼働中の9基の運転停止で数千億円が上乗せされる。これは現在審査中の原発も同じなので、あわせて1兆円(④)を超える。つまり、ざっと約40兆円が電力会社の負担になるというわけだ。
更田豊志委員長は、「再度の猶予期間の延長は認めない」と強い意思表明を行っており、官邸も菅義偉官房長官が「これを尊重する」と賛同せざるをえなかった。つまり、更田委員長は、もはや官邸ですら止めることができないほどの強力な鞭を電力会社に振う権限を手にしたのである。
更田委員長らの規制至上主義の暴走に対してマスコミは「見込みが甘い電力会社を懲らしめる正義の味方」の構図で報道する。しかし、良く考えてみてほしい。40兆円は最終的に一般の国民が電気代として払うのである。つまり、更田委員長は国民を経済的に窮地に追い込んでいることにもなる。
●原子力基本法の精神を守れ
原子力政策の基本方針を定めた原子力基本法第二条第二項には、「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として」と定められている。新規制基準にともなう原発の安全対策により、その事故の発生確率は今や隕石の衝突確率とほぼ同等となる。
新規制基準では、万万が一(1億分の1)の確率で事故が発生したとしても、放射性物質を濾し取って地元を汚染しない「フィルターベント」を設置する。それも、小児甲状腺癌の原因物質をも濾し取る有機ヨウ素フィルターを世界で初めて搭載するのである。
実は筆者は、この世界一の安全設備を開発した功績により、IAEA(国際原子力機関)とOECD(経済協力開発機構)のNEA(原子力機関)が共同で運営するISOE(職業被曝情報システム)の北米シンポジウムで、世界でもっとも活躍した教授の賞であるOutstanding Professor of the Year Award を2018年に受賞している。
しかし、約40兆円の国民の財産を蝕み、二酸化炭素の排出を激増させたことで、国民の財産保護と環境の保全ができなくなったことについては忸怩たる思いがある。
ホルムズ海峡では我が国に石油を運ぶタンカーがミサイル攻撃を受けた。原発が多数止まった状態で、エネルギーの安全保障が脅かされている。
●原発衰退を喜ぶのは誰か
菅元首相の主導による地震対策の審査で、次の鞭も見えてきた。「17個ある震源を特定しない地震動の地震波形を包絡するように標準化したから、改めてこの地震波形で耐震審査をやり直す」と言うのだ。これで基準を満たさなければ、さらに5年をかけて耐震補強工事をさせられることになる。下手をすれば、また運転停止命令が出されかねない。
福島第一原発事故を起こした東電は批判されてもやむをえないとして、安くて低廉で二酸化炭素を出さない電源を供給してきた他の電力会社についてまで責任を問う必要があるのか。「原子力は悪、再エネは正義の味方」の構図を作り出し、電力会社を繰り返し鞭打ち、マスコミに晒すやり方は、まるで江戸時代の悪代官のようにも思える。
国民の反原発感情を煽るやり方は、いわゆる従軍慰安婦問題などでマスコミを巻き込み、虚報を作り上げてきた組織的活動と同じパターンといえないか。日本の電力供給を不安定にして電気料金を引き上げ、モノ作りの国際競争力を低下させ、国力を衰退させる。そう考える人たちが目指しているものが一体何か、しっかりと見抜いてほしい。