近代中国ナショナリズムの歴史は、列強による侵略や圧迫を打破しようとする悲壮感に満ちているのみならず、そのためにどのようなイデオロギーを選択するかによっても激しい分裂を経験してきた。そして孫文が嘆いたように、中国の人々は往々にして「バラバラな砂」であり、国家と社会よりも、個人を中心としたネットワークの方に重きを置いているため、ナショナリズムが速やかに共有されない問題があった。
かくして、外界からの圧迫や影響は、個別の地域で外界に靡く裏切り者を生み、「祖国の統一」を乱してきたという認識から、外国からの影響を受け、さらには独立を画策する「分裂主義分子」が中国社会の内側を蝕むことは決して許さないとする姿勢を生んだ。
この結果、北京は経済発展の成果を一貫して軍事と社会管理に振り向け、有り余る国力を以て異議を有する人々を厳しく弾圧するようになった。
●全体主義的統治の再現
1990年代のチベットにおける、高位活仏パンチェン・ラマ10世の生まれ変わり問題に端を発する締め付け、ならびにダライ・ラマ14世との対立は、2008年のチベット独立運動とその後の厳しい弾圧、及び抗議の焼身自殺という悲劇を惹起した。
新疆ウイグル自治区では、トルコ系ムスリムが経済発展の波から取り残される中、一方ではイスラームに拠り所を求めつつ、一方では漢人社会からの差別的待遇に対する反発を強め、その軋轢がついに噴出したのが2009年のウルムチ事件であった。
これに対し、とりわけ習近平政権と陳全国・新疆ウイグル自治区党書記は、徹底的な社会管理と弾圧で臨み、「中国ではなく外界に心が向かい信用できないイスラーム教徒」を社会から隔離し、「再教育を施す」と称してナチス・ドイツやスターリン主義の再現としか言いようのない強制収容所体制が構築された。
●急成長がもたらした独善
また、漢人を中心とした主流社会であっても、「国家の統一」「社会の安定」に差し障るとみなされたあらゆる存在に対し厳しい弾圧が加えられているし、台湾に対しても様々な手段を用いて台湾自立志向の政治家・勢力を削ごうとしては、その都度台湾社会の激しい反発を引き起こしている。
これら一連の「厳打」と呼ばれる手法によって異論を封殺しようとする北京に対し、外界、とりわけ西側諸国の批判は効を奏しているとは言えない。何故なら、中国は徹底的に唯物論と力の論理を信奉する国家であり、発展と繁栄それ自体が善であり、他の価値には重きを置かず、ただ経済力に支えられた権力の作為によって何事も変えられると考えているからである。
「分裂主義」「社会の安定を乱す者」に対する断固とした戦いを通じて中国がいっそう安定し、他国の批判や干渉を排して国際社会における中国の「話語権」(メッセージを発して他者に受け容れさせる権力)を確かなものにし、「一帯一路」参入諸国からの「賛同」を得られている現状こそ、北京が過去30年来採り続けてきた「発展」と「安定」の正しさを実証するものだ。
しかも米国の経済制裁によってもすぐには体制が動揺しないほどの「安定」が実現している以上、香港問題をめぐっても米英など外界の批判に妥協する必要はないと北京は考えているのである。
●香港で進む「中国人」離れ
一方、香港の人々の多くは、雨傘運動や銅鑼湾書店事件、今般の逃亡犯条例、さらには膨大な数の大陸からの移民や観光客の波に洗われて香港社会が著しく変質しつつある中で、しだいに「中国人」アイデンティティから離れつつある。しばしば英国国旗を全面に押し出しながら「香港の光復」「人文価値の再興」を叫んでいる。
それは単なる逃亡犯条例という範疇を超えて、香港の未来のあり方そのものを問うものとなっている。その中には共産党統治下の大陸「同胞」の姿は薄く、基本的には台湾の自立を謳う人々と同じく、文化的な「中華」の連続性と政治社会的な独自性を完全に切り分けたものになりつつある。しかも英国や西側諸国と連続した価値観を有する「人文価値」は、「社会主義核心価値観」に依拠する大陸とはいよいよ相容れない。
香港で第2の六四天安門事件は起こるか(上)
香港で第2の六四天安門事件は起こるか(中)
香港で第2の六四天安門事件は起こるか(下)