10月31日、ナンシー・ペロシ米下院議長は、トランプ大統領の弾劾訴追に向けた調査を開始する旨の決議案を本会議採決に掛け、232対196の賛成多数で承認された。例によって「トランプ氏が追い込まれつつある」との報道や解説を多く目にするが、事実はむしろ逆である。
まず10月31日の採決で共和党側は1人の造反者も出さず、下院議員全員が弾劾はおろか調査すら不要との意思を示したことだ。民主党優位の下院で弾劾訴追の決議案が可決されても、共和党が過半数議席を握る上院でトランプ大統領の罷免に必要な議員3分の2の賛成を得るのは難しいとみられる。
一方、民主党側は2人の造反者を出している。いずれも、2016年の大統領選でトランプ候補の票がヒラリー候補の票を上回った選挙区の議員だった。反トランプの立場が明確なワシントン・ポスト紙の調べでも、民主党の下院議員中、トランプ弾劾を望むと公式に表明した議員は同日時点でわずか31名、全体の8分の1強に過ぎない。調査で重大な新事実が出てこない限り、この先の弾劾訴追そのものの決議において棄権に回る民主党議員が一定程度出るかも知れない。
●実は慎重だった民主党
米国憲法は、第2章第4条で弾劾について以下のように規定する。
「大統領、副大統領および合衆国のすべての文官は、反逆罪、収賄罪その他の重大な罪または軽罪(high Crimes and Misdemeanors)につき 弾劾の訴追を受け、有罪の判決を受けたときは、その職を解かれる」
その間の手続きについては、「弾劾の訴追権限は下院に専属する」(第1章第2条第5項)とし、「すべての弾劾を裁判する権限は、上院に専属する。…合衆国大統領が弾劾裁判を受ける場合には、最高裁判所長官が裁判長となる。何人も、出席議員の3分の2の同意がなければ、有罪の判決を受けることはない」(第1章第3条第6項)と規定している。
一般裁判に喩えれば、下院が検察官として起訴するかどうかを決め、上院が陪審員として評決を下すわけである。有罪評決には3分の2以上の賛成が必要なことは既に述べたとおりだ。
弾劾においては、刑法上の罪を犯したか否かは要件にならない。「重大な罪または軽罪」の中身は明確ではなく、要するに就任宣誓(oath of office)に違背する行為があったと下院の多数が認定すれば、理論的にはいつでも弾劾訴追が可能である。
もっとも弾劾手続き開始となれば、政治の停滞は避けられず、有権者から「国民生活にとって重要な法案や予算の審議を放置して政争に明け暮れている」との反発を買うリスクを下院多数派は負うことになる。総じて、保守色の強い地域選出の民主党議員は、「ロシア疑惑」の不発に続き、およそ国民生活に直結しない「ウクライナ疑惑」で弾劾局面に突入することに不安を募らせているようだ。そのためペロシ下院議長はじめ民主党執行部は、公式手続き開始に慎重だった。
結局、主流メディアや党内左派に背中を押される形で踏み出したが、政治的に成算があるとは思えない。
●上院は共和党優位の現実
現在、上院(定数100)の構成は、共和党53に民主党47。上院共和党の指導部は、「下院は速やかに弾劾訴追するか否かを決めよ。訴追となり上院に持ち込まれた場合は、集中審議して今年中に否決する」との意向を明らかにしている。
ワシントン・ポスト紙の調査では、共和党議員中38名が弾劾反対の意思を明確にしており、残りも「陪審員」の立場上ノー・コメントとするものの実質的には反対。賛成の可能性があるのは、ミット・ロムニー氏のみか、せいぜいプラス若干名で、重大な新展開があれば別だが、この上院の構図は基本的に動かないと見られる。すなわち、弾劾成立に必要な3分の2(67人)どころか半数が賛成することもないだろう。
なお、「ウクライナ疑惑」は本来、オバマ政権時代に、バイデン副大統領の息子ハンター氏が、不正問題に揺れるウクライナのエネルギー企業ブリズマに顧問弁護士として雇われ、同時に同社の捜査に関与していた検察官の罷免をバイデン氏が迫ったとされるものだ。バイデン氏は関連を否定しているが、ハンター氏は、メディアのインタビューに、自分が副大統領の息子でなかったらブリズマ社に雇われることはなかったろうと答えている。
ところがトランプ氏が、ウクライナの現大統領との電話会談で、バイデン問題の調査を求めたため、軍事支援の保留を圧力カードに政敵の追い落としを図った新「ウクライナ疑惑」と騒がれるに至った。
●政策面で揺るがぬ自信
トランプ陣営にしてみれば、反対勢力による問題のすりかえなのだが、政治任命以外の政府職員の中には反トランプ陣営に属する人々が数多くいる。そうした中、関係者が少なからず同席する電話会談の場で「バイデン調査」を持ち出したトランプ氏が軽率であったことは間違いない。
もっとも共和党議員のほとんどは、トランプ氏は問題発言が多く困りものだが、政策面では実績を上げており、弾劾に値するような罪は何ら犯していないとの立場である。この基本が揺るがない限り、弾劾はない。