公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2020.02.12 (水) 印刷する

日本の神話を再評価すべき 太田文雄(元防衛庁情報本部長)

 我々が初等教育を受けた時、「非科学的な神話ではなく科学的な史実に基づいた歴史を」と先生から教わった。戦前の歴史教育が科学的な根拠に乏しい神話に基づいていることに対する戦後教育の反動であった。
 しかし当時の人達が、古事記に代表されるような神話に基づいて思考していたことは事実である。時を経るにつれ、古事記の擬人化された表現の中に散りばめられた戦略・情報観が含まれていることを知るにつけ、建国記念日の11日、その意義を再考すべきであると思料する。

 ●古事記は世界一の政治・兵術書
 元陸軍中将の飯村穣は、その著『兵術随想』の中で「古事記は世界最高の政治書であり兵術書である」と書いている。飯村中将は単なる偏狭な国粋主義者ではない。現職時代にはトルコでの駐在武官に任じられており、私が防衛大学校生として土浦のご自宅に教えを乞いに行った時には、フランス語でNATOの軍事紙を読んでいた。勿論、英語もロシア語も堪能であった。
 現職時代の昭和16年8月には総力戦研究所の所長として、各省庁から選抜されたエリート達を組織化し「日本が南方に油を取りに行ったらどうなるか」を机上演習、4年後にソ連が参戦して降伏を余儀なくされるとの結論を得ていた。当時の東條英機総理大臣も、殆ど毎日机上演習を見に来ていたが、結果的に「机上演習は机上演習、現実は違う」として開戦に踏み切ってしまった。
 改めて古事記を読み直してみると、飯村中将の意味するところが解かって来る。

 ●擬人化に卓越した戦略・情報観
 圧巻は国譲りの神話である。最初は高天原の天照大神から命令を受けた、非戦の神としてアメノホヒノミコトが遣わされるが、出雲という強大国に媚態を呈して「三年に至るまで復奏かえりごとまをさざりき」即ち堕落した外交官となってしまう。
 次に出雲に派遣されるのは天若日子あめのわかひこで、これは弓で武装した情報工作員であろう。彼も「大国主の神の娘下むすめ照る比売ひめひ、またその国を獲むとおもひて、八年になるまで復奏まをさざりき」、大国主の娘のハニートラップに引っかかり、自分の野心も手伝って出雲側に寝返ってしまう。
 元ソ連KGB工作員のレフチェンコ事件でも解る通り、大物工作員が寝返るとそのまま自国の情報は相手に流れてしまう。ここでも天菩比神が「出雲神」になってしまったということは、高天原の内部体制、軍事はもとより、最も肝心な情報や諜報に関する事柄、特に組織などは流出していたものと弁るのが当然であろう。
 次に高天原は「雉子きぎす、名は鳴女なきめを遣はさむ」として、出雲の状況の真の姿を探りに行き、現場での情報収集、高天原の最高司令部からの督戦及び憲兵の役割をも演じる鳴女と言われる「雉」を派遣する。
 これに対して情報部隊の迎撃(インターセプター)として、出雲側に現れるのが天探女あめのさぐめである。天探女はこの鳥の鳴き声を聞き、天若日子に「この鳥は、その鳴くこゑいとし。かれ、みづから射たまへ(この鳥は、その鳴く声が大変不祥です。ですから、みずから射殺しておしまいなさい)」として天若日子に、天照大神が下さった神聖な弓と矢で、その雉を射殺してしまった。
 自然界に飛んでいる数多くの鳥の中から、偵察に来た「雉」の工作員を見破るところは、既に出雲には機能的なカウンター・インテリジェンス組織があったものと思われる。
 出雲側は天若日子をそそのかして、自発的にスティンガーならぬ高天原製の弓で以て同じ高天原製の矢を発射させ、天若日子の友軍である雉のスパイを撃墜ならぬ射落とさせ、ここでは誤殺させることで裏切り行為を明確にした。
 高天原へは天若日子の打った矢が到達する。これは出雲からの外交メッセージ、要するに「底の知れた戦略ごっこはやめておけ」ということなのであろう。矢が返って来たということは、情報部隊の中でかろうじて死を逃れて生還した隊員が報告したものか、情報部隊員の遺体の一部(首、手、耳、鼻等々)とか、隊員が携帯していた遺品(高天原製と分かるもの)が、そこはかとなく届けられたものと考えられる。

 ●「戦わずして勝つ」から「戦って勝つ」へ
 高天原の反応は「その矢を取らして、その矢の穴より衝き返し下したまひしかば、天若日子が朝床に寝たる高胸板たかむねいたあたりて死にき。(その矢をお取りになって、その矢の飛んできた穴から衝き返しておやりになったので、天若日子が朝床に寝ている胸のところに当たって死んだ)」というものだった。
 すなわち天若日子という「裏切り工作員」による情報部隊の撃滅事件について、大勢の神々の面前でその証拠となる矢(高天原製武器あるいは情報部隊員の遺物か遺品かそれに準ずるもの)を提示しつつ、当然の裏切り工作員への帰結となる天若日子の死を以って、出雲へ高天原からの外交メッセージ、要するに「高天原は、これから戦略方針の転換をする。このままでは済まない」と伝えることが決定されたことを意味する。
 かくして「戦わずして勝つ」という間接戦略から「戦って勝つ」という直接戦略へと戦略転換を行った高天原は、武闘派の神々を派遣して少しの武力紛争だけで後は外交レベルで決着が着いて行く、稲佐浜で行なわれる「出雲の国譲り」につながって行くのである。
 以上、古事記に示された戦略・情報観の一端を紹介したが、「非科学的」という一片の考え方によって日本の神話を抹殺し続けて来た戦後の文教行政は間違っていたことを強調したい。