江藤淳の労作『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』が、このほど"CLOSED LINGUISTIC SPACE-Censorship by the Occupation Forces and Postwar Japan"として英訳された。国際広報という観点からすれば、マッカーサー占領軍がポツダム宣言の意図に反して、隠微かつ過酷な検閲を徹底して日本の文化・慣習・マスコミ等に加えたことが、白日の下にさらされることはまことに喜ばしい。
●英訳本の略歴で気付いた事
英訳はJIIA(日本国際問題研究所)とJPIC(出版文化産業振興財団)の協同作業によってなされ、底本は、1989年刊行の単行本と1994年の文庫版だという。だから、著者欄で江藤淳の生誕が1933年となっていても、代表作が『言葉と沈黙』になっていても、釈然とはしないが責めはしない。
江藤の生年は1932年である。たしかに生前の江藤は1933年生まれとしてきた。最初の著作で1933年生と表示されたためそれをずっと通したといわれるが、1999年江藤の自死後に刊行された書物等では、すべからく1932年生まれとなっている。また、いくらなんでも『言葉と沈黙』が代表作ということはないだろう。
ここでは、それはさておく。江藤の略歴について同書は、one of Japan's foremost literary and cultural commentatorsとしている。浅学な私には、どうにもコメンテーターという言葉の語感が引っかかる。
●本来の重い語感見失うな
江藤は、1962年ロックフェラー財団研究生として渡米した。アメリカのあまりの大きさに茫然とした江藤が最初に範たる人物として発見したのが、『愛国の血糊―南北戦争の記録とアメリカの精神』を表したエドマンド・ウィルソンだった。
江藤は、ウィルソンを小林秀雄と中野重治を足して二で割ったような人と評している。ウィルソンは、an American writer, critic and social commentatorと紹介されることがある。江藤の略歴も、writer, criticであったならば、コメンテーターとは何ぞや、という疑問はおこらなかったに違いない。
コメンテーターといえば、我が国ではテレビに出まくり、何事によらず鉋屑に火が付いたように喋りまくる人々を指す。いろいろな辞書を引けば、英語のcommentatorには、文化、文明、社会等々の論評を専らとする人とある。語感が重いのだ。
私は、日本語に毒され、commentatorが持つ本来の意味を見失っていたのかも知れない。その意味で、島田洋一教授が4月20日付ろんだんで「テレワークでなく在宅勤務と言え」と発言されていることに満腔の敬意を表する。