公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2020.06.18 (木) 印刷する

米比協定はバランス外交の道具か 黒澤聖二(国基研事務局長)

 フィリピンのロクシン外相は6月2日、米国との訪問軍地位協定(VFA:Visiting Forces Agreement)の破棄を一旦保留すると明らかにした。米国にはすでに2月11日、破棄を通告しており、それから180日後の8月に失効する予定だったが、当面回避されたことになる。ただし、保留の期間は6か月とされ、12月以降に再び破棄される可能性は否定できない。
 1988年に締結されたVFAは、1951年の米比相互防衛条約(MDT:Mutual Defense Treaty)に基づき、フィリピン国内で活動する米軍人の法的地位を定める協定である。この協定は、米軍がフィリピンから撤退した6年後の1998年に締結され、米比合同演習の根拠規定として重要な役割を担ってきた。
 またVFAは、2014年に締結された「防衛協力強化協定(EDCA:Enhanced Defense Cooperation Agreement)」をもとに米軍がフィリピン軍基地に駐留し、あるいは、そのための施設を整備するなど、フィリピン国内で活動する際に必要となる基本協定でもある。
 つまり、VFAが破棄されると、米比合同演習などにおいて米軍の活動が制約を受け、フィリピン周辺海域における米軍のプレゼンスが後退する危険性を孕むのだ。

 ●ドゥテルテ氏の反米感情煽る
 そもそも、VFA破棄騒動の原因の一つは、ドゥテルテ大統領が2016年の就任以来進めてきた麻薬撲滅作戦に関係している。報道によると、麻薬事犯容疑者の殺害をドゥテルテ氏が許可した結果、6000人超の死者が出たが、誤認や嫌疑不十分での殺害も多いことから、超法規的殺人ではないか、との批判があった。
 2019年7月には国連人権理事会が、本件の調査を求める決議を採択。その結果、6月4日、国連人権高等弁務官事務所は人権状況の調査報告書を発表し、超法規的殺人が組織的に行われているとして是正を勧告した。他方、フィリピン国内では、国民生活の安全を高めたとして、ドゥテルテ大統領の政策は多くの支持を集めている。
 そのような流れの中、米上院は1月9日、フィリピンの人権侵害を非難する決議を採択し、同時に、麻薬撲滅作戦を指揮したデラロサ上院議員(前フィリピン国家警察長官)の米国入国査証を取り消した。デラロサ議員と盟友関係にあることも、激しやすいドゥテルテ大統領の反米感情を煽った可能性がある。
 では、何故VFAが反米の標的にされたのか。そこにはVFAが、かねてフィリピン国内で問題視されていた事情がある。
 度重なる米兵による性犯罪などに、フィリピンの司法管轄権が及ばないことへの不満が溜まっていた中、2014年、殺人容疑のかかった米軍人の身柄引き渡しが拒否された。米国が結ぶ他の地位協定とは異なり、フィリピンとのVFAは、米兵容疑者の身柄は裁判終了まで米側が確保するとされている。だから、このような屈辱的な協定は、見直すか破棄すべきだとの機運がフィリピン国内で高まり、大統領の政治課題にもなっていたのである。

 ●日比間でもVFAの締結検討を
 フィリピンの外交方針は、2018年5月にドゥテルテ政権が発表した「国家安全保障戦略2018」などが示す通り、「より独立した外交」である。米国以外との同盟関係を模索する動きがあることも見逃せない。
 フィリピンは現在、豪州ともVFAを結んでいるが、加えて、日本やインドネシアとの協定を検討するとともに、中国との軍事協力も検討しているという。自国の安全保障を米国のみに依存するのではなく、多方面の関係を構築する中で、バランスをとろうとする姿勢が窺える。
 さらに、2018年11月、習近平主席が訪比して「中比共同宣言」が発表され、フィリピンは中国との包括的協力関係へ向け大きく動き出した。この時、中国はフィリピンの麻薬撲滅作戦に全面的な理解を示し、米国との違いを際立たせた。そのことも、ドゥテルテ政権の対中宥和を導いたといえる。
 今回の保留表明で、VFAの失効は当面回避されたが、保留期間である今から6カ月後の状況は、誰にも予測はできない。仮にVFAが失効すれば、米軍の存在感は低下し、南シナ海のパワーバランスが崩れる恐れがある。フィリピンとすれば、保留状態のままで米国にVFAの見直しを迫る一方、中国への経済依存を強めるというバランス外交を続ける考えだろう。揺れ続けるフィリピンの動きからは目が離せない。
 わが国は、南シナ海が国益確保の観点から重要な位置を占める現実を再認識し、中比接近を牽制する上でも、フィリピンとの協力関係を強化する必要がある。そのためにも、日比間でもVFAの締結を検討し、これを足掛かりに、航行の自由作戦などへの積極的関与を行っていくべきと考える。