公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2020.06.29 (月) 印刷する

攻撃力だけでは語れぬ敵基地攻撃能力 太田文雄(元防衛庁情報本部長)

 昭和31年、当時の鳩山一郎総理と船田中防衛庁長官は国会で「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨ではない」として「基地をたたくことは法理的には自衛の範囲」という見解を出している。即ち憲法上、敵基地攻撃能力を保有することに何ら問題がないことは64年も前に決着済みなのだ。

兵理上も、防御だけ、あるいは攻撃だけの手段で国防は全うできない。攻撃と防御の両手段併せ持つことが必要である。特に、昨今の北朝鮮や中国の飽和攻撃に対しては、防御だけでは弾数から言っても全弾を撃ち落とすことは不可能であるのは明白である。

不可欠なインテリジェンス

昨今の敵基地攻撃能力の議論を聞いていると、射程等の攻撃手段に余りにも焦点を当て過ぎ、敵の基地が何処にどれ位あるのかを把握する手段について、余り議論が行われて居ない。
 
中国や北朝鮮のミサイル発射基地や指揮管制センターは相当数地下に配備され、かつ移動式が多い。しかるに偵察衛星や偵察機では、屋内や地下施設の状況は把握できず、常日頃から継続的に察知することは難しい。電波情報でも同じく困難である。これらを把握するためには実際に人、即ちスパイを入れで情報を収集しなければならない。しかし我が国では、人的情報、いわゆるヒューミントを養成していないし、それが活用できるような法的枠組みもない。

したがって、敵基地攻撃とは総合的なシステム全体で議論しなければならないのである。

安全保障のジレンマに疑問

6月26日付の東京新聞社説は「敵基地攻撃能力 専守防衛を外れぬよう」と題し、結論として「軍拡競争を促す安全保障のジレンマに陥るな」と結んでいた。

自国の安全保障を高めようと意図した軍備増強が、相手の国に不安を抱かせ、その国も軍備を増強して結果として軍拡競争に陥って自国の安全保障を脅かす事になる事象を国際政治学では「安全保障のジレンマ」と呼んでいる。

昨今の敵基地攻撃能力の保有議論では、多くのメディアや学者が、我が国が敵基地攻撃能力を保有すれば対象国はさらなる軍備増強をし、軍拡競争に陥るではないかと指摘している。25日夜のBSフジの討論番組でも、統合幕僚長経験者までが安全保障のジレンマを口にしていた。理論としては確かに存在し、歴史的にも第一次大戦における欧州の動向はこの事例が適用される。

しかし東アジアの実態は、一方的かつ一貫した中国や北朝鮮の軍備増強であり、動と反動の連鎖ではない。日本が約10年間、防衛費を減少させていた期間ですら中国は毎年二桁の国防費増額を一貫して推進増強、北朝鮮も一貫して核開発を継続して来た。この事象を安全保障のジレンマとは言わない。俗論に惑わされてはいけない。