屋山太郎氏が「今週の直言」【第476回】(10月23日付)で言及されたように、「9条の硬い殻を破れる可能性」に期待したい。
ここに9条改正に反対している主要勢力の発言等を確認しておきたい。今後の9条改正論議で、共通認識として必要と考えるからである。以下において、資料提供も含めて、若干のコメントを付すことにする。
(1)枝野幸男・立憲民主党代表
枝野氏は、「憲法9条『第三の道』」として、つぎの改正私案を掲げる。
現行憲法9条
1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
追加する条項
9条の2
1項 我が国に対して急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がない場合においては、必要最小限の範囲において、我が国単独で、あるいは国際法規に基づき我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を守るために行動する他国と共同して、自衛権を行使することができる。2項 国際法規に基づき我が国の安全を守るために行動している他国の部隊に対して、急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他の適当な手段がなく、かつ、我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全に影響を及ぼすおそれがある場合においては、必要最小限の範囲で、当該他国と共同して、自衛権を行使することができる。
3項 内閣総理大臣は、前2項の自衛権に基づく実力行使のための組織の最高指揮官として、これを統括する。
4項 前項の組織の活動については、事前に、又は特に緊急を要する場合には事後直ちに、国会の承認を得なければならない。
9条の3
1項 我が国が加盟する普遍的国際機関(注・現状では国連のこと)によって実施され又は要請される国際的な平和及び安全の維持に必要な活動については、その正当かつ明確な意思決定に従い、かつ、国際法規に基づいて行われる場合に限り、これに参加し又は協力することができる。2項 前項により、我が国が加盟する普遍的国際機関の要請を受けて国際的な平和及び安全の維持に必要な活動に協力する場合(注・多国籍軍やPKO等、国連軍創設以外の場合)においては、その活動に対して急迫不正の武力攻撃がなされたときに限り、前条第1項及び第2項の例により、その武力攻撃を排除するため必要最小限の自衛措置をとることができる。
3項 第1項の活動への参加及び協力を実施するための組織については、前条第3項及び第4項の例による。
「改憲私案発表 憲法九条 私ならこう変える」
(『文藝春秋』2013年10月号)
同論稿本文で枝野氏はそもそも、こうして個別的か集団的かという二元論で語ること自体、おかしな話です。そんな議論を行っているのは、日本の政治家や学者くらいでしょう
(*下線は西)と述べている。
若干のコメント
枝野氏が提起する9条の2は、限定的な集団的自衛権の行使そのものである。すなわち、わが国に対して急迫不正の武力攻撃がなされた場合には、わが国単独で、または他国と共同して、必要最小限の範囲で自衛権を行使できるだけでなく、わが国の安全を守るために行動している他国の部隊に対して急迫不正の武力攻撃がなされた場合にも、必要最小限の範囲で、当該他国と共同して、自衛権を行使することができるというものだ。(*下線は西)。
この規定方式は、平成26(2014)年7月1日に閣議決定され、自衛隊法76条や事態対処法2条などに組み込まれている「武力の行使の3要件」と基本的に異ならない。
枝野氏が提起する9条の3は、国連を中心とする集団安全保障体制を是認するものである。注目されるのは、国連の要請があれば、PKOのみならず多国籍軍にも参加し、急迫不正の武力攻撃がなされた場合には、必要最小限の自衛措置をとることができるとしていることである。海外の相当広い地域で武力攻撃に対する自衛措置(*武器使用が入るものと思われる)を講じることが可能になる。
こうしてみると、枝野氏が提起した9条の2および9条の3と、同氏が現在とっている憲法改正反対論はどうしても結びつかない。はなはだ矛盾していると断定せざるを得ない。
同氏は、立憲民主党を立ち上げたのは、「筋を通す」ためだと説明している。であれば、この矛盾について、「筋の通った説明」をするようさまざまな方面から強く求めていく必要がある。
今後の9条論議において、枝野氏の改正私案に寄り添って、集団的自衛権の憲法への明記を提起していくことも考えられるのではないか。憲法審査会でも俎上に載せるよう働きかけることが求められる。
『週刊朝日』(2017年11月10日特大号)の記事中でも、枝野氏自身もメディアのインタビューで『私は護憲派ではない』『保守』と公言している
と記述されている。とするならば、枝野氏は改憲論者として扱い、立憲民主党に多くいる護憲派とは区別していくことが必要かもしれない。
参考:平成26年7月1日の閣議決定にもとづく「憲法9条の下において認められる武力の行使の3要件」
- 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。
- これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと。
- 必要最小限度実力行使にとどまること。
内閣法制局『憲法関係答弁例集(第9条・憲法解釈関係)』
(内外出版、2016年より)
(2)日本共産党
昭和21(1946)年8月24日共産党を代表して野坂参三氏の演説(*下線は西)
「当草案ハ戦争一般ノ抛棄ヲ規定シテイマス、之ニ対シテ共産党ハ他国トノ戦争ノ抛棄ノミヲ規定スルコトヲ要求シマシタ、更ニ他国間ノ戦争ニ絶対ニ参加シナイコトヲ明記スルコトヲ要求シマシタガ、是等ノ要求ハ否定サレマシタ、此ノ問題ハ我ガ国ト民族ノ将来ニ取ツテ極メテ重要ナ問題デアリマス、殊ニ現在ノ如キ国際的不安定ノ状態ノ下ニ於イテ特ニ重要デアル、芦田委員長及ビ其ノ他ノ委員ハ、日本ガ国際平和ノ為ニ積極的ニ寄与スルコトヲ要望サレマシタガ、勿論是ハ宜シイコトデアリマス、併シ現在ノ日本ニ取ツテ是ハ一個ノ空文ニ過ギナイ、政治的ニ経済的ニ殆ド無力ニ近イ日本ガ、国際平和ノ為ニ何ガ一体出来ヤウカ、此ノヤウナ日本ヲ世界ノ何処ノ国ガ相手ニスルデアラウカ、我々ハ此ノヤウナ平和主義ノ空文ヲ弄スル代リニ、今日ノ日本ニ取ツテ相応シイ、又実質的ナ態度ヲ執ルベキデアルト考エルノデアリマス、ソレハドウ云フコトカト言ヘバ、如何ナル国際紛争ニモ日本ハ絶対ニ参加シナイト云フコトデアル、・・・要スルニ当憲法案第二章ハ、我ガ国ノ自衛権ヲ抛棄シテ民族ノ独立ヲ危クスル危険ガアル、ソレ故ニ我ガ党ハ民族独立ノ為ニ此ノ憲法ニ反対シナケレバナラナイ。(中略)
我々ノ数ハ少数デアリマス、ソレ故ニ我々ハ当憲法ガ可決サレタ後ニ於テモ、将来当憲法ノ修正ニ対テ努力スルノ権利ヲ保留シテ、私ノ反対演説ヲ終ル次第デアリマス」(『官報号外 昭和21年8月25日 衆議院議事速記録第35号』より)
参考:『日本人民共和国憲法(草案)』(1946年6月28日決定)
日本人民共和国はすべての平和愛好諸国と緊密に協力し、民主主義的国際平和機構に参加し、どんな侵略戦争をも支持せず、またこれに参加しない。
(第5条)。
若干のコメント
現行憲法の成立に絶対反対を唱えた唯一の政党が共産党であることは、よく知られている。とくに9条に対する反対として、「民族独立のためにこの憲法に反対しなければならない」のフレーズは、実に的を射ている。大いに利用した方がよいのではないか。
同党の憲法草案は、「侵略戦争」には「不支持、不参加」を定めているが、自衛戦争はまったく否定していない。
共産党は、これらを「歴史的文書」(不破哲三・委員長、2000年7月20日、党創立78周年記念講演)とし、現在の憲法論から抹殺しようとしている。しかし、議事録に残っているものを抹殺はできない。
現在の『共産党綱領』より(*下線はいずれも西)
〔国の独立・安全保障・外交の分野で〕
1 日米安保条約を、条約第10条の手続き(アメリカ政府への通告)によって廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させる。対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ。(中略)
4 自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第9条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。〔憲法と民主主義の分野で〕
1 現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす。(後略)
『共産党綱領』
(2004年1月17日 第23回党大会で改定)
若干のコメント
キーワードは「現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす」。
「国民の合意での自衛隊の解消」と「日米安保条約も廃棄し、駐留米軍の撤退」をうたっているが、安全保障体制のあるべき姿が論じられていない。無責任の極みである。
日米安保条約と自衛隊は違憲であるとの立場に立っているが、それであれば「自衛隊を違憲とする9条をまもる」ことになり、矛盾の極みである。
日米安保条約と自衛隊に対する国民の支持が多いので、即時の解消・解体まで主張していない。ということは憲法違反の日米安保条約と自衛隊の存続を当面は認めるということになり、同党が好む「立憲主義」の原則とはなはだ矛盾する。
1978年11月の党大会で決定した「民主連合政府綱領についての日本共産党の提案」には、「わが党は、将来は、独立・中立の日本をまもるための最小限の自衛措置をとることをあきらかにしています」とある。要するに、将来、共産党主導の自衛措置(自衛軍?)を設けるということ。かつての社会党は、「非武装・中立」論であったが、共産党は「武装・中立」論を唱えてきた。自衛措置の中身をどうすればよいと考えているのか、そのことを明白にするよう追求していくことが肝心。
(3)朝日新聞
朝日新聞2017年5月9日付け社説見出し「憲法70年 9条改憲論の危うさ」(*下線は西)
「自衛隊は歴代内閣の憲法解釈で一貫して合憲とされてきた。9条は1項で戦争放棄をうたい、2項で戦力不保持を定めている。あらゆる武力行使を禁じる文言に見えるが、外部の武力攻撃から国民の生命や自由を守ることは政府の最優先の責務である。そのための必要最小限度の武力行使と実力組織の保持は、9条の例外として許容される─。そう解されてきた。」
「憲法70年 9条改憲論の危うさ」
朝日新聞2017年5月9日付け社説
若干のコメント
政府は、朝日のいうように、自衛隊の存在を「9条の例外」として許容してきたのか。
この点について、昨年9月に内閣法制局が情報公開した『憲法関係答弁例集(第9条・憲法解釈関係)』で確認してみよう。同答弁例集はA4版549頁におよぶが、その最初の項目に「憲法第9条と自衛権(自衛隊の合憲性)」との表題のもとに、以下のように記されている。
「憲法第9条は、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のほか、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合における我が国が主権国として持つ固有の自衛権まで否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を行使することは認められているところである。
同条第2項は、『戦力の保持』を禁止しているが、自衛権の行使を裏付ける自衛のための必要最小限度の実力を保持することまでも禁止する趣旨のものではなく、この限度を超える実力を保持することを禁止するものである。
我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織としての自衛隊は、憲法に違反するものではない。」
政府は、第9条全体について、わが国が主権国家として固有の自衛権をもつことを否定しておらず、自衛のための必要最小限度の実力を行使することは認められるとしたうえで、第2項については、「戦力の保持」を禁止しているが、「必要最小限度の実力組織としての自衛隊」は、禁止されている「戦力」に当たらず、合憲だというのである。
政府は、一貫して、自衛隊の存在は「第9条の枠内」で、合憲であると説明してきている。政府は、憲法上、自衛権行使の手段として、「戦力」(自衛のための必要最小限度の実力を超える実力)と「自衛力」(自衛のための必要最小限度の実力)とがあり、「自衛力」(=自衛隊)の保持は合憲であるとの立場をとっている。
政府が自衛隊の存在を「9条の例外」と解釈すれば、9条軽視として厳しく糾弾され、とても耐えることができないだろう。
いったい朝日社説は、どの部分をもって、「9条の例外」として、政府が自衛隊を許容してきているというのだろうか。「社説」は、論説委員が十分に協議した結果、社論として外部に発表するものであろう。一記者の記事とは本質的に異なる。まして、朝日は第9条にかかわる政府批判の急先鋒としての姿勢をとってきている。しかしながら、批判すべき政府の第9条解釈を正しく理解していないとすれば、その批判の根拠はきわめて薄弱なものとなる。いったい論説委員には政府解釈を理解する能力がないのか。そのような能力の程度で、政府の9条に関連する政策を批判する資格があるのか。まさに信用にかかわろう。
朝日が今後、「社説」で記述した政府解釈の理解を改めるのか、読者としてきわめて関心があり、また注視していくべき論点と思われる。
(以上、産経新聞「正論」2017年5月24日付拙稿「朝日『憲法社説』の誤りを正す」を中心に、最後の数行を付加)