公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2020.07.22 (水) 印刷する

裏目に出たインドの対中宥和策 近藤正規(国際基督教大学上級准教授)

 国境問題を巡って中国とインドの関係が急速に悪化している。6月15日にはインド北西部のヒマラヤ山中の国境地帯ラダック地区にあるガルバン溪谷で軍事衝突が起き、20名のインド兵と43名の中国兵の死者が出た。1962年に突然の中国の侵略を受けたネルーと同じように、モディ首相は関係改善を目指してきた中国に裏切られたことを思い知らされた。

中印関係の虚実

インドは反中陣営の一員であるかのような感覚が日本や米国にあるが、実際のところはそうでない。2014年の政権発足後、モディ首相は全方位外交の一環として対中宥和策を推進してきた。モディ氏はグジャラート州首相時代に人道問題から欧米諸国と相いれず、中国と日本からのみ歓迎を受けた。

そのことを恩に感じたモディ氏は、首相になってからも中国と6年間に18回も首脳会談を行ってきた。2017年のブータン国境における軍事緊張の後も、18年に武漢、19年にチェンナイで非公式首脳会談を行って関係改善を図ってきた。

モディ政権発足の前に政権を担っていた国民会議派は、それ以上に親中であった。中国に囲い込まれたガンジー家の意向で、本来親米志向であったマンモハン・シン首相の外交政策も思い通りに進まず、米印原子力協定のみがシン首相自らの意志で進めた唯一の成果であった。

中国のインド領への侵入はこれまで2カ月に一度くらいの頻度で起きていたようだ。ラダックのインド住民は、長い間このことをインド政府に訴え続けてきた。彼らは中国に併合された後のチベットの同胞のその後を知っている。しかし、波風を立てたくないインド政府はこれといった対応をしてこなかった。

変化著しい米国の対印政策

インドの大半の国民にとって、これまで敵国はパキスタンであった。また、新型コロナウイルス感染拡大当初は、3月にデリーで開かれたイスラム教団体の集会が感染拡大源であったことから、非難の矛先はイスラム教徒であった。

インドのインテリ層には、非同盟中立が望ましいと考える向きがいまだに多い。米国はブッシュ政権時代には対テロ政策でインドに近寄ってきたが、オバマ政権では中国が重視された。そしてトランプ政権では、インドはアフガンのタリバンの後処理を押し付けられたほか、中国より遥かに少ない対米貿易黒字を盾に貿易交渉を強いられ、職業ビザの問題でも影響を受けている。イランとの関係も米国の干渉のために暗礁に乗り上げた。

岐路に立つインド外交

どの同盟にも属さず、どの主要国とも「友人」であるということは、「真の友人」も少ないことを意味する。中国との衝突で死者が出た後、インドを明確にサポートするコメントを出してくれたのは米国と日本だけである。

大国ばかりを向いた外交を展開していたため、周辺国との関係もおざなりとなっていた。最近になって、ネパールは中国に接するインド領を自国領とする地図を発表した。スリランカはハンバントタ港だけでなくコロンボ港の権利も中国に譲渡し、香港問題でも中国を支持した。バングラデシュはアジアでパキスタンに続く中国の最大借り手国となった。

中国の経済規模はインドの5倍であり、軍事支出を見ても3倍ある。そこにパキスタンも加わると、戦争になった場合のインドの勝ち目は少ない。衛星画像とともに領土を奪われないことを世論に要求されているモディ首相は、中国との交渉が難航する中で、いま厳しい立場に追い込まれている。

中印関係は、あと10年は回復しないであろう。近い将来に米国ブロックに加わることはないにせよ、今後インドが米国寄りを強めることは間違いない。インド外交はいま戦略見直しを迫られている。