10日に韓国陸軍の白善燁元参謀総長が亡くなった。白将軍は、朝鮮戦争勃発時、未だ米軍が本腰を挙げる前に第一師団長として釜山を死守、自ら突撃を敢行し米軍の本格的参戦を助長させた。彼の行動がなければ現在の韓国はなかったことから救国の英雄と言える。この「天は自ら助くる者を助く」の教訓は、我が国の防衛にも当てはまる。
ハリー・ハリス駐韓米国大使やロバート・エイブラムス在韓米軍司令官が埋葬式にまで参列したのとは対照的に、文在寅大統領は葬儀にも参列しなかった。
「日米韓同盟」の推進者
筆者が白将軍と最後に会談したのは、情報本部長時代の2002年で、ソウルのハイアットホテルで昼食を共にした時であった。当時、将軍はすでに80歳を越えていたが流暢な日本語で、しかも、かくしゃくとして記憶も正確であった。会談を通じ、将軍こそが「日米韓同盟」の推進者であると感じた。
白将軍は、防衛研究所が卒業前の外国研修旅行で韓国を訪問した際「この戦争(朝鮮戦争)は韓国の戦争であるので、韓国軍がより危険な所(死地)に跳び込んで連合軍よりも働き、自らの国は自ら身命を賭して守る気概を行動で示す」と講演された。
事実、白将軍は釜山橋頭堡攻防の天王山で北朝鮮軍3箇師団強の猛攻によく堪え、自身がマラリアに罹患しながら先頭に立って突撃するなど、反撃防御・連合作戦により北朝鮮軍を撃退した。この時、韓国第一師団が防御線を死守できなかったら、大邸が落ち、釜山が落ち、そして韓国が消滅していたであろう。
その後の反転攻勢で韓国第一師団は、戦車、歩兵などが一体となった諸兵科連合戦術で、米国第一騎兵師団より早く1950年10月に平壌一番乗りを果たしたのである。
この白将軍の講演に感銘を受けた自衛隊幹部が、後に目黒にある幹部学校長となった際、将軍を招聘して学生に講演して頂いたことがある。
将軍の埋葬場所
今回の死去に伴い、文在寅大統領は、白将軍を戦友が眠っている国立ソウル顕忠院には埋葬せずに大田顕忠院に埋葬した。北朝鮮の対外宣伝メディア「リュギョン」に至っては、白氏に「靖国神社に行け」と言い、「売国奴」とまで呼んでいる。
しかし筆者が会談した2002年は、当時の小泉純一郎首相が靖国神社に参拝した後であったが、白将軍は「何故、(日本の)総理は韓国民の嫌がることをやるのか」と語っていた。白将軍は北朝鮮が言うような「親日反民族行為者」でないことだけは確かだ。