中東で新たなゲームが始まった。8月13日、イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)が国交正常化に合意した。合意はアメリカの仲介の下に行われ、イスラエルはヨルダン川西岸併合の一時中断を約束した。
1979年、エジプトのサダト大統領はイスラエルとの国交正常化を果たしたが、多くの中東諸国から裏切り者との批難を浴び、最後は過激派に暗殺された。だが、今のところ中東で大きな混乱が起こる気配はない。パレスチナ問題は時代とともに風化し、かつての優先事項ではなくなったようだ。
湾岸諸国のバーレーンやオマーン、そしてイギリス、フランスなど、多くの国がイスラエルとUAEの国交正常化を歓迎している。イランやトルコは今回の合意が非合法であると反対しており、イランは他のアラブ諸国がUAEに追随しないよう牽制している。だがサウジアラビアは公式見解を控え、黙認する形をとっている。
イスラエル・UAE合意の背景
近年、イスラエルと湾岸諸国の間では、水面下での接触や安全保障面での協力がしばしば行われていた。しかし、イスラエルとUAEの国交正常化へ向けた動きは、ここ数カ月で大きく前進したようだ。アメリカは平和的合意の立役者となり、トランプ大統領は11月の大統領選へ向けて大きな実績を作ることができた。
イスラエルのネタニヤフ首相も平和的解決への道筋を示すことによって世界的な支持を獲得した。自身の汚職問題や新型コロナウイルスの感染拡大による支持率の低迷からの脱却も期待できるだろう。
経済ハブとして成功したUAEにとってもイスラエルとの今後の経済協力は魅力的である。UAEはイエメン内戦でサウジと行動を共にしているが、欧米諸国から人道的問題でしばしば批判を浴びている。経済ハブとして投資を集めるUAEにとって自国の評判は重要だ。UAEとしては、いち早く国交正常化を達成することで世界の評価を回復し、サウジとの行動の差別化を図る狙いもあったのであろう。
また、国交正常化の条件であるイスラエルのヨルダン川西岸併合はあくまでも一時中断にすぎない。再開する可能性は今後大いにある。しかし、国交正常化後の世論が示しているように、中東諸国民にとってパレスチナ問題が以前ほど高い優先事項であるとは言い難いだろう。
バイデン政権の誕生も想定か
では、なぜこのタイミングで合意が成立したのであろうか。イスラエル、UAE双方が望むのは、敵対するイランの影響力を限りなく低下させているトランプ政権の存続であろう。現時点でトランプの大統領再選は困難な状況にある中で、イスラエルとUAEの国交正常化は大統領選を間近に控えるトランプ氏を後押ししたことは間違いない。
仮に、民主党のバイデン前副大統領が大統領に就任した場合、アメリカとイスラエルの関係はトランプ政権時ほどの緊密さは失うだろう。むしろ、バイデン氏が公約通りにイランとの核合意復帰を実現した場合、イランが台頭して域内のバランスは大きく変わりうる。それはイスラエルにとって大きな懸念材料であり、UAEにとっても同様である。オバマ政権時の苦い記憶がよみがえる。
バイデン政権の誕生も想定し、イスラエルとUAEは、トランプ政権の間に国交正常化を達成し、対イラン包囲網強化の第一歩を準備しておく考えがあったのではないか。
UAEとしては、他の湾岸諸国がイスラエルとの国交正常化に続く道筋を示すことで、サウジとイスラエルの今後の調整役となることも期待できる。イランが、いち早くイスラエルとUAEの国交正常化合意に反対の意を示した理由もここにある。他の中東諸国の動向が注目される。
求められる日本の行動と役割
アメリカ大統領選の結果次第では、中東で再び大きなパワーバランスの変化が起こる可能性がある。
2019年の統計では、日本は原油供給の9割近くを中東からの輸入に依存している。だが、中東が混乱に陥った際、日本は安定的なエネルギー供給を確保する準備はできているのだろうか。日本はエネルギー供給先の多角化を再検討する必要があるだろう。
昨年、安倍晋三首相はアメリカとイランの仲介のためイランを訪問したが、その後、両国の主な仲介役を果たしたのはオマーンであった。日本は、トランプ大統領の伝言役として終わり、影響力の低さを露呈した。
そのような中、日本はアメリカの中東への関与低下により、安定的なエネルギー供給確保に向けて独自の行動と役割を果たすことが求められている。地政学の中枢が軍事から経済へと広がる中、日本も国内問題ばかりに関心を奪われず、積極的な外交戦略へと軸足を移していかなければならないだろう。