公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2020.10.28 (水) 印刷する

最終処分場文献調査の応募の意義 奈良林直(東京工業大学特任教授)

 原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」の最終処分場の候補地を設定する第一段階である文献調査に北海道の寿都すっつ町と神恵内かもえない村の2町村が手を挙げた。これに対し北海道の鈴木直道知事が反対を表明し、朝日新聞なども「実現の見通しのない核燃料サイクルを前提とした現行の処分計画には、根本的な問題がある」(10月15日付社説)と事実上の反対論を展開している。

最終処分場の立地に適地である地域を緑色に着色した科学特性マップを公表後に誘致希望をしたのは全国で初めてである。調査を受け入れた自治体には最大20億円が交付されるが、文献調査に応募したからと言って、最終処分場の誘致決定ではない。全国の多くの調査地点の中から審査や調査を経て最終的に1、2箇所が選定されるのであり、今から反対だの風評被害だのとマスコミが報道するのは適切ではない。

むしろ「トイレ無きマンション」と批判されてきた原発の高レベル廃棄物の最終処分場の立地問題が解決に向かう端緒になるわけであるから、2つの町村の決断には敬意を表すべきだ。原発を使い続けるか、廃止して脱原発を目指すかに係わらず、全国民が感謝すべきことであるし、マスコミはその謝意を示す多くの国民の声も報道してほしい。

心無い知事の「札束発言」

鈴木知事は8月18日の談話で「道条例には抵触しないが、拙速に決定せず慎重に判断してほしい」と述べるとともに、寿都町などが文献調査への応募を表明した背景には財政難があると指摘し、交付金で候補を募る国に対し「頬を札束でたたくやり方だ」とも批判した。まったく不適切で礼を失した発言である。

筆者も北海道大学に13年間奉職し、その間、北海道を隈無く講演して回り、講演会場においでになられた地元の皆様の笑顔や思い出がたくさん詰まった人生の宝の期間でもあるので、決して他人事ではない。

筆者は2014年11月にスウェーデン南部のエスポ島にある岩盤研究所を訪問した。この研究所はスウェーデン核燃料廃棄物管理会社(SKB社)が実施主体で、この研究成果をもとに2009年6月、最終処分場建設予定地としてエストハンマルの海に面したフォルスマルク原子力発電所・隣接エリアに選定した。

エスポ岩盤研究所で使用済燃料は、銅の円筒をくりぬいて作られたキャニスター(収納容器)に挿入される。さらに溶接で密閉したあと金属容器に収納され、大型のトレーラーでらせん状の坑道を地下450メートルの深さまで降りていく。

坑道に沿って、水平の穴と垂直の穴が設けられており、ここにキャニスターを大型の重機を用いて挿入する。施設で湧き出す地下水はポンプで排水している。エレベータを降りると、そこは、地底のコンサートホールになっていて、音楽と共にLEDの光が点滅する幻想的な空間となっている。

また、湧き出す百万年前の水も飲むことができる。ここから地底の坑道をしばらく歩いて降りていくと、キャニスターを埋設した水平穴に到着する。穴の入口もさらに粘土のブロックとペレットを用いて密閉してある。

北欧では反対派も見学に

地層処分の研究開発には、使用済燃料の密閉容器を作る技術、それを運搬する大型トレーラーや坑道に沿って掘られた穴にキャニスターを挿入し、埋設するためのロボット機能を備えた専用重機などの開発が必要となる。

使用済燃料を埋設した穴やキャニスターの温度を実測する膨大な数の温度センサーなども設置され、適切な温度かどうかなどの研究が実施され、研究成果が坑道の至るところに展示されている。

このエスポ岩盤研究所は一般公開されていて、年間1万人以上の見学者を受け入れている。原発反対を主張するグリンピースも見学に来たが、納得して静かに見て帰ったとのことであった。

北海道には幌延町に埋設処分の研究所がある。もっと多くの方に見学いただきたい。全国の各原発の使用済燃料プールや共用プールに貯蔵されている使用済み燃料のうち高レベル廃棄物を後世に先送りすることなく、研究成果を元に現時点で再処理して埋設処分することをしっかり決めることが必要と思う。

冷静で前向きな議論を期待

寿都町は、小樽から泊原子力発電所に向かう岩内町から西側の海岸を南下したところにある。地名はアイヌ語の「スッツ」に由来する。語源はシュプキペッで「矢柄に用いる茅のある川」の意であるという。江戸時代に松前藩によって開かれた。

寛永4(1627)年には寿都神社が創建され、海上交通は北前船の航路も開かれた。江戸時代後期には、一帯が天領とされ、津軽藩が寿都に出張陣屋を築き警固にあたったという。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の明治2(1869)年に寿都郡が置かれ、同33(1900)年 に寿都町となった。

漁業が盛んで、かつてはニシン漁で栄えた。今でも観光名所のニシン御殿もある。寿都町は、全国の自治体で初めて風力発電に取り組み、再生エネルギーの普及にも力を入れている。そうした日本のエネルギー問題に積極的な取り組みを続ける町長が、町の財政と我が国の将来を考えて大所高所から提案したのが、最終処分場の文献調査なのである。

寿都町とともに候補地として名乗りを上げた神恵内村も明治以来、漁業を中心に発展してきたが、昭和60(1985)年には1787人だった人口が今年8月には823人へと半減している。村の経済と雇用を確保する上でも有力な選択肢として検討が開始されてきた。気候が似ている北欧のスウェーデンやフィンランドでは、最終処分場の立地選定が進み、2020年代から30年代初めには最終処分が開始されることになっている。このような世界的な流れの中で、冷静で前向きな議論を期待したい。