令和2年11月17日、私どもは、法務大臣を被告とするある訴状を大阪地裁に提出した。私共はこれを「ブルーリボン訴訟」と呼んでゐる。
ブルーリボンとはいふまでもなく、北朝鮮による拉致被害者の生存と救出を願ふ意思表示として身に付ける青いリボンのことである。当初は布製であつたが、今は小さな金属製の青いバッジが多い。テレビを見ればわかるが、安倍晋三前首相や菅義偉首相をはじめ、閣僚や与党議員にとどまらず野党の政治家や一般人も多く着用してゐる。
ところが、大阪地裁堺支部の法廷においては、このバッジの着用が禁止されたのである。判決からわかる範囲で裁判の概要を以下に示す。
堺支部の裁判は、フジ住宅株式会社といふ一部上場会社及びその代表者に対し、同社に勤める在日韓国人の女子パート社員(甲女)が3300万円の損害賠償を求めて起こしたものである。
抗議のバッチと混同か
フジ住宅ではかねて全社員に対し、社員の教育、啓発、研鑽のために、新聞、雑誌、図書、ネット上での記事などのコピーを全社員に配布してゐた。甲女は、これらにはヘイトスピーチを助長する内容が含まれており、配布行為そのものが甲女に対する人格権の侵害に当たると主張した。裁判所は、この原告主張の一部を認め、賠償額を110万円として支払ふやう命じた。
この裁判は、平成27年8月31日に提訴され、令和2年7月2日に判決が出た。裁判の経過については、雑誌『正論』令和2年9月号で産経新聞大阪正論調査室長の小島真一氏が書いた「『ヘイト認定』が暴走 フジ住宅訴訟判決を解説」に詳しい。
この裁判の開始直後から、甲女の支援者たち多数は、ヘイトハラスメント・ストップの英語スローガンと人の顔がカラーで描かれた手のひら大ほどのブリキ製のバッジをつけて傍聴してゐた。
フジ住宅は各種の社会貢献活動を行つてゐる企業であるが、その支援者が裁判開始から2年ほど経つて、傍聴席でそのヘイトバッジに気が付き、はづすやう要求したところ、拒否された。このため、会社側の支援者もフジ住宅を象徴する富士山が描かれた同じ大きさのブリキ製バッジをつけて法廷に入らうとしたところ、甲女の支援者と口論になり、裁判所は、法廷警察権の行使として、両者にバッジの着用を禁止した。
この時、両者は指示に従つたのだが、平成30年5月の裁判の際、会社側の支援者がブルーリボンバッチをつけて傍聴券取得のために並んでゐたところ、今度は甲女の支援者が、これを見とがめてはづせと要求し、口論となつた。
メモ取りは認められたが
しかし、中垣内健治裁判長は甲女の支援者の要求を受け入れてブルーリボンバッジの着用を禁止し、法廷内のみならず、傍聴券取得のために並ぶ際の着用も認めなかつた。さらに、ブルーリボンバッジを着用してゐたフジ住宅の代表者の本人尋問の際にも、中垣内裁判長は代表者にバッジをはづすやう命令し、はづさなければ本人尋問を行はないと述べた。
このブルーリボンバッジの着用禁止命令は、以後も続いた。中垣内裁判長は、弁論終結後に松江地裁の所長として栄転し、判決は後任の森木田邦裕裁判長が代読したが、森木田裁判長も法廷内でのブルーリボンバッジの着用を認めなかつた。
法廷警察権は、法廷内の秩序維持のために裁判官の裁量が広く認められてゐる。中垣内裁判長は、当初のヘイトハラスメント・ストップのバッジと富士山のバッジは、いづれも相手に対する攻撃のメッセージ性があるとして禁止したもので、妥当性はある。
ところがブルーリボンバッジについては相手に対する非難のメッセージはまつたくなく、この着用者は法廷の内外を問わず常日頃着用してゐたものである。
法廷警察権については、法廷内でのメモを禁止した裁判官の命令が憲法違反であるとして争われた「メモ採取不許可国家賠償請求事件」(平成元年3月8日大法廷判決)が有名である。
元々、法廷の傍聴席ではメモを取ることが禁止されてゐた。米ワシントン州のローレンス・レペタ弁護士が日本の経済法の研究のために、各種の裁判を傍聴し、その際メモを取る許可を求めたがいづれも認められなかつた。そこで、それは憲法違反であるとして最高裁まで争つたのが上記事件である。最高裁もメモの禁止は法廷警察権の範囲内であるとしてㇾペタ氏は敗訴したが、この判決をきつかけに裁判所はメモを認めるやうになつた。
バッジ禁止は法廷警察権乱用
平成18年6月23日公布された「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」には「国は、北朝鮮当局による国家的犯罪行為である日本国民の拉致の問題(以下「拉致問題」)を解決するため、最大限の努力をするものとする」(第2条第1項)との規定があり、裁判官も公務員として、拉致問題解決のために最大限の努力をしなければならないのは当然である。
我々は、ブルーリボンバッジの着用禁止が、法廷警察権を逸脱したもので違法であるとして、国家賠償法に基づいて訴訟に踏み切つた。裁判の相手が中垣内裁判官や森木田裁判官ではなく法務大臣になつているのは、国家公務員の不法行為については、原則として国家公務員個人を訴へることができないことになつてゐるからである。