公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2021.02.08 (月) 印刷する

「女性蔑視発言」と一場の笑いについて 斎藤禎(国基研理事)

 森喜朗氏(東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長)の「女性が多い理事会の会議は時間がかかる」という発言をめぐって、心ある五輪担当記者たちは悩んでいる。

森氏の「女性蔑視発言」は、JOC(日本オリンピック委員会)の臨時評議員会席上でのことだが、出席者からの笑いが、さざ波のように広がっていったという。その笑いとは、「また失言か、森さんはしょうがないな」という笑いなのか、「そうだそうだ、その通り」と森発言への秘かな賛意を示すものなのか。同席していた山下泰裕JOC会長は、どうだったのか。

江藤淳は何に反発したのか

たかが一場の笑いと軽視すること勿れ。

その昔、江藤淳はある場での笑いに触発されて、「占領軍と検閲問題」にいっそう力を入れた。昭和55(1980)年のことである。日本記者クラブの研究会に招かれた猪木正道氏(当時、平和・安保研理事長)は、「最近、江藤淳さんとかいろんな人が勇ましいことをいいだしていますが、(略)当り前じゃないですか、占領軍が検閲しないという例がありますか。そんなこと、いまさらのようにびっくりして、ウッドロー・ウイルソン研究所に行ったというんですから、ご苦労さんな話だ、と思っているんですけどね。(笑)」と語った。

もちろん、江藤淳には猪木氏の発言はショックだった。が、一番反発したのは、猪木氏の放言を聞いていた記者クラブ会員諸氏の(笑)にあった。

なぜ、記者から(笑)が起こったのか。猪木氏の講演を聞いている記者クラブの重鎮たちの中には実際検閲を経験した人がいたはずだ。江藤淳は、この場での(笑)を、「そうだそうだ、猪木さんの言う通りだ」という気分を表現した(笑)ととった。占領軍(GHQ)による検閲という苛烈な経験をしたはずなのに、なぜそう簡単に自分を笑えるのか。江藤淳の怒りの矛先は記者たちに向かった。記者たちの(笑)をバネに、昭和55年の『一九四六年憲法―その拘束』をはじめとする『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』、『忘れたことと忘れさせられたこと』のいわゆる“占領三部作”を完成させるに至った。

戦後思想の一本調子が見える

笑いは、江藤淳のように人を奮起させる原因となる場合もあれば、横光利一のように失意のどん底に叩き落す場合もある。横光利一は川端康成と共に新感覚派の旗手として文壇に赫奕たる位置を占めていたが、東西文明の深い相克を描いた『旅愁』を書いたがために、戦後、GHQの執拗な検閲を受け、さらに当時の左寄りの文壇人から日本主義者として憫笑された。『旅愁』の中には神道にかかわる部分がある。それがいけないというGHQの検閲に、「そうだそうだ、その通りだ」と人々は乗った。人々の笑いに名声は地に堕ちた。

しかし、横光ほどの考察を、一体、誰が成し遂げたというのだろうか。ノーベル賞の川端にもない。他人を笑うことは自らの能力とは関係ない。時代と宗教(神道)との相克に挑戦した『旅愁』こそ島崎藤村の『夜明け前』とならぶ、昭和を代表する小説ではないのか。

森氏への発言に、笑った人も、非難する人も、その非難に便乗して「正義はうさんくさい」と高みの見物を決めこむ人も、よくよく考えてみたほうがよい。山本七平の『空気の研究』にも似て、戦後思想の一本調子が見えてくる。