公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2021.03.16 (火) 印刷する

いっそ「無観客」でも開催を 佐野慎輔(尚美学園大学教授)

 この夏、東京オリンピック・パラリンピックは本当に開催されるのだろうか? 私にもそう聞いてくる人が少なくない。

国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は、自身の再選を決めた3月10日からの総会の冒頭、こう述べた。

「7月の開幕を疑う理由はない」

開催権を持つ組織のトップの断言は何より重い。しかし、依然、疑義が呈されるのは新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)への根源的な恐れからである。

大会組織委員会は、海外からの一般観客受け入れを見送る方針を固めた。変異ウイルスの広がり、首都圏での感染再拡大の傾向もみられ、入国後の対策が難しいことが理由だ。バッハ会長は12日、「日本の判断を受け入れる」と述べて容認する姿勢を示した。

判断遅れは混乱招くだけ

しかし、観客の上限は4月に判断するとしたIOC、国際パラリンピック委員会(IPC)と日本政府、東京都、組織委員会の5者による合意については「先送り」するという。「5、6月の事態の進展も反映できるよう、なるべく遅く判断したい」。バッハ会長の言動は、日本側を少なからず困惑させた。

組織委員会は準備を進めるうえで、少しでも早く観客数を確定したい。ワクチン接種時期との兼ね合いも考え、医療従事者確保など感染防止策を急がねばならない。入場者絞り込みによる再抽選、入場券払い戻しも検討していく必要がある。判断遅れは混乱を招く。

一部にはワクチン接種を原則とする海外からの客を受け入れず、ワクチン接種が進まない状況の日本人観客を許容することへの反発もある。いっそ無観客の方がすっきりする。

個人的には、スポーツ大会に観客は重要な構成要素だと考える。アスリートのパフォーマンスに観客が拍手と声援を送り、両者が一体となって起こる歓喜の輪こそスポーツの神髄だといってもいい。しかし、この異常事態では「無観客」でも致し方あるまい。早い時期からそう書き、訴えもした。アスリートやIOC・IPC、国際競技団体など関係者に傾注して準備できる利点を考慮するべきだ。

実際、IOCが40億人と豪語するオリンピック観戦人口の大半は、テレビによる視聴にほかならない。2020大会ではインターネットによる視聴も進む。無観客でも支障はない。

「復興」発信は日本の責務

しかし、IOCには各国元首級を開会式に集め、大会の権威を示すことへのこだわりがある。スポンサーへの配慮も否定できない。

組織委員会にとって、無観客は収入源の消滅を意味する。東京大会の入場券収入は約900億円に及ぶ。減収はともあれ、ゼロになることは避けたい。予算を見直し、新たな収入を求めることは至難の業だ。一義的には都、最終的には政府からの補填を仰ぐことになるだろうが、国民感情がそれを許すか。今でも根深い不信感が増幅されることは間違いない。

なぜ、そこまでして開催するのか? 東京は開催しなければならないのか?

かつて日本がボイコットした1980年モスクワ大会の陸上1500メートル金メダリストで2012年ロンドン大会組織委員会会長を務めたセバスチャン・コー氏は、日本メディアにこう語った。

「オリンピックは開催国だけのものではなく、世界数十億人のもの。世界中が東京オリンピック・パラリンピックに希望と将来への期待を持って待ち望んでいることを、日本社会にもわかってほしい」

25日、聖火リレーは福島を出発、日本国内をめぐる。岩手県釜石で東日本大震災を経験した友人はいう。「ラグビーのワールドカップもそうでしたが、国際的なイベントはわれわれを勇気づけてくれます」―復興を世界に発信することは日本の責務でもある。