16日に日米安全保障協議委員会、いわゆる「2+2」が都内で行われた。1990年に日米の外務、防衛両省の閣僚級で行う現在の枠組みが出来てから今回で約20回目の開催であるが、そのうち筆者は在米日本大使館の防衛駐在官時代、4回出席している。
1996年は沖縄の普天間飛行場移設問題があって、9月にワシントンで、また12月には東京でと計2回行われた。後者では出席のため米国から一時帰国した。1997年には日米防衛協力のための指針(ガイドライン)改定で、また1998年には弾道ミサイル防衛への参画に関して、いずれも9月にニューヨークで行われた。
この4回の出席経験から日米間の非対称性を2点感じている。
制服軍人が半数の米国
通常メインテーブルには、日本は外務省と防衛省、米国は国務省と国防総省から約5名ずつ、日米とも計約10名ずつが座るが、米側はほぼ半数が制服軍人(太平洋軍司令官、在日米軍司令官、国務長官付統合参謀本部代表の中将、国防長官軍事補佐官の中将、国防武官)であった。これに対し日本側の制服自衛官は、統幕議長あるいは事務局長(将)と統幕事務局室長あるいは先任防衛駐在官(将補)の2名にすぎない。1996年9月の2+2にいたっては古澤忠彦統幕事務局長のみであった。
今回2+2共同声明の「総論」では「日米同盟の抑止力・対処力の強化に向けた連携をより一層深める」と謳われ、かつ「日本は、国防及び同盟の強化に向け、自らの能力を向上させる決意を表明」と記されている。ならば、この非対称性を放置しておいて良いとはとても思えない。
主導は国防総省と外務省
2+2開催前には事前の準備会合が何回か設けられるが、それを取り仕切るのは米側が国防次官補代理(筆者が駐在官時代は、現在ホワイトハウスのアジア調整官であるカート・キャンベル博士)であったのに対し、日本側は外務省北米局審議官(当時は田中均氏)であった。
当時は防衛庁(後に防衛省)の英語力のハンディーから外務省が取り仕切ったが、現在は留学経験者が相当育っている。今後、抑止力・対処力の強化や国防強化に向けて日本の能力向上がメインテーマとなるのであれば、リードするのは防衛省にすべきであろう。