現在の国分良成防衛大学校校長の後任に、国際政治学者で米国を専門とする久保文明氏が就任すると報じられている。筆者は、これまで毎年、米サンフランシスコで行われてきた日米安全保障対話を始め、様々な学会やセミナーで久保氏と同席したことがあり、彼の米国政治分析には一定の敬意を払っている。
それでも、これまで約60に及ぶ士官学校を訪問し、その結果を纏めた『世界の士官学校』を執筆した者として敢えて述べれば、各国の士官学校長は現役の将官(一部大佐の所もあるが)で、しかもその学校の卒業生であるべきだと思う。我が国も防大校長には現役の将官、できれば防大卒業生を起用することが望ましいと考えている。
研究優先の学者出身校長の弊
その理由は、防衛大学校は学者を作る所でもなければ官僚を養成する所でもないからである。にもかかわらず歴代の防大校長は学者か、あるいは夏目晴雄氏のようなキャリア官僚(防衛庁次官)出身者であった。
学者出身の学校長が何故不具合かと言えば、とかく自身の研究作業に没頭しがちで、関連のテレビ出演にも余念がなく、防大に軸足を置かないからである。
ある校長は、毎週金曜日には阪神・淡路大震災復興支援委員会に出席するため神戸に出張、後半は東日本大震災復興構想会議の議長を務めたこともあり、あまり防大には姿を現さなかった。
別の学者出身校長の時は、防大に出勤するのが週1回程度であったことから、学校長出勤時には、決済印を貰うために長蛇の列が校長室の前にできた。その点、西原正校長は「校長任期中はテレビ出演や外国出張、学会は一切出ないことにしている」とする数少ない校長であった。「防大を世界一の士官学校に」と言いながら校内の陰湿な虐めを深刻に受け止めていない学者出身校長も居た。
どこの国の軍にも時間厳守のカルチャーがあるが、学者出身校長は得てして時間を守らず諸行事の開始・終了時間を無造作に遅らせ、かつ朝の出勤も遅い。筆者は防大教授として8回の卒業式に立ち会ったが、事前計画通り履行された試しがなく、終了時刻は必ず30分はオーバーした。将来の幹部自衛官に、また全自衛隊に範を示さなければならない唯一の士官学校が「時間は守らなくても良い」とトップ自らが態度で示す悪弊が生じている。
文官に拘る意義は薄れた
土田國保校長は前警視総監であった。筆者は、現職自衛官かつ防大剣道部OBとして、横須賀勤務時に朝の寒稽古に良く参加したが、当時の土田校長は寒稽古に皆勤され、終了時「打つ太刀も打たるる太刀も何かあらん国守る魂をよし磨く身は」という水戸弘道館の指導精神を披露、防大剣道部もかくあるべしと訓示された。寒稽古の途中に不在となったので後から理由を調べたところ、学生の起床動作を視察していた。このように直接学生に後ろ姿で教育する学校長は、土田校長以前はおろか以後にも現れていない。
先の大戦の教訓から初代校長に槙智雄慶應大学教授をお迎えして旧軍の弊害であった精神偏重、偏狭な視野、特権意識で威張る軍人の短所を矯正する意義は、その時点ではあったであろう。しかし防大卒業生2名が既に防衛大臣に就くようになった今日、果たして文官の防大校長を継続する意義があるのかの議論が必要だ。