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2021.06.25 (金) 印刷する

深刻化する北朝鮮の食糧事情 西岡力(モラロジー道徳教育財団教授・国基研企画委員)

 6月15日から18日の4日間、朝鮮労働党中央委員会総会が開かれた。1月、2月にひきつづいて今年3回目の開催だ。半年に3回の開催自体が異例だが、そこで議論された内容も驚くべきものだった。全国規模で大規模な食糧危機が発生しているため、それに対する緊急対策が主要議題だったからだ。

会議冒頭で総書記の金正恩は「農業部門で昨年の台風の被害のため穀物生産計画を未達成したことによって現在、人民の食糧状況が緊張している」と述べた。しかし、昨年の台風の被害は1月と2月の総会の時点ですでに分かっていたことだ。そこで立てられた経済計画がうまく進んでいないから、6月現在で「人民の食糧状況が緊張している」のだ。

党中央委総会で緊急対策訴え

総会の議題は9つだった。ところが、朝鮮中央通信など外部世界に公開された議題と、朝鮮中央テレビが6月20日に報じた議題が異なっていた。朝鮮中央テレビは国内で流されるものだから、こちらの報道が正確なはずだ。

第5議題が、対外公開される朝鮮中央通信では「現在の実情で人民生活を安定、向上させるために優先的に解決すべき問題」とされていたが、国内用の朝鮮中央テレビでは「当面する食糧危機を克服するための緊急対策を立てることについて」とされていた。こちらが本当の議題なのだろう。

北朝鮮が「食糧危機」が起きていることを認めたのだ。国外の観察者には「食糧危機」を知らせたくなかったので、朝鮮中央通信などは正しい議題を伝えなかったのだろう。しかし、飢えに苦しむ人民が視聴する朝鮮中央テレビでは、金正恩や党の幹部らも「食糧危機」が発生していることを知っており、懸命にその克服のために努力しているとアピールしたかったのだろう。それをしないと、人民の不満が一層高まると警戒していたのだ。

ちなみに、第2議題も、中央通信は「今年の農業に力を総集中する問題」としていたが、中央テレビは「全党、全軍、全人民が今年の農業に力を集中することについて」だったと伝えた。「全党、全軍、全人民」が力を集中しなければならないほど今年の農業は危機だと北朝鮮指導部は認識しているのだ。ただし、すでに田植えは終わっている6月下旬にいくら会議で全党、全軍、全人民」の動員を決めても、もはや手遅れだ。端的に言えば、金正恩が中朝貿易を遮断し続けているために、肥料やビニールなど農業に必要な資材が確保できず、この秋の収穫も凶作が確定している。

危機感あふれる金正恩の演説

中央テレビによると金正恩は第5議題「当面する食糧危機を克服するための緊急対策を立てることについて」において、次のように危機感あふれる演説をしたという。この内容も中央通信ではかなり抽象的な表現に変えられ、ただ単に人民の生活を心配しているという程度にごまかされていた。

中央テレビ報道からわたしが書き起こしたその部分を拙訳で紹介する。(傍線筆者)

総書記同志におかれてはいま人民生活を向上させるにおいて切迫した当面課題は食糧供給から造成される緊張を解消するための対策を立てることだ、とおっしゃりながら、多数の協議において直接、お知りになった人民経済部門別と各道別の食糧供給実態と今後の需要量について言及なされました。過去に食糧供給において出現した現象について指摘され、人民らに対する食料保障を持続的で安定的に担保するための積極的な対策と合理的な方途について明らかにされました。今回の全員会議において現時点で人民らが第一に関心を持ち、望んでいる切実な問題を至急に解決するための決定的な執行措置を執ろうとする、とおっしゃって、国家的に糧穀が保障されれば輸送と加工を迅速に行い、人民たちに食糧が届くまでのすべての事業を責任を持って行なわなければならない、と強調されました。

総書記同志におかれては、困難なときであればあるほど人民たちの生活上の困難を一つでももっとなくしてやりたいという切実な心と強い決心をこめて、真に悄然とする特別命令書を発令されました。全員会議全体の参加者たちは国の全人民の運命と生活について全的に責任を負われ、守ろうとされる偉大な父の心情が込められた措置に熱のこもった拍手で同意しました。

軍や党幹部まで配給が一時制限

傍線部分を中心に解説したい。金正恩は「切迫した当面課題は食糧供給から造成される緊張を解消するための対策を立てることだ」と語っている。議題に書いたとおり現在、「食糧危機」が発生していると認めたのだ。

そして「問題を至急に解決するための決定的な執行措置を執ろうとする」「国家的に糧穀が保障」「特別命令書を発令」と語り、映像を見ると自身が署名した命令書なるものを掲げて参加者に見せ、参加者が全員立ち上がって万雷の拍手を浴びせた。中央テレビでも命令書の中身については伝えていないが、内部情報によると戦争備蓄食料を放出するという「特別命令」だったという。7月に平壌で20日分、地方ではそれより少ない量が配られるという。

現在の経済危機は1990年代の大飢饉とは様相が異なっている。当時は配給を待っていた人民や一般党員ら300万人以上が餓死した。今回は、人民は自力で食べている。

苦しいのはこれまで配給で食べていた、平壌市民、人民軍、党と治安機関だ。平壌の配給事情もすさまじい。2020年4月から12月まで平壌市の大部分の地域で主食配給が止まった。平壌には19区域、4郡あるが、そのうち中心部の6区域=中区域、普通江(ポトンガン)区域、牡丹峰(モランボン)区域、船橋(ソンギョ)区域、大同江(テドンガン)区域、万景台(マンギョンデ)区域=だけで主食配給が続き、それ以外の13区域、4郡では4月から6月まで配給が止まり、7月に半月から一ヵ月分が出て、8月から現在まで止まっている。

2021年に入り中心部6区域でも一般住民の主食配給は止まる。居住地域での配給はなくなり職場単位で主食配給が本人の分に限って出ている。出ている機関は、党中央、人民軍、保衛省、安全省、それから政府機関の中の力の強い省だという。

2021年3月から幹部にだけあたえられていた主食以外の物資支給(「供給」と呼ぶ)が止まった。党中央課長まで止まっている。食用油、小麦粉、魚、肉、醤油等の食料や靴、石けん、医療品なども全て止まっている。平壌に住む幹部らの生活難が深刻化している。これは史上初めてだ。その結果、平壌の幹部、インテリの不満が高まるだけ高まっている。

そこでついに金正恩が「食糧危機」を認め、戦争備蓄食料の放出を大々的に宣伝するに至った。これで飢饉が解消するかどうかは、今年の夏の台風被害、秋の収穫量などをみないと分からない。