公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2021.06.28 (月) 印刷する

ある実業家の「堂々たる文章」 斎藤禎(元編集者・国基研理事)

 60年安保のとき、高校2年生だった。

6月の昼休みの校庭では、「アンポハンタイ」、「岸を倒せ」と腹に響くような声を発しながら、少なからぬ生徒たちが、隊列を組んでいた。国会周辺で大きなデモがあった翌朝、ホームルームに行くと、輪の真ん中で、「きのう、警備のお巡りに蹴飛ばされた」とズボンの裾を捲り上げた級友が、脛の青あざを見せていた。

秋になると、開校以来続いてきたという伝統が売りの校内雑誌を編集する文芸部員が、不平を鳴らしているとの噂が流れてきた。「アンポハンタイ」の中心だった3年生たちに原稿を頼みに行ったら、「今は勉強で忙しい」と一蹴されたというのだ。

そんな時に手にしたのが、この年に刊行された武田泰淳の『政治家の文章』(岩波新書)だった。旺文社が刊行する受験雑誌に「岩波新書がスラスラ読めれば、入試は万全」とあったから、岩波新書は割と買っていた。

率直さに惹かれたコラム

しかし、武田泰淳の文章は手に余った。

文学少年だった級友のひとりに助けを求めると、「政治家にも私がある。私があればエゴもある。エゴイズムという観点から政治家の文章を考えたものだ」と解説してくれた。

宇垣一成、近衛文麿、重光葵、芦田均、徳田球一らの文章への印象を綴ったのが『政治家の文章』だが、高校生の目に意外に写ったのは、日本帝国主義の権化と断罪されて当然と思っていた近衛に対して、作家がある種の同情を寄せ、その教養に信をおいていることだった。

「岸内閣の大臣諸氏のうち、この程度の、全世界を向うにまわした政治評論の書ける人物がいるや否や疑わしいほど堂々たる文章」と近衛の文章を評していた。

この6月、G7首脳会議は如何?と新聞を眺めていたら、ひとりの実業家の文章が目にとまった。日経新聞夕刊(6月14日)のコラム「あすへの話題」の伊藤忠商事会長CEO岡藤正広氏の文章が、それだった。

「自分にはつくづく商人との縁があると思う。大阪の実家は食堂やデパートに総菜や野菜を納めていたが…」ではじまり、「私はサラリーマンになったが、商人であり続けている。」で閉じていた。毎週月曜が岡藤氏の出番と分かったので、率直さに惹かれて遡ってみると、5月24日付にこんな文章があった。

先日発表した2021年3月期決算にて純利益、株価、時価総額の3つで商社のトップに立つという『商社三冠』を達成した。10年前までは『万年4位』と言われたことを思えば感慨深いとのっけから業績を誇っていた。

鴻毛の言説弄する政治家

こういう上司の下で働くのは、ノルマがきついだろうなと心配しながら先に進むと、ただ、私には三冠より大切にしたいものがある。あれは4年前のことだ。ある雑誌で『幸せな会社ランキング』の2位に当社が選ばれた。するとがんで闘病中の社員から『私の中では伊藤忠が一番いい会社です』というメールが届いた。長期療養者への対応に感謝したいという内容だった。とある。

メール発信者は、この直後に亡くなったとのことだが、会社が、社員の闘病に最先端の治療を保証し、万一のことがあれば、残された子供たちが大学院を出るまでの教育費補助を拡充していることなどを紹介したあと、岡藤氏は、『社員にとって一番の会社になる』という彼への約束を果たせたとは、まだ思っていない。改めてここで誓う。彼に恥じない会社にするための努力を、私は怠ることはない。と書く。

亡き部下へ決意を述べる功成った実業家と、コロナに手こずり鴻毛のごとき言説を弄する政治家を、現状で比べるのは、勿論フェアではないが、そのたたずまいに差があることは否定しがたい。武田泰淳が言う「堂々たる文章」とは、こういう類の文章をも指すのではなかろうかと、今頃になって了解した。