米軍撤退に伴いアフガニスタン政府軍は崩壊しタリバンに乗っ取られた。バイデン大統領は「アフガン人自身が戦う意思なき戦争で米軍は戦って死ぬべきでない」と述べた。
日本も2002年と2012年に東京でアフガン支援国会合を開催し、68億ドル以上の援助を実施した。筆者も情報本部長時代にアフガンを管轄する米中央軍司令部(フロリダ州タンパ)を訪問し、日本政府が行っている武装解除・動員解除・社会復帰(DDR:Disarmament, Demobilization and Reintegration)努力を目の当たりにしてきた。
自国の防衛意思がない国は、外国が助けようとしても助けられないのは当然である。これは我が国に対しても、また近隣諸国に関しても同様のことが言える。ここではフィリピンの例を取り上げてみたい。
フィリピンの教訓生きず
冷戦後の1990年初頭にフィリピンはクラーク空軍基地とスービック海軍基地の撤退を米国に要求し、米国はそれに応じた。その直後の1992年に中国は領海法を発布し、南沙・西沙諸島を始め尖閣諸島を含む広大な海域を自国の管轄だと主張した。
フィリピンが領有権を主張している南沙諸島のミスチーフ礁にも、はじめは緊急時の漁民避難施設を建設するという口実で建築物を作り始めた。当時、在米日本大使館の防衛駐在官だった筆者は、フィリピン軍の参謀総長から「既に4階建ての建物を作られてしまった。中国は漁民の避難用と言っているが、作業しているのは人民解放軍の服を着ている」と直接聞いた。
1999年に至ってフィリピンの国防大臣が米国防総省に泣きつき、「訪問米軍に関する地位協定」(Visiting Forces Agreement-VFA-)に調印、2002年には軍事後方支援合意(Military Logistics Support Agreement-MLSA-)を交わして米軍の後方支援を受けられるようになった。2004年には当時のアロヨ大統領が「米軍は、フィリピン兵士が南沙群島を防衛できるように訓練している」と述べ、次のアキノ3世大統領も中国の南シナ海埋め立てを「国際法違反」として常設仲裁裁判所に訴えた。
中国に融和策は通じない
仲裁裁判所の判断ではフィリピン側の全面勝訴となったにも関わらず、2016年から大統領になったドテルテ氏は対中融和策を取り、昨年2月にはVFAを8月までに破棄すると米国に通報した。
米比の不和を見てとった中国は待っていたとばかりに約220隻の漁船を南沙のサンゴ礁に居座らせた。こうした状況からフィリピン政府は、今年7月末のオースチン米国防長官の訪問時に、VFAの破棄を撤回することになる。
VFAの破棄撤回は、台湾有事の際にも意義が大きい。なぜなら米軍は現在、台湾空域に無補給で展開できる空軍基地を沖縄の嘉手納にしか保有してないのに対し、中国は約40カ所保有しているからである。フィリピンとのVFAが有効であれば、米空軍はルソン島の飛行場をも使用することができる。
自国防衛の意思が強固でなければ、同盟国も手を差し伸べてくれない。フィリピンは他山の石とすべき好例であろう。