公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2021.11.08 (月) 印刷する

米「アジア回帰」のカギはTPP 湯浅博(国基研企画委員兼主任研究員)

成長の著しいASEAN(東南アジア諸国連合)をめぐって、アメリカと中国が「勢力圏」の争奪を活発化させている。アジア軽視のトランプ前大統領に対し、バイデン大統領は「自由で開かれたインド太平洋」を掲げてアジア外交を積極展開し、中国を「ルールに基づく秩序への脅威」と位置付けた。対する中国は、これら首脳会議などを通じて「ASEANは近隣外交の優先事項」と応じて、綱引きは激しさを増している。

米国の影響力排除狙う中国

アフガニスタンからの撤収で戦術的な痛手を受けたアメリカは、すかさず戦略転換して「対中リバランス(再均衡)」へ舵を切った。それを警戒する中国は、意表をついてTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への加盟を申請した。間髪入れずに台湾も名乗りを上げ、自由貿易協定であるはずのTPPがにわかに政治化してきた。

大国主義の中国がTPPに加盟すれば、巨大市場をバックに大きな顔をするのは必然だし、TPPルールを自分に都合よく変更を求めるのは目に見えている。中国指導部には、かつてアメリカ側に「ハワイ沖で太平洋を二分しよう」と語ったように、冷戦期のような「勢力圏」思考が強い。アメリカが加盟する前にTPPを乗っ取り、地域覇権を獲得する道具として西太平洋で勢力圏の拡大を目指すだろう。

しかも、中国の準同盟国であるロシアのプーチン大統領は、米中露3カ国がそれぞれ独自の地域覇権をイメージして、「新しいヤルタ協定」の締結をたびたび口にしている。1945年2月にクリミア半島のヤルタで、米英ソ3カ国首脳が戦後の勢力圏を相互に尊重する合意をしたように、米中露が新しい勢力圏を確定し、相互に介入しないとする提案である。それを中国に当てはめると、台湾、南シナ海、北朝鮮、パキスタン、アフガニスタン、そして東南アジアが該当する。

特に経済成長が著しい東南アジアは、南シナ海とともに、中国がアメリカの影響力をもっとも排除したい地域である。前米国家安全保障局アジア上級部長のマット・ポティンジャー氏によると、中国はまず、アジアにおける影響力を希薄化し、アメリカンパワーを地域から追い払い、最終的に北京の全体主義モデルに適した世界秩序を支配することを目的としている。

日本は台湾加盟に道を開け

TPPにはもともと、日米が主導した「中国に対する経済包囲網」という暗黙の合意があった。しかし、内向きのトランプ前大統領は、就任するとすぐにTPPからの離脱に踏み切っている。トランプ氏の外交政策の中でも、最悪の判断のひとつであり、バイデン大統領もこれを踏襲して復帰する意欲に乏しい。民主党の支持基盤である労働組合の幹部たちが、TPP復帰に同意しようとしないからだ。

アメリカの対アジア外交に今、もっとも必要なのは信頼の回復である。バイデン政権が東南アジアを取り込もうと考えるなら、トランプ政権が他の11カ国を裏切る形で撤退したTPPへの加盟を推進すべきなのだ。ASEANは過去20年で対中貿易を約9倍に拡大しているが、西太平洋の安定に対するアメリカの指導力への期待はなお大きい。

中国はアメリカが離脱した穴を埋めて、逆に太平洋地域での影響力の拡大に利用する構えだ。加盟が先に実現すれば、真っ先に現状のTPPルールを換骨奪胎し、かつアメリカや台湾の加盟を阻止するだろう。しかも、加盟国の多くが対中貿易依存度の高いことを利用して、切り崩していくことも可能だ。

したがって、日本はTPPが中国の覇権分捕りに利用されないよう知力を尽くして加盟を阻止し、同時に民主主義の価値を共有する台湾には加盟への道を開くべきであろう。かつて、中国のWTO(世界貿易機関)の加盟には、交渉開始に時間をかけて15年間も引き延ばしている。TPPもまた、日豪加墨が連携して高い水準の規定を中国が受諾できるかを問題にして、恒久的に棚上げしてしまうことが妥当だろう。

安保面でも重要な米のTPP復帰

さらに、安全保障面では、日米豪印4カ国の戦略枠組み「クアッド」を軸に、米英豪3カ国からなる安全保障の新しい枠組み「オーカス」と連携し、中国による台湾侵攻を抑止する強固な体制を築くことである。

この間に日本は、インド太平洋地域でのプレゼンスを維持する地政学上の理由から、アメリカをTPP復帰へと誘導すべきだろう。キャサリン・タイ米通商代表は、TPPが数年前に交渉されたものだとして、「インド太平洋地域のパートナーや同盟国への投資や関与については、今の現実や課題に対応しなければならない」と述べ、参加には肯定も否定もしていない。ホワイトハウスのサキ報道官も、「バイデン政権はTPP加盟交渉の機会を検討する意思がある」と肯定的な方向にシフトさせている。

バイデン政権が国内をどうまとめるかの手腕にもよるが、TPP加盟を果たさなければアメリカのインド太平洋戦略は間違いなく中国に差し込まれ、ジリ貧になるだろう。TPPを対中競争の文脈にきちっと位置付ければ、超党派の支持拡大が期待できる。