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2022.01.28 (金) 印刷する

ウクライナ危機でのドイツのジレンマ 三好範英(読売新聞編集委員)

ウクライナ情勢が緊迫の度を増している。ロシアはウクライナ周辺に侵攻を想定していると見られる10万規模の軍隊を展開させている。これに対しバイデン米大統領は1月24日、ウクライナ周辺の東欧地域に最大8500人規模の米軍を派遣することを明らかにした。

バイデン氏は「もし侵攻すればロシアにとって破滅だろう」とも述べ、ロシアを強く牽制した。米国がロシアに対して厳しい姿勢で臨む中、ヨーロッパの主要国ドイツの対応が問われている。

影薄い新政権の外交

ウクライナ危機とドイツとの関係といえば、2014年3月のロシアによるクリミア併合、東部ウクライナの親ロシア派支援という危機に際して、メルケル前ドイツ首相が行った精力的な仲介外交が記憶に残る。

2014年6月6日、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線の転機となったノルマンディー上陸作戦70周年の記念式典が行われた際、メルケル氏のイニシアチブで、当時のプーチン・ロシア大統領、ポロシェンコ・ウクライナ大統領、オランド・フランス大統領の4者で「ノルマンディー・フォーマット」と呼ばれる協議を発足させた。

そして9月「ミンスク1」、2015年2月に「ミンスク2」の停戦合意をまとめた。とりわけ「ミンスク2」に向けては、メルケル氏はキエフ、モスクワ、ワシントン、ブリュッセルなどを行き来し、仲介外交を行った。総移動距離は地球の半周に当たる2万キロに達したと言われた。

それに比して、今回の危機でのドイツの影は薄い。2014年とは反対に米国がイニシアチブを発揮し、ブリンケン国務長官が積極的なシャトル外交を行っている。

それはまず、昨年12月8日に就任したばかりのショルツ首相(社会民主党=SPD)やベアボック外相(緑の党)に、まだ外交で国際社会を主導するだけの力量や定まった評価がないことがあるだろう。

ベアボック氏は、ワシントン、キエフ、モスクワを歴訪し、さっそくウクライナ問題に関して実質的な協議を行った。ただ、記者会見で用意された原稿を読み上げる姿からは、メルケル氏が秘めていた迫力や力量を感じることはできない。ショルツ首相も1月25日にマクロン・フランス大統領と会談したが、まだ外交の舞台では控えめな役割を果たすに止まっている。

ただ、こうした属人的な要素は、両氏が経験を積むにつれて解消されるだろう。ドイツの存在感の薄さが示すのは、今のドイツ外交の本質が抱えるジレンマである。

武器供与を拒否

ドイツにとって最も差し迫った問題は、米国やウクライナから強く求められているウクライナへの武器供与要請に応えるかどうかだ。

米、英、仏やポーランド、リトアニアなどの東欧、バルト諸国は、すでに武器供与を実施あるいは約束している。しかし、ショルツ政権はこれまでのところ武器供与拒否の姿勢を崩していない。ウクライナは、「ドイツは北大西洋条約機構(NATO)が協力してウクライナに防衛的な武器を供与するのを妨害した」(ゼレンスキー・ウクライナ大統領)などと強く反発している。

ベアボック外相は1月18日、キエフで行われたクレバ・ウクライナ外相との会談後の記者会見で、「外交が唯一の方法だ」とあくまでも外交的に危機の解決を目指す方針を明らかにし、ウクライナへ武器供与を行わないのは、「ドイツの歴史に根ざしている」と述べた。

確かにドイツは、かねて首相や主要閣僚からなる安全保障委員会(Bundessicherheitsrat)を設け、紛争当事国には輸出しない、などの規定に基づいて武器輸出や供与の可否を決めている。野放図な武器輸出を制約する歯止めをかけるのは、ナチ・ドイツがヨーロッパを軍事力で席巻した歴史からの教訓であり、理解できる姿勢ではある(ただし、ドイツは米国、ロシア、フランスに次ぐ世界第4位の武器輸出大国であり偽善性はつきまとう)。

武器供与の問題は2014年のウクライナ危機の際、オバマ米政権との間でも摩擦を生んだ。メルケル氏が武器供与に反対し、「ミンスク2」合意を目指して精力的に動いたのは、米国の武器供与が本格化し、紛争激化につながるのを恐れたことも背景にあった。

ヨーロッパのいわば庭先にあたるウクライナでの危機の深刻化は、経済関係全般や難民発生など、ドイツに直接的な影響を及ぼす。紛争の激化を回避したい切迫感は、米国とは自ずと違いがあることも確かだ。

抑止より対話

ただ、より本質的な問題は、第2次世界大戦後、西ドイツ以来の外交思想に、軍事的な均衡を図ることによる抑止の思想が希薄なことだろう。

戦後ドイツ外交は、ナチ・ドイツを教訓に、対話や多国間協調を基礎に置く平和主義を一つの特徴としている。緑の党の党務を中心に政治キャリアを積んできたベアボック氏は、とりわけこの平和主義に強い確信を抱いているようだ。

その限界について、ドイツ国内でも指摘する声が出始めてはいる。

政府系シンクタンク国際安全保障問題研究所(SWP)のマルクス・カイム上級研究員は25日、ドイツ公共放送ARDに対し、「ドイツが中立、誠実な仲介者の役割を果たそうというのは間違いだ。大切なのは武器供与をテコにしてロシアに圧力を掛けることができるかどうかだ」と語った。

イギリスに本部を置く国際戦略研究所(IISS)の研究部長で、ドイツ国防省の研究部門にもいたことがあるバスティアン・ギーゲリッヒ氏も、英紙フィナンシャルタイムズへの寄稿で、「ドイツの安保政策は軍事力や権力政治を時代遅れとする傾向があるが、中国、ロシアの新しい挑戦に対応できない。次の政権はメルケル時代の陳腐な教義を捨て、戦略的思考を取るべき」などと、より根本的な指摘をしている。

ただ、こうした意見はまだ少数派に止まる。ベアボック氏に止まらず、ドイツの平和外交は、ナチ・ドイツの惨憺たる失敗、平和的に実現した冷戦崩壊やドイツ統一という成功体験、友好国に囲まれている今のドイツの戦略的安定などによって、むしろ堅固になっており、ドイツの政治家や外交当事者にあまねく共有されている印象がある。

ベアボック外相は1月18日、ロシアのラブロフ外相と会談した際、「ノルマンディー・フォーマット」の再開を求めた。「欧州連合(EU)、先進7カ国(G7)、NATOが一致団結して関与することが最も効果的なテコになる」とも発言している。ドイツが考える危機回避のシナリオは、メルケル時代と同様、当事者を巻き込んだ多国間の枠組みを活用し、外交的に当事者間の妥協点を見いだす努力を続けることだ。

ただ危機が深化したときにこれがどこまで通用するかはわからない。西側世界の結束を訴えるベアボック氏の主張とは裏腹に、独誌シュピーゲル(2022年1月22日号)は、ドイツの姿勢こそが西側同盟の結束に障害となりかねないと指摘している。

ロシアへの「理解」

さらにドイツにとってロシアとの関係は、単にロシアを権威主義国家として敵視すれば済むような単純なものではない。

1月23日、カイアヒム・シェーンバッハ海軍総監が辞任した。訪問先のインドで、「クリミア半島は失われた。帰ってくることはないだろう」「ロシア軍のウクライナ侵攻(のシナリオ)はナンセンスだ」などと発言し、ウクライナから強い抗議を受けていた。

不用意な発言だが、ドイツ政治家、軍人の一部にある本音を垣間見せたものと解釈できる。

シュミット元首相(SPD)は、クリミア併合の際、「プーチンの行動は理解できる」と発言して波紋を投げかけた。クリミアが辿ってきた歴史的経緯を根拠に、ロシア領に組み込むことに理解を示す発言だった。

ブラント元首相(SPD)が冷戦期、「東方外交」によって東ヨーロッパ諸国やソ連との関係正常化を行ったことに見られるように、政党ではSPDが歴史的に対ロシア関係を重視する傾向が強い。「東方外交」のスローガンは、「接近による変化」であり、対話や関係強化による東側世界の変化を期待したものだった。

ウクライナ問題でのロシアの強硬姿勢は、ロシアの安全保障上の懸念に配慮せず、NATO東方拡大を進めてきた西側世界に責任がある、とする見方も、特にSPD、緑の党の中で根を張っている。

こうした親ロシア的な立場を取る人々を揶揄する「ロシア理解者」「プーチン理解者」という言葉もあるが、ドイツとロシアは、啓蒙主義や合理主義を西側世界の価値観と見なして、それへの反発を共有する歴史も持っている。特にSPDに顕著な親ロシアと、その裏面である反米のルーツは、歴史的に根深い。対ロシアに関して米国とドイツの溝は、むしろ自明のことと見た方が事態を冷静に見ることにつながる。

エネルギー依存

さらにドイツは、天然ガス輸入量の55・2%をロシアに頼るなど、エネルギー面でロシア依存が著しい。

ドイツは、シュレーダー時代から、ロシアからドイツに直接輸入できるバルト海海底のガスパイプライン「ノルトストリーム」敷設を進め、メルケル政権も2018年から、ガス量を倍増するべく、「ノルトストリーム2(NS2)」敷設に着手し、昨年完成させた。

ドイツは脱炭素社会の実現を目指し、再生可能エネルギー導入を急ぐのと平行して、脱原発、脱石炭を進める「エネルギー転換」を進めてきた。ショルツ政権はこの政策を前倒しで実施する方針だ。そうすると不安定な再生可能エネルギーをバックアップし、電力の安定供給を保証するエネルギー源は天然ガスしかない。エネルギー供給源としてのロシアの重要度はむしろ増している。

NS2に対しては、米国、東ヨーロッパ諸国、ウクライナは、経済安全保障上の懸念、通過料収入減などを理由に当初から反対だったが、メルケル氏は「NS2は純粋に経済的なプロジェクト」と主張して建設を押し通してきた。ショルツ首相も基本的にこの姿勢を堅持している。

ロシアのウクライナ侵攻が現実味を増す中で、米国は制裁措置の一環としてNS2の廃棄を選択肢に含めるべきとの主張を強めている。

フィナンシャルタイムズ(2021年12月22日付)でブルッキングス研究所シニアフェローのコンスタンツェ・シュテルツェンミュラー氏は、「ヨーロッパの経済的錨(重し)であるドイツは、ロシアを抑止する西側のどんな努力においても欠くことができない存在」として、ショルツ政権にとって財政的、政治的に高くつくが、NS2の廃棄を含む制裁措置は不可避、と論じている。

ショルツ政権は、ドイツのガス事業の監督官庁が審査を行っているという名目でNS2の稼働を先延ばししている。その間に何とか危機の沈静化を待ちたいのが本音だろうが、早晩態度表明を迫られる状況になるかも知れない。

SPDはNS2事業を推進してきた当事者だが、緑の党は化石燃料である天然ガス依存に反対の立場で、ベアボック外相は、政権参加前、NS2に反対の立場を明言していた。連立与党の自由民主党(FDP)も経済安全保障などを理由にNS2のモラトリアムを主張してきた。

ショルツ政権発足に際し、SPD、緑の党、FDPの3党で交わした連立協定には、「最新のガス発電所増設」は明記されているが、NS2への言及はなく、与党間でNS2事業推進に関してコンセンサスはない。政権与党を束ね、政策決定をするのは国内政治的にも多大な労力を要するだろう。

NS2の断念はドイツのエネルギー需給逼迫を招きかねないし、事業を推進したガスプロムなどの企業から膨大な補償要求を突きつけられるだろう。事業継続を決断すれば、対米関係やヨーロッパの結束の維持を危うくしかねない。ドイツの抱えるジレンマは深刻だ。

西側世界にとってロシアの意志をくじけるかどうか、今が正念場だ。ドイツが平和主義、対ロシア宥和政策を貫こうとするならば、西側の結束を弱め、ロシアに対して誤ったメッセージを送りかねない。

ウクライナ危機の推移によっては、ロシアのみならず中国の権威主義体制が勢いづくだろうし、日本としては台湾危機への影響が懸念される。エネルギー価格のさらなる高騰など世界経済への影響も甚大だろう。言うまでもないが、危機の帰趨は日本にとっても他人事ではない。