公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2022.04.25 (月) 印刷する

なぜ「攻撃力」と言わないのか 太田文雄(元防衛庁情報本部長)

政府の国家安全保障戦略などの改定に向けて、自民党の提言が21日まとまり、「敵基地攻撃能力」については、「反撃能力」に呼称変更したうえで保有することが盛り込まれたと報じられている。

「反撃能力」とは敵からの攻撃を受けて初めて攻撃に移れる能力である。厳密に言えば、敵が明らかに我が国を攻撃しようと企図していて、弾道ミサイル防衛では能力的に迎撃が難しいと分かっていても、敢えて敵からの攻撃がない限り行使できない事になる。

なぜ、シンプルに「攻撃力」あるいは「打撃力」と言わないのであろうか。元を辿れば「専守防衛」を用語として使用したことからボタンの掛け違いが生じ、その後も尾を引いていると言える。

専守防衛にこだわる政治判断

「専守防衛」と言う言葉は、昭和30(1955)年に、当時の防衛庁長官だった杉原荒太氏が初めて国会答弁で使用したが、中曽根康弘防衛庁長官時代に初めて出版した防衛白書で正式用語として使用された。いつの間にか、これが国是になってしまい、現在、防衛省の売店に行くと「専守防衛」と言う名のお菓子が販売されている始末である。

しかし専守防衛は、政治的な造語であり、本来は「戦略守勢」と言う軍事用語を使用すべきであった。戦略守勢とは、戦略的に攻勢は採らないが、その目的を達成するために戦術的に攻撃手段を留保する意味で、専守防衛の英訳のようにExclusive Defense-orientedと「防衛に限られた手段のみ」とは異なる。弾道ミサイル防衛も、目的は防衛であり、その手段として敵ミサイルの発射源や指揮官制施設等を攻撃するのである。

今回、シンプルに「攻撃力」とできなかった背景には「専守防衛」から逸脱する印象を内外に与えたくないとする政治的配慮があったのではないか。

「反撃」の前に全滅する恐れも

弾道ミサイルからの防衛に限らず、昨今の安全保障環境に不可欠なサイバー戦や宇宙での戦いにおいて、攻撃を受けてからの反撃では、取り返しのつかないほどの被害を受けてしまう。核弾頭による攻撃に至っては、反撃する前に全滅してしまう。即ち抑止力としては機能しないのだ。

これまで心ある自衛官は、専守防衛やGDP比1%の防衛費では、日本の防衛は全うできないと思っていた。しかし、それを口に出したり物に書いたりすると昭和56(1981)年当時の竹田五郎統合幕僚会議議長(制服のトップ)のように、当時の大村襄治防衛庁長官から戒告処分を受け、職を辞さざるを得なくなるので、口には出せなかったのである。

我が国は、中国、北朝鮮、ロシアという、核を保有し、一方的現状変更を企図する国々に囲まれている。今こそ、攻撃力を保持しなければ抑止力が効かないことを肝に銘じなければなるまい。