ウクライナを侵略したロシアは当初、5月9日の対独戦勝記念日までに一定の成果を挙げて国内的に戦勝ムードを祝う予定であったが、東部2州の完全制圧すらままならない状況である。如何にロシア軍の侵攻が拙劣であるかは、純軍事的観点から約20年前のイラク戦争と比較してみると良く判る。
拙劣さ目立つロシア軍
国土面積と人口で比較すると、ウクライナが60万平方キロメートル、4300万人であるのに対し、イラクは44万平方キロメートル、4000万人と若干小規模であるが、開戦時の兵力比は、21万人対37万人とイラク軍の方が大きかった。
これに対して、イラクを攻撃した米軍兵力は17万人で、今回のロシア軍もほぼ同規模である。但しイラク戦の場合、トルコが米軍の領内通過を認めなかったために、米軍はイラク南部のバスラから首都バクダッドまで約500キロを進軍、開戦後約2週間で首都に突入した。一方、ロシアはウクライナとの国境から首都キーウまでわずか100キロに過ぎないのに首都に突入できなかった。
約20年前のイラク戦争時、防衛庁情報本部長だった筆者は、ほぼ毎日、当時の小泉純一郎総理大臣に戦況と見通しを報告した。まず当時のイラクにおける周期的な砂嵐サイクルと、暗視ゴーグルを保有している米軍にとって有利な新月から、筆者は開戦を3月20日と予想、その通りに始まった。以後、平日は官邸で、週末は高輪にある総理私邸に行って戦況と見通しを報告した。
1993~94年に米国防大学で学び、その後1996-99年の3年を在米日本大使館で先任防衛駐在官(Defense Attaché)を務めた筆者は米軍の戦い方に通じていたので、「明日が関ヶ原」、「今後は残敵処理の大阪夏冬の陣というフェーズに入った」と予告、概ねその通りに戦況は推移した。
5月1日にジョージ・W・ブッシュ米大統領は、空母エイブラハム・リンカーン艦上で「任務完了」演説を行ったのに対し、ロシアのプーチン大統領は未だ東部2州の制圧すら終えていない。米軍は「任務完了」後も長期にわたって安定化作戦のために膨大な兵力を貼り付けておかなければならなかったが、ロシアも同様の目に遭うことは明らかだ。
戦い左右する国民の意志
膠着した戦局打開のためプーチン大統領は最近、戦術核をも含めた大量破壊兵器使用の可能性を仄めかしている。これに対する米国の対応を、台湾や尖閣を狙っている中国は注意深く観察しているに違いない。
ここで毛沢東の「7億の中3億位は死んでも」という物騒な発言と、1950年代後半の国防部長であった彭徳懐が中国人の苗剣秋氏に語った言葉を同氏著『中共問題我観』から引用してみたい。
「ここに1個のグラス・コップがある。君も欲しい、僕も欲しい。そこで奪い合いが始まる。君は普通の人間だから、欲しいコップの壊れるのを恐れながら奪い取ろうとする。僕はボルシェヴィキだから、自分が手に入らぬなら壊れても良いといった奪い方をする。そして結局気の弱い君が負けて気の強い僕が勝つのだよ、ハハハハ」
コップを台湾や尖閣に置き換えてみよう。戦争は最終的に国民の意志の強さが左右するのだ。コメンテーターの橋下徹氏が主張するように「国民の命が大切だから降伏すべき。プーチンが失脚した後に再びウクライナに戻って来れば良い」や、国際政治学者である藤原帰一氏の「プーチン後のロシアを見据えれば日本国憲法前文の精神が理想」という主張に従えば、それこそプーチン露大統領や中国指導者の思う壺になる。プーチン失脚後、一層酷い独裁者がロシアを統治しないという保証はない。
第128回 圧倒的暴力の前に現憲法は無力
岸田総理が外遊しウクライナ支援を語った一方、ウクライナが発表した軍事的貢献国の中に日本の名は無い。軍事力を忌避した結果か。ウクライナを力で奪うプーチンの手法は、中国の初代国防部長・彭徳懐の「壊れても奪う」発言を想起させる。圧倒的暴力の前に現憲法は無力である。