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国基研ろんだん

2022.07.25 (月) 印刷する

令和4年版防衛白書に思う 織田邦男(麗澤大学特別教授、元空将)

令和4年度版防衛白書が公表された。今回の特徴は、ロシアのウクライナ侵略について章を設けて詳述したことと、台湾に関する記述を倍増し、台湾侵攻シナリオを初めて記載したことだろう。

昨年、中国に対する認識を「脅威」と言わず「安全保障上の強い懸念」と記述したことに賛否両論があった。今年も「脅威」とは述べていない。これを踏襲した上で「こうした傾向は近年より一層強まっていることから、今後も強い関心を持って注視する」と書くにとどめている。北朝鮮を「重大かつ差し迫った脅威」と述べているのに引き換え、中国に関してこの記述では、現実とのギャップは更に広がり、腰が引けた感は否めない。

台湾有事のシナリオを記載したのは画期的である。軍事行動と共にサイバー攻撃や偽情報の流布で「認知戦」を仕掛けることから戦いは始まるとしている。

サイバー戦の足かせ

他方、我が国のサイバー戦能力はどうか。「情報収集、調査分析機能や実戦的訓練機能などを強化する必要がある」と述べる。だが、これを実行する上で「専守防衛」や憲法21条(通信の秘密)が足かせとなっているのが現実である。

2020年4月、河野太郎防衛相(当時)は、サイバー戦についても「専守防衛の範囲内」で行うと明言し、自衛隊が反撃できる事例として、①原子力発電所の炉心溶融②航空機の墜落③人口密集地の上流のダム放水―が起きた場合を挙げた。

つまり「物理的攻撃と同等の被害」が生じるまで、自衛隊は反撃できない。サイバー攻撃対処で最も重要な、アトリビューション(相手のサーバーなどに入り込んで発信元を突き止めること)さえできないのだ。この制約下でどのように「情報収集、調査分析機能や実戦的訓練機能などを強化」するのか。「ガラパゴス」的状態に置かれた自衛隊のサイバー戦能力の現状を変えようとする意欲は白書には伺えない。

「核」議論を回避

ウクライナ戦争の記述は時に叶ったものである。戦況を事細かく分析しているのは良いとして、ウクライナ戦争で得た教訓から、我が国は何を為すべきかという視点が乏しい。

今回の戦争で衝撃的だったのは、国連常任理事国が核をちらつかせながら力による現状変更を実行した場合、誰も止められないという現実であり、核の威嚇、恫喝が如何に大きな力となったかである。

巻頭言で岸信夫防衛相はロシアによるウクライナ侵略を捉え「力による現状変更を未然に抑止する」とし、「わが国の持てる叡智と技術を結集し、総力をあげて、わが国自身の防衛力の強化を急がねばなりません」と述べている。全く同意するが、白書には抑止の根幹を成す核についての掘り下げがない。「既存の思考の枠組みにとらわれない柔軟な発想で、大胆かつ創造的に、新たな戦略を構築してまいります」と述べられたように、白書でも問題提起くらいはすべきだろう。

防衛の基本政策として専守防衛、非核三原則、非軍事大国化が例年通り述べられている。だが、「他国に脅威とならないような必要最小限の防衛力」で相手がくみやすいと判断すれば、「抑止」は成立しないことをウクライナ戦争は教えてくれた。現在、国家安全保障戦略などいわゆる戦略3文書の改訂作業が行われていると聞く。この際、防衛の基本政策まで立ち返って検討すべきであろう。

憂慮すべき防衛産業衰退

最後に「産業基盤の強靭化に向けた取組」である。国内防衛産業の衰退に対する危機感が伝わって来ないのはどうしたものか。旧軍には工廠こうしょう(軍隊直属の軍需工場)制度があったが、今、これに代わるものは防衛産業である。戦場で傷ついた戦闘機や艦艇を直すのは、自衛隊ではなく防衛産業なのである。

「高性能な装備品の生産と高い可動率を確保する」ためには、「強靭な産業基盤が不可欠」との認識は正しい。だが、2014年6月、防衛省は「防衛生産・技術基盤戦略」を策定し、2019年には「防衛省と産業界との意見交換の場を設ける」などしたものの、企業の防衛事業からの撤退が止まらない。「産業基盤のさらなる強靭化に向け取り組んでいく」という掛け声だけでなく、抜本的な対策が急務である。この認識と熱意が白書から伺えないのは、極めて残念である。防衛産業は防衛力の一部であることを再度肝に銘ずるべきだろう。(了)
 
 

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