60年安保闘争が高校にまで及んで、「アンポハンタイ!」の怒号が校庭に響いていた初夏の頃、クラスきっての〝文学少年〟S君から、江藤淳の『作家は行動する』を薦められた。意味深なタイトルだったので、学校があった都電の駕籠町(当時)近くの書店に急いだ。しかし、難解な本で、運動ばかりしていた身(といっても、スポーツだが)には、まるで歯が立たなかった。17歳になる頃、S君の助けを借りてやっと読了したが、「文体は水泳選手がのこしていく水脈のようなものだ」という1行が新鮮だった。
のちに出版社に幸いにも入ることができた私は、『諸君!』という雑誌で、江藤さんの『一九四六年憲法―その拘束』と『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』を担当した。誰もがなしえない画期的な論文だと今でも思っているが、発表当時は、「何をいまさら」と左翼ばかりか一部保守派の言論人たち、そして新聞社首脳から哄笑された。文芸評論家としての赫赫たる業績をもってしても、〝占領期信奉者たち〟の抵抗は厳しかった。
「知のインフラ」
江藤さんは、1999年7月21日、鎌倉地方を襲った激しい雷雨のさなか、自宅で自裁した。死の数時間前、江藤さんの絶筆『幼年時代』を直に受け取ったのが、『文學界』編集長だった平山周吉さんである。平山さんは、その後もずっと江藤さんの事跡を追い続け、2019年には『江藤淳は甦える』で小林秀雄賞を受けた。
その平山さんの責任編集で、7月21日のご命日を期して、kindle版(電子書籍)『江藤淳全集』が刊行され始めた。江藤さんには、『江藤淳著作集』(正・続)や『江藤淳文学集成』などがあるが、『江藤淳全集』と銘打つのは今回が初めてである。
江藤さんを知る人は、「全集が欲しい」と言い続けてきた。実際、某出版社や某新聞社で刊行するという話もあった。が、出版不況をいいことにそれらの話はみんなつぶれた。それが、平山さんとその盟友である編集者・風元正さんの決断によって、『全集』刊行の運びとなった。快挙である。平山さんは、「江藤淳の膨大な仕事を『知のインフラ』『文のインフラ』として未知の読者に届けたい」と言う。
江藤さんの本を、私はみんな持っているつもりだが、漏れもあるだろう。江藤さんには、週刊誌や地方紙などに折々書かれた小さな文章にハッとさせられるものがある。そうした佳品の発見も『全集』を読む楽しみだ。(了)