5月7日、岸田文雄首相はソウルを訪れ、尹錫悦韓国大統領と首脳会談を行った。会談後の共同記者会見で、首相は朝鮮人戦時労働者に関して、「私自身、当時、厳しい環境の下で多数の方々が大変苦しい、そして悲しい思いをされたことに心が痛む思いです」と述べた。
禍根を残しかねない「心が痛む」
微妙な表現によって、先方から誤解されたり、後から持ち出されたりして、問題にならないかと心配になる。もし韓国に配慮したのだとしたら、日本側の配慮を韓国がくみ取って自分たちも譲るという反応を期待しない方がよい。日本と韓国との関係、特に歴史認識問題において、従来の日本の配慮は災いしかもたらさなかったことを思い起こすべきだ。
日本は韓国に何十年も謝り続けて、何も実らなかった。特に1990年代初めに慰安婦問題が持ち上がった際、事実関係を無視して日本政府が謝ったことは、現在に至るまで悪影響を及ぼしている。
終戦直後は元労働者に感謝の意
岸田首相はあの時「心が痛む」の代わりに、何と言えばよかったのか。参考になるのは、昭和20年9月19日に発表された松村謙三厚相(当時)の談話である。翌20日付の毎日新聞は記事の地の文で次のように書いている。
(略)厚生省では特に集団移入による労務者30万の帰鮮(筆者注:朝鮮に帰ること)を優先的に取扱うことになった。(略)19日松村厚相はわが軍需産業のため挺身したこれら朝鮮人労務者に対し次のごとき謝辞を発表した。なお同省では全国警察署、動員署関係、鉱山、産業場に対し朝鮮人労務者に対する感謝の措置をとるよう通牒を発した
そして厚相の談話であるが、以下の部分は非常に印象的だ。
親愛なる妻子、家族を残して遠き海を渡り酷寒酷暑を忍び、よく乏しきに耐え敢闘された諸君の挺身協力について私は感謝と感激の念をいよいよ深く心に銘ずるものである。さらに諸君の留守家庭を守り諸君をして後顧の憂いなく勤労動員せしめた家事担当者各位に対し併せて感謝の意を表したいと思う。さらにまた不幸職場に殉じあるいは病に斃れたる御■(判読不能)に心からなる敬弔の誠を捧ぐるとともにその遺族各位に■惜の情を披露する次第である
厳しい戦争の時代、日本と韓国は同じ国として過ごした。それから80年近くが経過して、私たちは分からなくなってしまっているが、「感謝」こそ朝鮮人元労働者に伝えるべき言葉ではないだろうか。(了)
第373回 岸田首相の韓国での発言
日本式配慮の発言は相手に誤解を与えるだけ。韓国側の協力に感謝する発言であれば良い。何故なのかは、著書『韓国の「反日歴史認識」はどのように生まれたか』に詳しいので是非ご覧ください。