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2023.07.11 (火) 印刷する

中国軍事研究の第一人者・平松茂雄先生を追悼する 黒澤聖二(国基研事務局長)

7月5日、現代中国研究の泰斗、平松茂雄先生が逝去された(享年87歳)。一つの時代が過ぎたという寂寥せきりょうの感を禁じ得ない。

平松先生は静岡県浜松市で昭和11年に生まれ、慶應義塾大学大学院政治学専攻博士課程を修了(法学博士)。防衛庁防衛研究所研究室長を経て、杏林大学教授として多くの学生を指導された。筆者も先生の教えを受けた1人で、海上自衛官として市ヶ谷で勤務していた時、大学院研修の誘いがかかり、修士課程の社会人学生として勉強の機会をいただいた。

海軍巨大化や南シナ海軍事化を予見

筆者が先生からご指導を受けた1993年頃は、まだ中国海軍の規模はそれほど大きくなく、ブラウンウォーター・ネイビー(内海海軍)の域を出なかった。中国軍に関する情報が少なかった当時、先生は中国人民解放軍が発行する解放軍報や解放軍画報、あるいは香港の文滙報やサウス・チャイナ・モーニング・ポストなど、様々なメディアを駆使して中国軍を分析した。

中国が発する正しい情報がいかに少なくとも、丹念につなぎ合わせることで実態が次第に見えてくると言い、中国軍はいずれ日米の最大の脅威となると指摘した。先生は当時『甦る中国海軍』『中国の海洋戦略』(いずれも勁草書房)を上梓され、中国海軍は近い将来、必ずブルーウォーター・ネイビー(外洋海軍)に成長すると予測し、的中させた。

今や隻数だけなら米海軍を抜き、空母を運用する実力を持つに至るなど、30年前には想像できなかったことが現実になっている。そんな平松中国論は常に時代の先端を走っていた。その事例は多数あるが、そのうち二つを挙げておく。

(1)先生は筆者に、南シナ海の小さな岩礁に掘っ立て小屋を建てただけの場所に中国軍人が立っている写真付き記事を示し、いずれ大変なことになると言い、一部メディアを通じて警鐘を鳴らした。中国はそれから十数年かけ、大型浚渫しゅんせつ船を投入して、そんな絶海にある岩礁を埋め立て、軍事基地化してしまった。国際仲裁裁判所に中国の領有権主張を否定されると、その裁定を「紙屑」同然に無視し、暴挙として国際社会の知るところとなる。結局、先生の予見は正しかったことが証明された。

(2)東シナ海で、日中中間線付近の中国側海域で石油ガス採掘施設の建設を中国が始めた頃、日本の政府もマスコミも一部を除きあまり関心を示さなかった。そんな時、ある新聞の現地取材に同行した先生は、日本側の資源が「ストローのように吸い上げられる」と表現し、世間の注目を集め、日本政府も関心を持つようになった。

領土拡張を「戦略的辺疆」論で説明

先生はよく雑談の中で、慶大の恩師石川忠雄先生の言葉を引用しつつ、次のように語っていた。「中国人は、力を持った時とか、相手より自分が優位に立ったと感じた時には、かさにかかってくるところがある」。

中国の行動はその言葉通りとなり、南シナ海、東シナ海での傍若無人ぶりや、経済的威圧、軍事的恫喝が当たり前になっている。平松先生は中国が日米より優位に立つことを懸念し、危機への備えを訴えていたが、日米とも危機意識が薄かったのではないだろうか。

先生が中国を観察する視点には独特なものがあった。「中国大陸は広いですね。面積と人口だけ見れば大国です。でも人が住める場所は実に狭い」。確かに内陸部の砂漠や南シナ海の孤島は過酷な地理的環境の辺境である。続けて「中国は中華世界が強くなり周囲の夷狄が弱くなれば拡大します」「だから中国に国境はないのです」と言う。国境に代わる「戦略的辺疆」が膨張と縮小を繰り返すという中華世界観は、大いにうなずける視点であろう。

先鋭ゆえに買った反感

他方、先生は学生の指導が厳しいことで有名であった。学部の下級生は教室でちょっとでも私語をすると立たされ、下手をすれば「そこの学生、教室から出て行きなさい」と叱られる。上級生が平松ゼミに入ると、夏にゼミ合宿があるのだが、執拗な追及が続く合宿は学生から恐れられたという。

しかし半面、きめ細かい指導には定評があり、厳しい中にも温かみのある人柄で、中国人留学生も含め、先生を慕う学生は少なくなかった。

先生は中国海軍の危険性を指摘し続けたのと同時に、海上自衛隊に親近感を持ち、幹部学校などで長年講師を務め、幹部教育に多大な尽力をした。しかし、先生の切っ先鋭い意見に異論を持つ一部の幹部から反感を持たれ、それ以降、海自と疎遠になったと聞いたことがある。それが事実なら残念でならない。

時代の最先端を走ることは大変なことである。先生が多くの障害に突き当たってきたことは想像に難くない。先生はそれを突き破る強靭な意思の持ち主でもあった。先生は国基研との縁が深く、発足当初に評議員、次いで顧問を務められた。

先生の長年の御功績に深謝し、ここに謹んでご冥福をお祈りしたい。(了)