国連総会出席のためニューヨークを訪問した岸田文雄首相は9月19日、核兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約=FMCT)ハイレベル記念行事に出席し、以下の趣旨のスピーチをした。
「私は、唯一の戦争被爆国・日本の責任ある政治家として、また被爆地広島出身の首相として、いかに道のりが遠く厳しくても、『核兵器のない世界』に向けた歩みを着実に進めていきたい。しかし、現在の国際情勢に照らせば、ロシアによるウクライナ侵略と核の威嚇は、『核兵器のない世界』への道のりを一層遠ざける。特定の国による核戦力の急速な増強は、他の国をも巻き込む核軍拡競争に火をつける可能性もある。そのようなことを防ぐためにも、今こそ核分裂性物質の生産禁止により、核兵器の量的拡大に制限をかけ、世界的な核兵器数の減少傾向を維持していく必要がある」
兵器級プルトニウムを生産できる商業炉もある
岸田首相は同日の国連総会演説でもFMCTを締結する重要性を訴えたが、核分裂性物質は現実には、商業運転を続けるカナダの黒鉛減速重水冷却炉CANDU炉やロシアの黒鉛減速軽水冷却炉(RBMK)を運転することにより大量に生産されている。また、核兵器保有国の多くは原子炉から得られる「兵器級プルトニウム」を化学的に抽出している。核兵器保有国となった北朝鮮は、1950年代に英国が開発した黒鉛減速ガス冷却炉を独自に改良し、現在、年間約200 キロのプルトニウムを生産し、50個の原爆を製造できると推定される。
一方、欧米や我が国で使われている軽水炉から取り出されるプルトニウムは、核分裂するプルトニウム239の他にプルトニウム240など中性子の数が多い同位体を多く含むため、「兵器級プルトニウム」にするのが困難である。このプルトニウムは核分裂しにくく、発熱により起爆に必要な火薬が自爆することがあるし、放射線が強くパイロットが被曝するので、ミサイルや爆撃機に搭載できない。しかも国際原子力機関(IAEA)の監視下にある。「我が国は6000発の原爆を作れるプルトニウムを保有している」という河野太郎氏の外相時代の発言は、自民党総裁選で主張した使用済み核燃料再処理施設の運転反対を目的とした反原発のための発言である。
リチウムイオン電池の原料で水爆を作れる
水爆には、重水素化リチウムが使われる。これはリチウムイオンバッテリーの原料となる水酸化リチウムを重水素で置き換えることで、容易に作れる。重水素と共に用いられるリチウムが原爆から発生する中性子によりトリチウム(三重水素)に核種変化するので、重水素化リチウムを使用した水爆ではトリチウムは不要になる。重水とトリチウムを原爆で反応させる水爆は、原爆の1000倍の破壊力がある。ロシアの新型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)サルマトに搭載された水爆は、1発で日本やフランス1国を焦土と化すことができる。FMCTの枠組みにはリチウムの生産禁止は含まれない。
水爆起爆用原爆を小型化するための中性子反射体部品として用いられる金属ベリリウムも、一般産業では医療用のX線管の窓材や人工衛星の構造部品などで広く使われている。核兵器の部品となるため、安全保障貿易管理の規制対象品であるが、その規制の網をかいくぐり、北朝鮮は既に水爆を保有してしまった。つまり、核兵器の弾頭の燃料や重要部品の金属は産業界で製造されて広く使われており、高濃縮ウランやプルトニウムなど核兵器用の核分裂性物質の生産を禁止して核兵器の増加を止めようとするFMCTの概念は、既に時代遅れなのだ。
水爆をICBMで撃ち合うことは世界を破滅させる。このことは皆が認識している。だから海底深くに潜む原子力潜水艦や地下数百メートルにある核シェルターの基地が終末戦争を防ぐ手段になる。自国が核兵器を使ったら、相手の反撃により国が滅ぶという核の抑止力こそが、戦術核と呼ばれる小型の原爆を含めた核兵器の使用を思いとどまらせている。このような状態が100年くらい続き、世界中が核兵器は使えない兵器だと認識して、初めて核兵器の廃絶が可能になる。
現在の核兵器保有国が核拡散防止条約(NPT)体制の下で非核保有国の核保有を防止している。この非対称な力学が働く中で、非核保有国の我が国は米国との「核共有」により抑止力を得るか、韓国のように米国の核搭載原潜の寄港を受け入れるなどして日米安保条約の下で抑止力を維持することしか選択肢は無いように思う。日本に寄港する米艦船や原潜の核搭載の有無を明らかにする必要は無い。それこそが抑止力になる。