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2023.10.18 (水) 印刷する

ハマスの奇襲はイスラエル情報機関の失敗か 太田文雄(元防衛庁情報本部長)

イスラム武装組織ハマスがイスラエルを奇襲攻撃したことに関して、イスラエル情報機関の失敗とする論調が多い。真相は未だ判明していないが、過去に「インテリジェンスの失敗」(Intelligence Failure)」と評されたことが実際には「政策の失敗」(Policy Failure)であったことが多かった事実を指摘したい。

「失敗」とされる事例の実態

今世紀初頭に起きた「インテリジェンスの失敗」の典型と言われる事例が二つある。一つは2001年9月11日のアルカイダによる同時多発テロを米情報機関が察知できなかったこと、二つ目は大量破壊兵器の存在と国際テロ組織との関わりを理由に米国がイラクを武力攻撃したが、二つとも発見できなかったことである。

9・11事件の後、米国で公式に設置された独立調査委員会の報告書の中には、事件の約1カ月前の8月6日、情報機関が当時のブッシュ大統領に対して「(アルカイダの指導者)オサマ・ビン・ラディンが米国を攻撃する決断を下した」と報告していたとする記述がある。情報機関が大統領に報告していたなら、然るべき対策を怠った大統領に事件を許した責任があるのではないか。すなわちインテリジェンスの失敗と言うよりは政策の失敗であると言えないこともない。

ただ、第4次中東戦争でイスラエルが奇襲された時のように、情報機関からの警告が多すぎて狼少年のように思われ、受け取った側が反応しなくなることにも配慮しなければならない。例えばイラク復興支援でサマワに派遣された自衛隊部隊に対し、当時の防衛庁情報本部は毎朝8時から関連情報を精査する会合を行い、情報を現地部隊に送った。「○時にサマワの自衛隊を攻撃する」という情報が何度もあったが、その時刻になっても何も起こらず、現地部隊は「東京はガセネタばかり送ってくる」と思ったに違いない。情報を受け取る側が直ちに対応を取らなかったと言って責めるのも酷である。

二つ目の事例についても、2005年1月5日の英紙サンデー・タイムズは「ブッシュ大統領は、国際テロ組織との関わりや大量破壊兵器を理由に軍事行動を正当化することでサダム・フセイン(イラク大統領)を排除したいと考えた。インテリジェンスや事実は、その政策を補強するのに使われた」と報道している。情報を受け取る側が、実行したい政策や嗜好に都合の良い情報だけを上げさせることを「インテリジェンスの政治化」と言う。

政策に不要とされる情報は上げられない

インテリジェンスの政治化に関しては、情報本部長であった筆者にも経験がある。情報本部長は原則的に月に1回、首相への報告があるが、その前に官房長官にも同じ内容を報告しなければならない。筆者が情報本部長の時の官房長官は「北朝鮮だけ見ておけば良い」と言って、中国に関する報告を好まなかった。報告時は防衛省の文官である防衛局長が同席するが、この局長は官僚の人事を握る官房長官に忖度して、中国に関する情報を上げさせてくれなかった。中国に関する報告ができるようになったのは、近く衆院議長を退任する細田博之氏が官房長官になってからである。

真相は未だ不明であるが、仮にイスラエルのネタニヤフ首相が「イスラエルにとって死活的なのはイランの核開発だから、ハマスやヒズボラはどうでも良い」と軍事情報を担当している参謀本部諜報局(アマーン)に指示していたとしたら、アマーンは限られた人的・物的資源をイランに集中させても不思議はない。そのためハマスの奇襲攻撃を受けても、インテリジェンス組織の責任ではない。

実務を知らない研究者は口を慎め

今回の事案を受けて、インテリジェンスの専門家がテレビに出演して喋っている。中曽根平和研究所でインテリジェンスを専門とする研究者が「インテリジェンスの世界はギブ・アンド・テークなのに、日本が米国に提供できるインテリジェンスはクエスチョンマークだ」と日本のインテリジェンス能力を卑下していた。

詳細は今でも公にできないが、筆者が情報本部長時代、米国の某インテリジェンス組織のトップから「よくぞやってくれた」と感謝されたことがある。別件で、当時の太平洋軍司令官ファーゴ海軍大将から感謝されたこともある。分析に関しても、民主国家である米国は、世襲体制である北朝鮮の思考パターンが理解しにくい。東洋的背景に基づいて分析する情報本部分析官の説明を熱心に書き取る国防情報局長官(情報本部長のカウンターパート)の姿を目の当たりにしている筆者としては、「実務経験のない人物がテレビで適当なことを言わないでもらいたい」と思う。(了)
 
 

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太田文雄 国基研企画委員兼研究員