公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2024.04.15 (月) 印刷する

単純労働者の移民は経済効果に乏しい 本田悦朗(元内閣官房参与)

「我々は労働力が必要だったのだが、実際にやってきたのは生身の人間だった」。これはスイスの小説家マックス・フリッシュの言葉であるが、移民問題の本質を突いている。移民の受け入れは、モノやサービスを取引する国際貿易とは本質的に異なり、文化の接触を伴う複雑な課題である。

3月15日に出入国管理及び難民認定法の改正案が閣議決定され、今国会に提出された。それによると、従来、「技能実習」の名の下に外国人実習生が厳しい労働を強いられているとの批判が絶えなかった「技能実習制度」が廃止され、新たに「育成就労制度」が設けられることとなる。

我が国でも、既に多数の外国人が働いており、対総人口比が10%を優に超える欧州に比べるとまだまだ少ないものの、人口減少や出生率低下の現状を見ると、我が国も大量移民政策に舵を切ったようにも見える。今後の運用次第だが、本稿では、様々な在留資格を持つ移民が我が国で大量に働くようになった場合、どのような経済効果が予想されるかについて考察する。

高度人材には期待できる

結論から言えば、移民が単純労働者の場合は、通常、日本の単純労働者と競合し、日本の単純労働者は賃金が下落するか、外国の単純労働者と置き換わるので、経済成長に寄与しない。他方、移民が高度の技術と知識を持ついわゆる「高度人材」の場合は、通常、我が国労働者と補完的であり、我が国経済に大いに貢献することが期待される。ただし、日本経済が需要不足の状態(不況時)なら、どのような移民であっても効果は限定的である。以下、総需要と総供給の大小関係、及び、移民と日本人労働者の競合・補完関係を軸に、詳しく見ていく。

▽我が国経済がデフレギャップ状況(不況)のとき

経済の総需要が潜在的供給能力より小さいときである。経済は需要が不足し、供給しても売れ残る不況の状態にある。国内総生産(GDP)は、総需要と潜在供給力のどちらか小さい方で決まるので(「ショート・サイドの原則」と言われる)、この場合は、GDPは需要で決まる。移民を受け入れて潜在的な供給能力が拡大しても、需要が足りない(売れない)から、GDPは増えず、移民を受け入れた意味がない。むしろ、デフレギャップの時に移民を受け入れると、潜在供給力とのギャップが拡大してしまい、デフレ不況が悪化し、経済が回復するのに時間がかかる。移民が多額の現金を持って入国し、日本で活発に消費することは考えにくいので、移民の受け入れは需要の拡大に貢献しないだろう。(もっとも、移民が高度人材なら、経済効果は当面限定的でも、将来、経済が改善した暁には、経済成長に寄与することが期待される。)

▽我が国経済がインフレギャップ状況(好況)のとき

総需要が潜在的供給力を上回り、ショート・サイドの原則から、小さい方、即ち供給力がGDPを決める。この場合は好景気であり、人手不足となるので、移民を要求する政治的圧力が高まる。この場合、移民の教育レベル、熟練度、経験などの属性によって経済効果に違いが生ずる。

一般に、熟練度の低い移民労働者は、我が国の単純労働者と競合する。その場合は、我が国の単純労働者の賃金が低下し、消費が低迷するので、経済成長が阻害される。しかし、低賃金の移民の流入によって、相対的に賃金の高い我が国の単純労働者が転職を余儀なくされることもある。その場合、より生産性が高く、賃金が高い企業に転職できれば、経済全体としての供給力が高まる。この場合は両者が相互に補完し合い、GDPが拡大することとなる。

移民が高度な技術者、知識、経験などを有する高度人材の場合は、我が国の高度人材との間で発想や技術のシナジー効果が発揮され、我が国の人材だけで開発するより、イノベーションが生じやすい。シリコンバレーが典型である。我が国でも、高度人材を認定するポイント制を導入するなど、そうした人材の受け入れを促進している。この場合は、我が国経済に寄与するところが大きく、積極的に受け入れ政策を進めるべきである。

経済移行期の大量受け入れは危険

我が国経済は、現在、デフレギャップからインフレギャップに移行しつつある。総需要を拡大すべく、消費や設備投資を促進するためには、長年苦しんできたデフレマインドを完全に払拭しつつ、緩やかなインフレマインドを醸成する必要がある。世界的インフレの中で、ようやく我が国のデフレマインドはほぼ払拭された。残された課題は賃金上昇が定着するかどうかである。これまでのところ、春闘は順調であり、インフレ率を超えた賃上げが実現できそうであるが、それが今年だけではなく、来年以降も定着しなければならない。しかし、「失われた30年」の影響は大きく、まだ、楽観はできない。

そのようなときに、単純労働者の移民を大量に受け入れることは危険である。賃金が上がらなくなるからである。景気上昇による人手不足には、人工知能(AI)、デジタルトランスフォーメーション(DX=デジタル技術を活用したビジネスの変革)、ロボット技術などを導入して生産性を向上させることを最優先すべきであり、安易に移民に頼ってはいけない。

生産性向上が不可能で、賃上げができない企業があるとしたら、そのような企業は他の生産性の高い企業と合併するか、さもなければ人手不足倒産は避けられない。そのような新陳代謝によって企業が淘汰され、生産性の高い産業構造へと鍛えられる。人手不足は企業の生産性を高める貴重な機会である。

多文化共生に難しさも

移民受け入れの経済効果については、生産面だけではなく、社会的側面を十分に考慮しなければならない。我が国では、まだ、大量難民を受け入れていないので当然ではあるが、この分野での研究は進んでいない。しかし、生活者としての移民を受け入れる際には、財政負担が大きくのしかかってくることは容易に想像がつく。教育、日本の文化・生活習慣への対応支援、医療、住居、介護、年金など日本では移民のための社会インフラの整備が全く不十分である。やがて移民も老いる。その移民の面倒を見るのもまた、移民しかいないのだろう。

このような社会的な問題は極めて重要である。移民はそれぞれ固有の文化を背負ってやってくる。それを尊重しなければならないのは当然であり、実際、日本は異文化に比較的寛容であるが、日本社会で生活する以上、日本文化・伝統や習慣、価値観を理解し、それになじんでもらうことが必要となる。

多文化共生は現実にはそれほど簡単なものではない。それぞれの社会には、財政面を含めて、移民受け入れの受容限度というものがあり、現実的に対応していかなければならない。その限度を超えれば社会に分断が起き、外国人だけの集落ができてしまう。外国人に日本で住んでもらうためには、日本の文化に「同化」してもらうことが必要となる。さもなければ、移民の側も受け入れ側も幸福ではないであろう。

真に必要なのは、国民の出生率を上げつつ生産性を上げることである。そのためには、デフレから完全に脱却し、経済成長を取り戻すことによって国民の所得を安定させ、人生設計が容易にならなければならない。さもなければ、少子化がさらに進行し、この列島に住む民族が入れ替わってしまう。(了)