予想外の辛勝だったモディ首相
6月4日に開票が行われたインドの総選挙(下院選、定数543)は、事前予想に反して与党連合の辛勝に終わった。モディ首相率いるインド人民党(BJP)は2019年の303議席から240議席へと大きく減らした。与党連合(国民民主同盟=NDA)が過半数の293議席を確保して政権を維持したものの、国民会議派を中心とする野党連合(インド国家開発包括同盟=INDIA)が234議席と勢力を伸ばした。選挙前の世論調査でも投票終了後の出口調査でも与党連合の圧勝が予想されていただけに、意外な結果であった。BJPはヒンドゥー教徒にとって重要なラーマ寺院の再建を選挙スローガンの中心に据えたが、経済格差を目の当たりにした農村の貧しい人たちや低カースト層の支持を十分に受けることができなかった。
10年ぶりの連立政権の成立
モディ首相は3期目を迎えたものの、BJP単独で過半数を割り込んだため、10年ぶりの連立政権復活となった。組閣に当たって、チャンドラバブ・ナイドゥ氏率いるテルグ・デサム党(TDP)とニティシュ・クマール氏率いるジャナタ・ダル統一派(JDU)を始めとする有力地方政党が協力した。ナイドゥ氏はインド南部のアンドラプラデシュ州の首相としてマイクロソフトやグーグルなどの米国企業を誘致した辣腕政治家で、クマール氏は2015年からインドで最も貧しい東部ビハール州で開発を進めている。いずれも企業の投資を重視しているところはモディ首相に似ているが、その政党の支持母体にイスラム教徒や低カースト層が含まれているところがBJPと異なる。ナイドゥ、クマール両氏は与党陣営と野党陣営を行き来してきた風見鶏的で老獪な政治家で、モディ首相は連立政権の運営に融和的な姿勢で臨まないといけなくなった。
6月9日にはモディ首相の就任式が行われた。インド独立後3期目を迎える首相は、初代のネルー以来2人目である。2014年から首相を務めているモディにとって、BJPが単独過半数割れの状態で連立内閣を担うのは初めての経験である。6月10 日には72 名の閣僚リストが発表された。財務相、内相、外相、国防相、商工相、道路運輸高速道路相、電子IT相、石油ガス相などの主要ポストは留任で、大きな変化は見られなかった。インド政府の公式的立場は「インドの民主主義がモディ首相を勝利に導いた。インド政府の政策はこれまでと何ら変わるところがない」というものであり、実際、3期目を迎えたモディ政権の動きには目下のところ、変化らしい変化が見当たらない。
経済より内政に影響ありか
モディ首相の求心力が連立政権となって弱まることは否めないものの、経済面における影響は限定的であろう。インドの株式市場も、開票当日は予想外の結果によって大きく下げたものの、その後の戻しが早く、最高値を更新している。インド経済自体の成長は続くであろうが、モディ政権がこれから重視していかないといけないのは、与党が議席を大きく減らした農村における開発である。
政治面では経済面よりは影響がありそうだ。モディ首相は選挙前の公約では、総選挙と州議会選挙を同時に行うこと、民法の改正によってイスラム教徒のイスラム法に則った生活を制限することなど、強権的な政治を目指していた。しかし野党の勢力が予想以上に拡大し、連立政党の中にもイスラム教徒が支持母体の政党がいるため、こうした政策は当面難しくなった。
今後の州議会選挙も重要だ。4か月後にはマハラシュトラ州とハリヤナ州の選挙が控えている。いずれも日系企業の投資が多い州で、今回の総選挙で与党は敗北している。日本の政府開発援助(ODA)の最重要案件である新幹線計画も、マハラシュトラ州の政権が交代するようなことが起きると影響を受けかねない。
外交は不変か
最も変化がなさそうなのは外交である。ジャイシャンカル外相は留任し、「自由で開かれたインド太平洋」におけるインドの役割に変わりはない。米印関係は昨年6月のモディ首相訪米を契機に大きく深まっており、連立政権の中に反米的な政党もない。
中国との国境問題ではいまだに国境を挟んで両軍の対峙が続いている。インドでは与野党の対中政策は一致していて、インドが中国軍の侵入を2年半にわたって止め続けていることは台湾有事への抑止力となっている。
米国では今年2月にチベット問題解決法が下院で可決され、今月にはマコール下院外交委員長やペロシ元下院議長ら超党派議員団がチベットの精神的指導者ダライ・ラマ14世と亡命先のインドのダラムサラで面会した。しかし中国を恐れるインドは「ダライ・ラマ・カード」を使って中国を刺激する気がないようである。
ジャイシャンカル外相は、これまで東アジアや東南アジアより西アジアや中東との外交に力を注いできたように見える。日米豪印の安全保障枠組み「クアッド」に対する姿勢もはっきりしない印象があり、米国はインドの代わりにフィリピンを入れた日米豪比のもう一つの「クアッド」を作っている。「今後はもう少し東を向くべきだ」というインドの有識者の指摘も出てきている。
中国との絡みでもう一つ重要なのは、南アジア周辺国との外交である。モディ首相の就任式にはパキスタン以外の南アジアの全首脳が招待され、そのわずか2週間後にはバングラデシュのハシナ首相が再度訪印した。モルジブやネパールで中国寄りの政権が誕生する中、バングラデシュでは親印政党のアワミ連盟が圧倒的な勢力を持っている。
6月14日、イタリアで開催された主要7カ国(G7)サミットの拡大会合にモディ首相は招待され、AI(人工知能)が一部の国や人たちに独占されないようにインドが「全ての人のためのAI」を目指すこと、 2070 年までに温室効果ガス排出量ネットゼロの目標を達成すること、「グローバルサウス」の国々の諸問題に優先して取り組むことなどを表明した。G7 サミットと並行して、モディ首相はウクライナのゼレンスキー大統領とも会談して、インドが平和的解決をサポートするためにあらゆることを行うと述べた。しかしながら、6月16日にウクライナの和平案を話し合うためスイスで開かれた「平和サミット」では、インドはブラジル、南アフリカ、サウジアラビアなどと並んで共同声明を支持しなかった。
今後の展望と課題
モディ首相は、これまで経験したことのない連立政権運営の手腕を試されている。インドの知識人の中には、数年以内に連立政権が崩壊して総選挙がやり直しとなる可能性を指摘する向きもある。少なくとも1年から2年は連立政権内部で妥協し合うであろうが、いずれ何らかのあつれきが生じる可能性は排除できない。2~3年後に総選挙がまた行われた場合、BJPが今度は単独過半数を握るか、政権を失うか、政治の一寸先は闇だ。インドでは1977~79年、89~91年、96~98年に短命の内閣が続いた。現在のところそのような様子は全くないが、インドの政治が流動的で不安定なものとならないことを願いたい。
今回の総選挙は圧勝をもくろんでいたモディ首相にとっては不本意な結果であったかもしれない。しかし、もし圧勝していたらモディ首相はさらに自信を深め、強権的な政治を進めていたに違いない。長期政権には弊害が出やすい。今回の選挙はモディ首相に考え直すチャンスを与えたのではないだろうか。
内外のメディアではモディ首相と与党BJPが「敗北」したような論調もあるが、コップの水が半分になったのを見て、半分なくなったと考えるか、半分残っていると考えるかは人次第である。ネルー以来2人目となる3期目を迎えたモディ首相の手腕に、注目が集まっている。(了)