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国基研ろんだん

2024.09.09 (月) 印刷する

南シナ海での中比衝突の背景  中川真紀(国基研研究員)

中国とフィリピンが領有権を争う南シナ海で、両国の対立が激化している。8月19、25、31日には、フィリピンのパラワン島から約150キロ北西に位置するサビナ礁周辺海域において、中国海警船とフィリピンの沿岸警備隊巡視船および漁業水産資源局公船の間で衝突が発生した。

また、南シナ海をパトロール中のフィリピンの空軍機や漁業水産資源局の航空機に対して、中国軍によるフレア(火炎)の発射も3回確認されている。

対立激化の背景には、習近平中国共産党中央委員会総書記(国家主席)の「国境・海空防衛力の整備」指示に基づいた南シナ海の実効支配強化と、台湾侵攻時を見据えたフィリピンへの強硬姿勢が存在する。

背景に習氏の「海空防衛力整備」指示

サビナ礁はフィリピンが自国の排他的経済水域(EEZ)内にあると主張する岩礁である。本年5月、フィリピンは中国がサンゴの残骸を投棄して埋め立てを行っている兆候があると発表し、これに対抗するため、日本から供与された大型巡視船をサビナ礁内に停泊させた。その撤去を要求する中国との間で緊張が高まっている。

このような中、7月30日に習総書記により党政治局第16回集団学習において「国境・海空防衛力の整備」が指示された。海上法執行機関である海警総隊(別称・中国海警局)は中央軍事委員会直轄である人民武装警察隷下にあり、中央軍事委主席を兼ねる習総書記の指示は絶対に遂行する必要がある。また、南シナ海を担当する人民解放軍南部戦区にとっても、軍創立記念日である8月1日直前の習総書記の指示は絶対である。

8月の一連の衝突に関して、中国海警局は「フィリピン船が中国の許可を得ず侵入」「中国側の警告を無視」、中国軍南部戦区は「フィリピン機が中国の警告を顧みずに空域に侵入」と主張している。中国は一方的に自国の管轄領域と主張する海空域において、実力でフィリピンの活動を排除する姿勢を見せ始めた。「国境・海空防衛力の整備」の一環として、南シナ海においてフィリピンへの対応を硬化させた可能性がある。

台湾侵攻を見据えた対比強硬姿勢

しかし、同じく南シナ海領有権問題を有するベトナムとの間では緊張は高まっていない。ベトナムは近年、南シナ海で急速に埋め立てを進めており、米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)の報告によれば、本年5月までの半年間で10の岩礁などで合わせて2.8平方キロを新たに拡張、仮設のヘリポートや港などを造成している。中国はこのようなベトナムの埋め立てを阻止をせず、巡視船を停泊させたフィリピンに対しては公船による体当たりを辞さず阻止行動に出る。

この違いには台湾侵攻を見据えたフィリピンへの強硬姿勢が存在する。

フィリピンでは南シナ海問題で中国と密約を結んだといわれるほど中国と良好な関係にあったドゥテルテ前大統領から2022年6月にマルコス大統領に交代した。マルコス政権は米比同盟を強化し、2023年2月には米比防衛協力強化協定(EDCA)に基づき米軍が利用できるフィリピン国内施設を5カ所からさらに4カ所追加することを承認した。本年4月には米インド太平洋陸軍が中距離ミサイルシステムを米比共同演習の一環として初めてのルソン島北部に展開させた。これは米ロ間の中距離核戦力(INF)全廃条約失効後の初の地上発射型中距離ミサイルシステムの展開であり、米軍自身も「歴史的」な展開と表現した。

中国軍にとって、台湾侵攻時の最大の障害は米軍である。日本の南西諸島から台湾、フィリピンへ伸びる第1列島線の内側において、米軍の領域使用を拒否(Area Denial=AD)し、台湾本島に着上陸部隊を安全に輸送するとともに、小笠原諸島からグアムを経てパプアニューギニアに至る第2列島線の内側で米軍の接近を阻止(Anti Access=A2)し、台湾への来援を遅滞させることが必要である。第1列島線沿いでは、日本が南西諸島防衛を強化しているのに比べて、台湾からフィリピンにかけての防衛は脆弱であった。しかし、ここに米軍が兵力を配置できる環境が整うと、中国のA2AD戦略は大きく狂ってくる。フィリピンに米軍の対艦・対空ミサイル及び中国本土に到達する中距離ミサイルが展開することはADを失敗させ、それは即ち台湾侵攻の失敗を意味する。

よって、中国は南シナ海において大規模な埋め立てを継続しているベトナムではなく、フィリピンを主敵と定め、強硬姿勢を取っている。南シナ海の実効支配競争だけではない。第1列島線における米軍配備という、中国にとってのレッドラインをフィリピンが越えないように圧力を強化しているのだ。

中国のジレンマ

しかし、この中国による圧力強化はフィリピンの米国依存に拍車をかけるという矛盾を生む。

現時点では、フィリピンは中国の圧力に対して、米国をはじめとする西側諸国との協力強化をもって対応している。8月7日には初の米加豪比4カ国の海上共同演習が南シナ海のフィリピンのEEZ内で実施された。また、8月27日にフィリピンを訪問したパパロ米インド太平洋軍司令官は、米比両国間の協議を前提として、南シナ海で補給任務に当たるフィリピン船を米国船が護衛することは可能と述べた。

一方、フィリピンにとっては最大の貿易相手国である中国との経済関係も重要である。7月にはセカンドトーマス礁に関する中比暫定合意を結ぶ等、対話を模索する姿勢も継続している。実際に中比船舶による衝突事案が頻発している今、米国がどこまで支援してくれるのか、米中両国を値踏みしている可能性もある。

中国はそのフィリピンの値踏みに賭けている。中国としては、フィリピンもベトナムのように、第1列島線内での米軍プレゼンスの常態化という中国のレッドラインを越えなければこれ以上の圧力をかける必要はない。しかし、その道筋が見えない限り、この強硬姿勢を続けていくしかない。

中国にとっても、フィリピンにとっても、米国にとっても、今が勝負どころなのである。(了)

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