宝塚歌劇団は9月24日、宝塚大劇場(兵庫県宝塚市)で10月26日まで上演中の宙(そら)組公演のショー「BAYSIDE STAR」で、「海行かば」をソロ歌唱するシーンについて、24日から歌唱を取りやめると発表した。その理由として「軍歌はエンターテインメントにふさわしくない」といった批判が寄せられたためと報じられている。
筆者は元海上自衛官として、大東亜戦争の日米海戦海域で写真のような洋上慰霊祭を経験してきたが、その最後に必ず流されるのが「海行かば」である。これは鎮魂歌であって、勇ましい行進曲調の「軍歌」とは異なる。

筆者が任官後に経験した遠洋航海の初めにはアリューシャン列島のアッツ、キスカ島沖で、その後、中部太平洋のミッドウエー沖で、さらには艦長としてフィリピン、グアム方面の遠洋航海に行った際も、フィリピンのレイテ沖で洋上慰霊祭を執行し、鎮魂のため最後に「海行かば」を流した。
起源は万葉集の大伴家持
天智2(663)年、日本は白村江の戦いで唐と新羅連合軍に敗北したため、国家の非常時として西の守りを固めた。この時、東国から九州地方の沿岸防備のために派遣された兵士が防人(さきもり)である。その防人の和歌が万葉集に多く残されているが、この同じ時代に歌人の大伴家持が長歌を作成した一部が「海行かば」である。
民間では、東京・池袋の東京芸術劇場で「海道東征」(皇紀2600年奉祝曲として天地開闢、国産み、天孫降臨、神武東征、大和政権の樹立までの物語を扱う曲)を演奏された時、演奏会の最後に聴衆全員が立ち上って「海行かば」を合唱する情景は圧巻だった。
筆者は自分の葬儀に「海行かば」を流して送って貰いたいと遺書にしたためているが、行進曲のような勇ましい軍歌を葬儀で流してほしいと言う人は余り居まい。士気を鼓舞する軍歌と死者の魂を鎮める鎮魂歌は根本的に違う。
今に始まった事ではない
平成20年5月に慶應義塾大学の三田キャンパスと早稲田大学大隈講堂で先行試写会が行われ、同年8月に全国で公開された映画「ラストゲーム最後の早慶戦」では、学徒出陣を3日後に控えた野球の早慶戦で、試合後に慶大生が早大の校歌である「都の西北」を、早大生が慶大の応援歌である「若き血」を歌った。すると、どこからか「海行かば」が自然に発生し、やがて涙の大合唱になった、というのが歴史的事実である。ところが、映画では、エールの交換が終わっても「海行かば」を歌う感激的なシーンが出てこない。球史に残る決定的な場面で事実を意図的に落としているのだ。
「海行かば」を戦争歌として忌避するのは、映画・公演制作者の不作為による政治行動である。こんなことは、今回の宝塚を最後にして貰わなければ、戦いで亡くなった英霊は浮かばれまい。(了)




