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2025.09.29 (月) 印刷する

「政府認定」は拉致被害者のごく一部 荒木和博(特定失踪者問題調査会代表)

9月22日から25日まで、特定失踪者家族会(北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者家族有志の会)の竹下珠路事務局長、吉見美保副会長、森本美砂事務局次長がジュネーブを訪問し、国連の強制的失踪作業部会で陳述した。私も同行したが、東京からジュネーブまで、ドバイ乗り換えで1日近くかかる。お三方にとっては相当の身体的負担だったはずだが(正直、私も結構きつかった)、それは裏を返せば相手に伝わるものがあったということだ。

今回のジュネーブ訪問の成果については機会を見て改めて書きたいと思うが、ここでは一つ痛感したことを書いておきたい。それは「政府認定拉致被害者は拉致被害者のごく一部」ということだ。ジュネーブで何人かに、拉致の可能性のある人たちの数(警察発表で約900人、特定失踪者問題調査会リストで約470人)と実際に政府が認定している数(17人)のギャップについて聞かれたが、皆が関心を持つのは約900人の方であって17人の方ではなかった。そこで再認識したのが、「拉致問題に関して、政府の『認定』はほとんど意味を持たない」ということだ。

17人の認定事情

おそらく本稿をご覧の方でも、「政府認定」なら拉致は確実であり、それ以外は不確実だと思われる向きが少なくないのではないか。しかし現実には、政府認定拉致被害者というのはほとんどが「表に情報が出てしまって、政府は仕方なく拉致を認めた」に過ぎない。以下、政府認定被害者17人のケースを見ていただければ、一目瞭然である。(敬称略、年は拉致された年)

▽昭和52(1977)年
 ・久米裕=警察は犯人の1人を逮捕したが、拉致が明らかになったのは朝日新聞等マスコミの報道による。
 ・松本京子=特定失踪者問題調査会の妹原せはら仁・元幹事(故人)が明らかにする。
 ・横田めぐみ=朝鮮半島情報誌「現代コリア」平成8年10月号の石高健次論文がきっかけで明らかになる。
▽昭和53(1978)年
 ・田口八重子=日本語や日本の風習を田口に教わった北朝鮮工作員金賢姫が大韓航空機爆破事件で逮捕され、自供したことが元になって明らかに。
 ・田中実=拉致を実行した在日組織「洛東江」の一員だった張龍雲が明らかに。
 ・地村保志/富貴江(旧姓浜本)、蓮池薫/祐木子(旧姓奥土)、市川修一/増元るみ子=産経新聞の昭和55年1月の報道で明らかに。
 ・曽我ひとみ/ミヨシ=警察が拉致と認識していなかった曽我ひとみを北朝鮮が出してきたため、一緒に失踪していた母ミヨシとともに拉致認定された。
▽昭和55(1980)年
 ・石岡亨/松木薫=石岡が訪朝した外国人に頼んで第三国で投函してもらった手紙が実家に届き明らかに。
 ・原敕晁=原になりすました北朝鮮工作員辛光洙が韓国で逮捕されて明らかに。
▽昭和58(1983)年
 ・有本恵子=前述石岡亨が実家に送った手紙に名前が記載されていて明らかに。

見えない被害者救出の意志

見て戴けばお分かりだが、誰も知らなかったときに日本政府(警察)が明らかにした拉致は存在しないのだ。マスコミが報道したり工作員が捕まったりして明らかになり、どうしようもなくなったケースだけを認定したというのが現実である。

さらに言えば、警察には17人の認定拉致被害者以外の被害者を救おうという意志はほとんどない。その最大の証拠は、松本京子さんの認定をしてから実に19年間、ただの一人も拉致認定していないことにある。そもそも「認定」というのは平成14(2002)年に帰国した拉致被害者5人の処遇を定めた法律、通称拉致被害者支援法で行われている。帰ってきていない人を救うための法律ではないのだから、現時点での認定自体にも無理があるのだ。

だから、放っておけばこれから何年経っても誰も拉致認定されることなく、そして結局は、政府認定拉致被害者17人のうち帰国していない12人も含めて「全ての拉致被害者」が死んでしまうだろう。それを許すことは私たち自身も何かあれば見捨てられることを意味する。

政府認定拉致被害者は全拉致被害者のごく一部でしかない。このことを1人でも多くの方々に理解していただきたいと、切に願う次第である。何より特に次の首相には肝に銘じてもらわなければならない。(了)