11月29日に東京にて、筆者が所属する歴史認識問題研究会(歴認研)の公開研究会「佐渡金山朝鮮人労働の真相-147人の証言から―」が開催された。『反日種族主義』(2019年)の共著者の一人である韓国の李宇衍(イ・ウヨン)博士が登壇し、戦時中(1939年~1945年)に新潟県の佐渡島で働いた朝鮮人労働者の真相に迫った。
佐渡金山の世界遺産登録申請が公表されて以降、韓国政府や一部の日本人は朝鮮人を強制連行して強制労働させた現場であると批判し、登録後もその主張を変えていない。このような人々を本稿では「強制連行派」と呼ぶ。歴認研は一次史料を用いて反論していたが、今回の李博士の研究によって、「強制連行派」が最後の拠り所としていた証言すらも信憑性がないことが明らかとなった。李博士の研究成果は歴認研の紀要である『歴史認識問題研究』第17号に掲載されており、歴認研のウェブサイトにて無料で閲覧可能である。
自由渡航すら「強制動員」
李博士の講演内容を紹介する前にまず、戦時における朝鮮人労務動員について簡潔に説明したい。1939年7月に国民徴用令が発令され、日本人は政府指定の工場などで働くことが義務付けられた。しかし、朝鮮人はこの義務を免除され、同年9月に「募集」形式による労務動員が採用された。これは、日本企業の係員が朝鮮半島の村まで行って希望者を募るので、渡日は朝鮮人の自発的行動である。1942年2月には朝鮮総督府が主体となる「官斡旋」形式が追加されるが、この場合、朝鮮人は日本行きを拒否できた。日本人と同様の法的拘束力がある「徴用」形式は1944年9月に採用される。勿論、1939年9月以前でも朝鮮人の日本渡航は存在した。しかし、戦時労務動員開始以前では厳しい渡航審査があり、多くの者が日本渡航を却下された。そのため、密航という手段で出稼ぎをしようとした朝鮮人が日本で捕まって半島へ強制送還されている。
今回、李博士は韓国の国家記録院に収録されている一次史料『被害申告書綴』を基に講演した。同綴は労働者本人か遺族が作成した「申告書」、委員会が作成した「被害申告調査報告」や「陳述聴取報告書」などで構成されている。本稿ではそれら全体を「申告書綴」と呼ぶ。李博士はその中で佐渡金山に「強制動員」されたと認定された147人分の綴を閲覧した。これらの綴は原則非公開であったが、「強制連行派」にのみ閲覧が許されていた。李博士の地道な研究活動によって証言の原文が確認できるようになり、それによって、「強制連行派」が自分たちにとって不都合な個所を隠蔽していたことが明らかとなった。場合によっては、歪曲とも言える証言の変更も確認できたが、その点は本稿の後半で述べる。
李博士は147人のうち、渡日時期が記載されている元労働者が135人であることを突き止め、時期ごとに分類した。「募集」時期に渡日した者が50人(37%)、「官斡旋」時期が51人(37.8%)、「徴用」時期が7人(5.2%)で、戦時労務動員以前に渡日した27人(20%)すらも「強制動員」の被害者として認定されていることが判明した。このことは、佐渡金山に関して言えば、徴用という拘束力がある形式で連れてこられた人数は非常に少なく、むしろ多数の朝鮮人が自身の意思で佐渡へ行ったことを示している。しかし、申告書綴には募集で強制的に連れていかれたなどという意味不明な陳述が散見された。
統一性や一貫性、根拠がない証言
申告書綴には賃金に関する質問項目があり、45人が回答したが、「あった」「なかった」「少額だった」と全く統一性がなかった。同じ職場であるにもかかわらず、「賃金をくれなかったので借金をして生活した」から「当時の面(村)の書記の月給より多かった」まで答えに大きな差があり、証言者間の陳述内容に統一性がないことを李博士は突き止めた。
証言者個人の陳述の中には内容に一貫性がない事例もあった。朝鮮半島にいる家族へ送金したかという質問には16人が「した」と答えたが、そのうち1人が先ほどの賃金に関する質問で「受け取らなかった」と回答していた。賃金を受け取らなかったのに、どうやって送金したのであろうか。
さらに、「強制連行派」が取り上げる死亡や事故に関する証言は、大半が誇張や噂を基にした創作であると李博士は考える。一次史料では佐渡の朝鮮人死亡率は約1%で、1年で3人亡くなっている計算となる。にもかかわらず、申告書綴では「落盤で1日に何人も死ぬのを見て脱走した」「1日1人ずつ死んだ」などという荒唐無稽な話が記載されている。
被害申告の目的は金銭的補償
申告書綴には「強制連行派」が決して取り上げないと思われる陳述内容が多く発見された。例えば、終戦になって朝鮮へ戻る日にバスに乗ると、日本人が「元気で帰れよ」と手を振ってくれて、親切な日本人として記憶されていると話した遺族がいた。しかし、こうした陳述も最終的には強制動員の被害者の発言として記入されている。
李博士はこの現象が起こる原因として二つの要因を挙げる。第一の理由として、韓国の歴史的背景である。韓国政府は1957年から翌年にかけて、『倭政時被徴用者名簿』を作成した。同名簿は日本で働いた者が自己申告する形式で編纂されたものである。当時、韓国は日本と国交正常化を交渉中であることから、日本への請求権金額の水増しを目的で名簿が作成されたと李博士は考える。「徴用」で動員された人数は約23万人であるが、「募集」や「官斡旋」へと拡張すれば約72万4千人に増加する。
第二に、韓国政府の金銭的補償に対する被動員者の期待と要求である。申告書綴の中には「委員会または政府に望むこと」を問う項目があり、14人が回答している。そのうち12人は「金銭的補償を望む」と答えており、補償を要求できる「被害」が認定されるために「強制動員」などを主張しているのではないかと李博士は考察する。
このことから、1950年代の韓国政府の調査と2004年から2015年の「強制動員調査」には金銭的補償という共通の背景が存在すると指摘する。これらの活動は歴史を記録したのではなく、歪曲された歴史認識を国民に注入し、「歴史を創造する」ことで反日種族的歴史意識を強化したと批判する。
「強制連行派」による恣意的な証言内容の改変
佐渡金山に関する証言は韓国の民族問題研究所(民問研)や日本の強制動員真相究明ネットワーク(究明ネット)が共同で2022年に発行した『佐渡鉱山・朝鮮人強制労働』でしか確認することができなかった。
しかし、李博士の功績によって、彼らが都合の良い部分だけを抜き出し、さらには歪曲ともいえる加工を施していたことが判明した。例えば、戦時中に送金した者の中には、その金で田んぼ(600~800坪)を購入したと答えた者もいたが、そのような高額賃金を思わせる部分は全て省略されていた。
筆者が特に問題だと考えるケースは金文国(キム・ソングク)という労働者の証言である。被害申請は息子である金平純(キム・ピョンスン)氏が行ったのだが、究明ネットなどが発行した『佐渡鉱山・朝鮮人強制労働』では、珪肺(じん肺の一種)治療のために戦後に田畑を売り払って多額の借金を残したと紹介されている。しかし、李博士が同人物の証言を調べたところ、田畑を売ったという記述は確認できなかったという。さらに、2023年4月に佐渡で開催された「韓国・強制動員被害者遺族の証言と交流の集い」では金文国は珪肺のため「妊婦さんのようにお腹が膨れて」いたと紹介された。これは、『佐渡鉱山・朝鮮人強制労働』でも記載されていなかった内容である。しかし、筆者が調べた限り、珪肺の症状に腹部の膨張は見られない。その後、究明ネットの竹内康人氏は何の説明もなく「胸に水がたまり膨らんで息苦しそうだった」と証言内容を突然変更した。だが、これは究明ネットの独断であったようだ。2025年6月に早稲田大学で開催された国際シンポジウム「次世代に向けた文化遺産の解釈と展示」に民問研の金英丸(キム・ヨンファン)氏が出席し、金文国が珪肺のせいで妊婦のように腹部が膨張していた(he always had a belly like a pregnant woman at home)という発表を行った。同じ「強制連行派」の中でも内容が食い違う証言に如何ほどの信憑性があるだろうか。
筆者の推測だが、妊婦のように腹が膨れたという内容は『被害申告書綴』作成後に追加されたと思われる。理由は、金銭的補償を要求できる「被害」が認定され易くするためである。もし、証言内容の変更を民問研や究明ネットが誘導したとなれば、大問題である。究明ネットに金氏の証言内容変更を追及し、彼らの長年にわたる不誠実な研究手法を白日の下に晒す必要がある。(了)





