公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2021.08.25 (水) 印刷する

韓国テレビに見る「慰安婦問題」捏造の延命 林いづみ(弁護士)

 韓国MBCテレビは2021年8月10日放送の番組「PD手帳“不当取引-国情院と日本極右”」(以下「手帳」)において、国家基本問題研究所の櫻井よしこ理事長、企画委員の西岡力氏が、韓国国家情報院(国情院)が反北運動のために渡した情報により日本社会で力を得、安倍晋三前政権を支えたなどと報じた。

国基研はただちに事実無根であり名誉毀損だと表明し、謝罪と訂正の放送を求めた。「手帳」の狙いは、文在寅政権と対立する現在の国情院叩きにあるようだが(8月20日配信「言論テレビ」)、こうした事実無根の報道は看過できない。

植村氏が極右の受難者として登場

さらに驚いたのは、「手帳」に、櫻井氏らの受難者で日本国内の良心的知識人だとして元朝日新聞記者の植村隆氏(現「週刊金曜日」社長)が登場し、「裁判の過程で、西岡さんが話す内容の根拠が間違っていることが証言でもわかりました。櫻井さんも間違っていると法廷で認めました。通常の裁判では勝ちますが負けてしまいました」と述べ、「手帳」の「それはなぜですか」との問いには、「それは私が聞きたいですが、一つには日本の裁判所、司法が非常に右傾化していることと、当時、安倍政権でしたから安倍政権への忖度というのもあったのでは…」などと語っていることだ。

植村発言によって韓国の視聴者が日本の司法の公正中立性に疑念を持ち、番組内容を誤信しないことを願うものだが、念のため、ここで植村発言の背景にも触れ、簡単に反論しておく。

植村氏は1991年8月11日の朝日新聞記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」た朝鮮人従軍慰安婦の一人が発見されたと書いた。

ところが、植村記事が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」たと報じた金学順氏は、記事が出た3日後の8月14日、ソウルにおいて実名で元従軍慰安婦として名乗り出る共同記者会見を開き、「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあるキーセンの検番に売られていった。3年間の検番生活を終えた後、初めての就職だと思って検番の義父に連れられて行った所が、華北のチョルベキジンの日本軍300名あまりがいる小隊長の前だった」と述べた(15日付ハンギョレ新聞記事)のである。

掲載直後から明らかだった記事の誤り

従って、そもそも植村記事に登場する女性が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」た事実はなく、フェイクニュースであったことは掲載直後から明らかだったということだ。ちなみに女子挺身隊の名で戦場に連行された慰安婦は,現在まで一人も発見されていない。

朝日新聞の「慰安婦問題」捏造キャンペーンにおいて植村記事が果たした役割は重大だ。札幌高裁判決(15頁)も「朝日新聞は1982年以降、F(注:吉田清治)を強制連行の指揮に当たった動員部長と紹介し、朝鮮人女性を狩り出して女子挺身隊の名で戦場に送り出したとのFの供述を繰り返し掲載しており、その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば、日本の戦争責任にかかわる報道として価値が高い反面、単なる慰安婦が名乗り出たに過ぎないというのであれば、報道価値が半減する。」と認定している。

西岡氏らは1992年から植村記事の批判を続け、ようやく朝日新聞は2014年8月に事実無根の吉田供述掲載記事を取消し、同年12月に植村記事について「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」と誤りを訂正した。

しかし、朝日新聞はこれらの「慰安婦問題」捏造報道の責任には頬かむりし、植村氏は書籍出版や海外講演において、櫻井氏らによる「捏造」批判で名誉を毀損されたと主張し、東京と札幌で百十数名の大弁護団を擁して提訴したのである。

「40円」の出典間違いとは無関係

上記のとおり、掲載直後から植村記事が「誤り」であること自体は争いの余地はないから、訴訟の争点である「捏造」かどうかは、植村氏が誤りと「知りながら」書いたかどうかだ。そして、東京地裁判決(43~45頁)が、植村氏が「意図的に、事実と異なる記事を書いた」(つまり「捏造」)と認めたのは、植村氏が、同記事執筆前の取材において、金学順氏が「だまされて」従軍慰安婦になったものと聞いたと、自ら陳述し法廷の尋問でも供述しているなどの証拠に基づく。判決は植村氏の反論についても採用するに足りないとし、その理由も詳細に論証している。

他方、植村氏が手帳でも強調した「根拠の間違い」とは何かというと、「40円」の出典の間違いにすぎない。

すなわち、キーセンに「40円で売られ」たと金学順氏が述べた出典が、<平成3年訴訟>(金学順氏及び植村氏の妻の母を含む遺族会の会員らが日本政府に対して戦後補償を求めた訴訟)の訴状「14歳から妓生学校に3年間通ったが、1939年、17歳(数え)の春、『そこへ行けば金儲けができる』と説得され、金学順の同僚で一歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れられて中国に渡った」ではなく、訴状と同時期の<「月刊宝石」インタビュー記事>「平壌にあった妓生専門学校の経営者に40円で売られ……17歳のとき、養父は『稼ぎに行くぞ』と私と同僚の『恵美子』を連れて汽車に乗ったのです」であったというだけだ。

本人が述べた事実として間違っていないし、そもそも植村氏の捏造事実の認定とは無関係だ。判決もこの点は引用の正確性の問題にすぎず判断に影響しないと述べている(札幌地裁判決50頁)。

印象操作によって「慰安婦問題」捏造の延命が図られないためにも、関連訴訟の判決等は英語や韓国語に翻訳して公表すべきであろう。
 

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