特別講演会/令和5年6月6日/東京・ホテルニューオータニ
特別講演会「アメリカの中国論」
国家基本問題研究所は6月6日、来日中のケビン・ドーク 米ジョージタウン大学教授を招き、特別講演会「アメリカの政治・メディアで中国はいかに議論されているか」を開催。ドーク教授は国基研の第1回日本研究賞を受賞した米国の歴史学者です。
ケビン・ドーク(Kevin Doak) ジョージタウン大学教授、麗澤大学客員教授。1960年生まれの米国の歴史学者。高校時代に長野県上田市で留学経験、シカゴ大学で日本研究により博士号取得。イリノイ大学准教授などを経て、京都大学、東京大学、立教大学、甲南大学などで学び現職。日本で出版された著書に、『日本浪漫派とナショナリズム』(柏書房、1999年)、『日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本』(ワック、2016年)などがある。また『大声で歌え「君が代」を』(PHP、2009年)で第1回日本研究賞を受賞。 |
アメリカの政治やメディアでは中国についてどのような論調なのか。本題に入る前に申し上げたいことがあります。私は研究者として日本に焦点を絞ってきたので、中国の専門家ではありません。むしろ中国について考えたり本を読んだり、あるいは中国の話をすることをできる限り避けてきた人間です。私が日本を専門としてきたのは、日本を愛しているから以外の何物でもありません。
しかしこの十年、二十年ほどはアジア研究者が集まると中国の話で持ち切りになります。日本を専門とする研究者の集まりでも、中国に触れないわけにはいかなくなっています。一方、中国の専門家は必ず日本について触れるかというと、多分そうではないでしょう。また、朝鮮半島の専門家も、昨今では中国の話を避けることができない情勢になっています。皆がなぜこうも中国に取りつかれているのか。理由の一つは中国が現在の世界において平和、民主主義、人権に対する最大の脅威となっているからではないでしょうか。日本のことだけを話していればこと足りた時代は良かったと私は懐かしく思っています。
中国権威主義の核心
現代アメリカにおける研究者の中国批判として、まず中国系アメリカ人のコラムニストであり、著述家で法律家でもあるゴードン・チャンを紹介します。チャンは中国で二十年近く仕事をしていた経験があり、米国政府の諜報機関に対してのブリーフィングを行い、下院外交委員会で証言もしています。また、中国に関する彼の記事はニューヨーク・タイムズ(NYT)、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)など、主要な新聞や雑誌に掲載され、アメリカのテレビ局のインタビューもたびたび受けています。母校コーネル大学の理事としてチャンは、アメリカの大学では中国批判を抑え込むために中国人留学生が教員や職員に圧力をかけ、他の学生に対する嫌がらせ行為を行っていると警鐘を鳴らしています。
チャンは早い段階からアメリカで中国を批判した一人です。二〇〇一年に彼が出版した『The Coming Collapse of China(やがて中国の崩壊がはじまる)』(邦訳は草思社)がまさにそれです。「中国は二〇一一に崩壊する」という彼の予測(その後、二〇一二年に修正)は間違った、少なくとも二〇一一年、一二年には中国は崩壊しなかったと彼は認めています。しかしこの本の価値は予想が当たっていたかどうかではなく、中国の権威主義によって生まれたシステム的な問題の核心をついているところにあります。二〇一六年に『ナショナル・インタレスト』誌に書いた記事でも、彼はその立場を変えていません。中国指導部内の分断が経済問題の解決を阻んでおり、そうした未解決の問題がいずれ中国共産党の転覆につながるというのが彼の主張です。
もちろん、それは我々が皆死んだ後のずいぶん先の話ですが、それまでに多くの人々の生活や命が中国の権威主義によって破壊されることになります。ただチャンはそれを見通せるだけの知性、それを言葉にする勇気を持ち合わせていた最初の何人かの一人です。
従わない十億人
『Coming Collapse of China』は、ペンシルバニア大学のアーサー・ウォルドロン教授を含め、多くの中国学者に高く評価されています。ウォルドロンは「中国の将来について書いたものとしては私が知る限りベストな本である」と称賛しています。
確かに、二〇〇一年当時、チャンは習近平が台頭して権威主義がここまでになるとは予想できていなかった。彼が見ていたのは、あくまでも江沢民統治下の中国だったのです。しかし、チャンは香港の悲劇的運命について、中国に返還されてからまだ数年の段階で予見していました。返還以来、中国政府は機会さえあれば香港に干渉してきた。本土との統合が進めば香港の自治という脆弱な概念が損なわれることは不可避である。中国は民主主義がその足元で機能してしまうことを望まない。彼我の違いがあからさまになってしまうからだとチャンは記しています。こういった流れが、現在の台湾に対する中国の強硬な姿勢につながっています。中国は今もその膝元に機能する民主主義が存在することを望んでいません。
チャンがもう一つ正しかったのは、異なる意見に対する寛容さは中国には存在しないと述べたことです。少なくとも政治、宗教、または民族に関する異論は許されない。労働者や農民は、時として不満を述べることが許されるが、それはもはや体制が彼らを黙らせることができなくなっているからだ、と。
チャンの本の一番良いところは、普通の中国人が統治者に対して抱いている根深い憎しみについて、時代を追って書いた部分です。チャンはこう言います。中国には指示に従うことが嫌な人が十億人いる。問題はいまだに政府は指示を出すことをやめようとしていないことだ。いずれ人民と政府の間で再び衝突が起きる。それは不可避である。一党支配が崩壊せずに進化するためには、人民が党を引きずり下ろす前に党が変わる必要がある。しかし今日、中国指導部の中には根本的な政治改革についてのコンセンサスがない。不幸なことに、中国共産党が二〇〇〇年の台湾における選挙から学んだ教訓は、真の変革はなんとしても阻止せねばならず、競争は絶対に許さないという教訓だ、と。私は、チャンがこれを書いた二十五年近く前からその状況は変わっていないと見ています。
目覚めた覇権主義
スティーブン・モシャーは『Bully of Asia(中国の夢はなぜ世界秩序にとっての新たな脅威か)』の著者で、習近平の危険性を初めて見抜いた一人です。初版(二〇一七年)でモシャーは世界を支配するという習近平の「中国の夢」を脅威と呼びました。二〇二二年版ではこのように言っています。「その脅威が今や現実となった。中国は現在、すべての領域においてアメリカと全面戦争をしている」と。
モシャーは、長年中国の権威主義に抵抗してきた人物です。彼はスタンフォード大学の博士課程の学生として一九七九年に中国にわたり、人民公社についての研究を行いました。中国共産党による強制中絶を暴露し、これに関する論文を台湾で公表した後に、彼は手術を受けた女性の顔写真を出したということでスタンフォード大学から追放されています。当時、この件は中国学者の注目の的となりました。多くの人は中国政府がスタンフォード大学に圧力をかけてモシャーを追放させたと考えたからです。それ以来、モシャーは中絶や避妊に関する問題に取り組む活動家となりました。
現在彼は人口問題研究所(Population Research Institute)の理事長であり、中国の現在の危機に関する委員会(Committee on the Present Danger of China)のメンバーを務めています。この委員会の他のメンバーには、ゴードン・チャン、アーサー・ウォルドロンなど保守系の中国批判をする人たちがいます。
『Bully of Asia』は中国に関するモシャーの九冊目の本です。モシャーは中国を全体主義国家として書いています。非常にうまく整理された本で、その主題を順序立てて追っています。秦の始皇帝から最後の統一王朝である清朝まで長いプロセスの中で、いかにして覇権主義的な国家が生まれてきたかという前近代の政治史を記し、中国人民を覚醒させた人物として毛沢東を位置付けています。毛沢東は覇権主義を目覚めさせたとモシャーは述べています。その後、小さな覇権主義者である鄧小平、江沢民、そして二〇一二年にビッグダディー習近平が登場するまでを書いています。
習近平の情報戦
モシャーの物語が一番面白いのは、習近平がいかに権力を掌握していったかを記した上で我々がしっかりと記憶にとどめるべき予測を行っているところです。先ほどご紹介したゴードン・チャンが中国の崩壊を予測したのに対し、モシャーはこう述べています。習近平は現在のポジションにとどまり続けるか、あるいは正式には退任しつつも、ロシアのドミトリー・メドヴェージェフのような忠実な代理人を介して権力を行使し続ける。いずれにしても一九五三年生まれの中国の最高指導者は党や軍、国家を今後何十年にもわたりその手中で支配し続けるだろう、というのがモシャーの予測です。
中国の未来について予測するのは、中国学者の間では今や人気のゲームで、必須事項となっている感があります。ポイントは誰の予想が正しいかではなく、彼らの予想がどのような現状を前提としたものであるかという点です。モシャーの予測は恐ろしく覇権主義的で全体主義とも言える中国という国家に対する批判、それが前提となっています。
習近平は二〇一二年に就任した時、アメリカに対する情報戦を始めたとモシャーは述べています。一四年には習近平は中国のソフトパワーを強化するようにと共産党に命令し、それが一大プロパガンダキャンペーンにつながっています。その証拠に、中国の政府系通信社である新華社は、海外に現在百七十の支局を有しています。中国のラジオ国際放送CRIは、十四カ国で三十超のラジオ放送局を支配しています。中国共産党はグローバルシンクタンクを百カ所作る計画を立てて、それに邁進しているわけです。
海外におけるプロパガンダキャンペーンは、中国という国家の性格とは関係ない、アメリカだって世界中でプロパガンダをやってきたではないかとおっしゃるかもしれません。そこで大事なのは、一三年四月に共産党中央委員会が出した通達です。その通達には中国共産党員が警戒しなければならない七つの政治リスクが記されています。①立憲民主主義、②人権、③市民社会、④自由市場、⑤報道の自由、⑥中国共産党の歴史に対する批判、⑦中国共産党のイデオロギー批判。これら七つです。これほど中国の権威主義的な性格を表す証拠がほかにあるでしょうか。
漢民族優越主義は宗教か
モシャーは著書の最後に中国という国家の本質についてこれぞという問いかけをしています。漢民族優越主義をどのように理解するべきか、です。
漢民族優越主義は新しい宗教なのか、ナルシシスト国家なのか。それが宗教だという考え方は「中国にとっての宗教は中国である」と言った中国学者のロス・テリルから来ています。テリルが言う通りだとするならば、宗教という言葉はカルトに置き換えて理解する必要があります。非合理的で厳しくコントロールされた組織であり、その主たる目的は真実の追求ではなく、カルトリーダーのためにメンバーの心を洗脳するのがカルトです。テリルの言う宗教がカルトという意味であるなら的を射ています。
実際、中国の権威主義をカルトと考えれば、「漢」以外の宗教すべてをなぜ中国があれほど恐れるのかがわかります。プロテスタント、カトリックを含めたキリスト教徒、ウイグルのイスラム教徒、法輪功などの宗教は根絶しなければならない。なぜならば「漢」という宗教の目的である中国人民のマインドコントロールにとって脅威となるからだというわけです。
モシャー自身は漢民族優越主義をどちらかというと宗教ではなくナルシシズムであると考えています。自らの国家に執着し、他の国家に比べた優位性を固く信じ、自国の優越を証明するために利用できる場合以外は他の国に対する関心を持たないというエリック・ウィーバーの国家ナルシシズムの定義をモシャーは引用しています。
中国の権威主義が宗教カルトなのか、国家ナルシシズムなのか。それはどちらかではなく両方です。国家ナルシシズムが国家ヒーローのカルト崇拝を生むのだとウィーバーが言っています。そしてモシャーはこれがまさに中国に当てはまるとしています。黄帝から近年の個人崇拝まで、特に現在のビッグダディー習近平の英雄的叡智に対する礼賛がまさにそれであるとモシャーは言います。
モシャーは台頭する中国の権威主義にどう対処すべきかについても著書の中で記しています。最後の三章では中国のアメリカに対する恐れ、アメリカに取って代わって世界の新しい覇権国家になりたいという「中国の夢」が強調されています。そのような惨事をさけるためにアメリカが今やらなければならないことをモシャーはいくつか具体的に提示していますが、それは今日の本論から外れるので本をお読みいただければと思います。
政治現実主義の流れ
二〇一〇年にトシ・ヨシハラとジェームズ・ホルムズが『Red Star over the Pacific: China’s Rise and the Challenge to U.S. Maritime Strategy』(邦訳は『太平洋の赤い星 中国の台頭と海洋覇権への野望』バジリコ)を書いています。ヨシハラは戦略予算評価センターのシニアフェローでジョージタウン大学の非常勤講師も務めており、ホルムズは米国海軍大学准教授です。
本書の初版はチャンが言うところの「中国の崩壊が近い」や、「だから中国は地域にとっても世界にとっても大した脅威ではない」という主張に対する反論と捉えてもよいでしょう。一八年に出版された改訂版では、東アジアの主要なシーレーンにおいて平和な航海を脅かす強硬な中国にさらに強い警告を発しています。この時までにはすでに習近平が台頭し、初版における中国脅威論をさらに勢いづけています。
『Red Star Over the Pacific』は、モシャーが書いた『Bully of Asia』からの自然な流れを汲んでいますが、同時に近年のアメリカにおける研究の方向性をも示しています。それは中国国内における自由や人権の抑圧にはあまり目を向けず、政治学者が言うところの現実主義的な立場をとるというものです。つまり中国は我々アメリカにとって、東アジア地域や世界におけるアメリカの影響力にとっていかほどの脅威なのかを主に問うています。海軍戦略に力点を置いたポリティカルリアリズム(政治現実主義)の流れと言えるでしょう。
『Red Star Over the Pacific』は冒頭、二〇一二年に習近平が語った「中国の夢」が一七年十月の第十九回党大会で法典化されることから始まっています。ヨシハラとホルムズは「中国の夢」には国内的な要素があることも認めています。国内における所得格差を縮小させつつ所得水準を引き上げ、医療へのアクセスを改善し、人民の物理的住空間を拡大し、大卒を増やし教育水準を向上させる。平等を実現するための、いわゆる社会主義的計画です。
もちろん海を越えてやってきた征服者による何世紀にもわたる屈辱の歴史を克服することへの言及もあります。それゆえ中国のシーパワーへのこだわりの背景に一貫したロジックがあるとヨシハラとホルムズは考えています。経済的、地理的、政治的、外交的、そして戦略的にもシーパワーが必須だと中国は考えているのです。
中国の天命
ヨシハラとホルムズの目には、中国の脅威は少なくとも直接的には中国という国家の権威主義的性格から来るものだとは映っていません。彼らが権威主義に最も近いものとして言及しているのはナショナリズムですが、それによって脅威が生まれているとは彼らは考えていません。ナショナリズムは中国のシーパワーの実現に向けて強力な役割を果たしてはいるが中国の海洋進出の原因ではないと彼らは言います。中国のリーダーたちはこれまで蓄積されてきた国家の深い意思の力に乗じ、中国の海洋進出は天命であるとして突き進んでいるのだ、と。
彼らの研究が権威主義にあまり力点が置かれていないのは、政治現実主義への彼らの系統を考えれば不思議ではありません。彼らが中国による力や利益の追求に力点を置くのは重要なポイントです。中国の海洋政策がアメリカや東アジアの友好国、特に日本にとってまさに現実の脅威であるのは確かです。
しかし他の政治における現実主義者と同様、国際関係における倫理的規範にあまり関心を持っていないのは彼らの中国研究の限界を示しています。ポリティカルリアリスト(政治現実主義者)にとって国内事情は単に権限と秩序の問題であり、国際関係は正義を追求する場ではなく権力政治の舞台でしかないのです。彼らの関心は国家間の現在の紛争、あるいは潜在的な紛争であって、国家の自国民に対する行いには関心がありません。
権威主義の弊害にも目を向ける中国研究もあり、それは人民と国家の不和に注目する内容となっています。しかしヨシハラとホルムズのような現実主義に根ざした研究では潜在的な国内の不安定化は無視されます。彼らの焦点はあくまでも勢力関係であり、アメリカの優位性を最大化するための海洋政策はいかにあるべきかという視点になります。
中国による人権侵害
ヨシハラ・ホルムズの研究と一線を画す研究を行っているのが、ヘレン・ラレイです。ラレイは中国からの移民で、デンバーで金融アドバイザリービジネスを経営しており、コロラド・クリスチャン大学のシンクタンクである「センテニアル・インスティテュート」で移民政策のフェローをしていました。著書も複数冊あり、WSJやデンバー・ポストなどに寄稿しています。
ラレイが二〇二〇年に出版した『Backlash: How China’s Aggression Has Backfired(反動:中国の攻撃的な姿勢がいかに中国に跳ね返ったか)』は、中国が二〇一九年に世界に放った武漢ウイルスを題材に中国の権威主義について書いた初の書籍です。書籍の始まりはラレイがアメリカ国籍を取得した一三年にさかのぼりますが、この年は習近平が正式に中国の最高指導者になった年でもあります。
ラレイは、アメリカの左派が社会主義的イデオロギーに親近感を持つことに危機感を感じて、社会主義の中国で彼女の家族がどんな目にあったかを書いたと言います。アメリカ人が当たり前に享受している自由の尊さをわかってもらいたかった、アメリカにこの悪のイデオロギーを持ち込まないようにと伝えたかったと言っています。
『Backfire』は、モシャーの後を引き継いで中国の長きにわたる権威主義の歴史を強調し、チャンと同様に習近平は内からの反逆に弱いと指摘しています。そして、習近平の「一帯一路」で多くの国が中国への経済的依存を深め、中国による酷い人権侵害や国外への攻撃的な振る舞いに口をつぐむようになったと指摘しています。
彼女は特に中国による人権侵害を大きく取り上げています。おそらく彼女自身が中国で育ち、家族や友人が実際に権威主義に苦しんだ経験があるからでしょう。人権侵害には宗教的少数派の抑圧も含まれており、彼女は著書の第二章でイエス・キリストの教えと毛沢東の教えは絶対に共存し得ないと書いています。中国におけるキリスト教の歴史を六三五年まで遡り、キリスト教は西洋の宗教だから中国文化と相容れないという神話を彼女は強く否定しています。中国におけるキリスト教徒への厳しい迫害は毛沢東だけではなく習近平の下でも続いていると様々な資料を基に彼女は述べています。二〇一八年に中国では一万件以上の教会が閉鎖に追い込まれた、と。これだけ迫害を受けても中国のキリスト教徒は増え続けているとも彼女は述べています。
教皇が共産党のパートナー
ラレイがあり得ないと感じているのは、カトリック教会のトップである教皇フランシスコが中国共産党の要求に簡単に応じるパートナーに成り下がってしまっていることです。抑圧的な中国共産党政府に教皇の権威を従属させても良いと考えているように見える、と彼女は言っています。教皇は中国共産党に正当性を与え命綱を与えている。一方で体制下で抑圧されている人々にカトリック教会は救済の手を差し伸べていない。社会主義が入り込んでいるのはアメリカだけではない。最近まで世界の権威主義支配者に対してものを申す頼りになる存在であったバチカン上層部にも脇の甘さ、無邪気さが見られ、その影響が及んでいると嘆いています。
ラレイの中国の人権抑圧への批判は容赦がありません。ウイグル人に対する弾圧に習近平をはじめ高官が関わっているという機密文書があります。「新疆文書」といわれるものですが、それについても詳細を記しています。漏洩した「新疆文書」がNYTによって報道されたのは二〇一九年十一月で、ラレイがこの本を書き終える直前でした。同じ月にICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)が「チャイナケーブルズ」という別の機密文書を報道しています。そこには中国国外に住むウイグル人を追跡して中国に連れ戻すという措置も含め、さらなる弾圧策が記されていました。AP通信は二〇二〇年六月二十八日、ウイグルではIUD(子宮内避妊具)を装着させる強制避妊や中絶を強制するなど人口動態的民族ジェノサイドが行われていると報道しました。これにもラレイは言及しています。二〇一五年から一八年の間にウイグル地域の出生率は六割以上、下がっています。
ラレイは外資系企業の責任も問うています。シーゲートテクノロジー、ウェスタンデジタル、インテル、ヒューレットパッカード、アップル、H&Mといった米国企業も、中国の監視産業と協力をして利益を得ていると批判しています。トランプ政権は二〇二〇年七月、ウイグルの強制労働に依存している中国のサプライヤーと取引を行うアメリカの企業、大学、個人にはその責任を問うと警告を発しました。ただ、その政策を現バイデン政権がどこまで執行しているかは全く明らかではありません。
武漢ウイルスと権威主義
『Backlash』は中国の権威主義がどう実践されるかを網羅していますが、一番の特徴は武漢ウイルスに関する最後の三章だと思います。残念ながらこの本を執筆していた当時、ラレイはウイルスが武漢ウイルス研究所から出たという話は陰謀論だという印象をどうも抱いていたようです。これは残念なことですが、彼女の名誉のために言うと、当時から彼女は真実はいずれ明らかになるだろうと述べていました。まさに真実は明らかになったわけです。武漢ウイルス研究所が最も可能性の高い発生源であることが今やわかっています。二〇二三年四月十七日にロジャー・マーシャル上院議員がレポートを公表し、一九年秋に武漢ウイルス研究所からウイルスが流出した可能性が最も高いと結論づけています。
ラレイは本の執筆当時、ウイルスの起源を特定する情報が揃っていないと感じていたわけですが、どのように武漢からウイルスが広がっていったかについては詳述しています。その上で彼女は慎重に次のように結論づけています。
中国政府はこのウイルスが人から人に感染することを知っており、少なくとも中央政府レベルでは予防措置をとっていました。しかし人民や世界と共有しなかった。コロナは中国の権威主義体制の本質を世界に知らしめる証拠となった。中国は自らの体制保全には熱心だが、このウイルスがそれ以外の人にどんな影響を及ぼすことには控えめに言っても無謀なほど無関心であるとラレイは言っています。
彼女が結論として述べているように、十二月の終わりから一月初めにかけて中国共産党がちゃんとした行動をとっていたら、各国は国境を閉ざす必要はなく、企業は事業停止しなくて済んだわけです。人々は職を失うこともなく、我々のほとんどは普通の生活を続けられていたはずです。何より中国共産党が初期に対応していたら、あんなに多くの人が感染して命を落とすことはなかったはずだ、と。
ラレイの評価さえ、中国に対しては甘すぎるかもしれません。武漢ウイルス研究所の責任に関する証拠をいかに中国が隠蔽しようとしたか、今や我々には明らかになっています。そこから考えると、コロナウイルスは研究所で作られていた生物兵器かもしれないし、アメリカの資金援助で作られていたかもしれないのです。しかし中国の権威主義政府は情報統制に長けており、真実が明らかになることは今後もないかもしれません。
本のタイトルが『Backlash』であることからも分かるように、ラレイは中国が遂にトランプ政権という好敵手に出会ったと述べています。ただ現在のバイデン政権と中国との関係はトランプ政権とは大きく異なることを考えると、まだ予断を許さない。ゴードン・チャンの『Coming Collapse of China』と同様に、ラレイも目の前の出来事に囚われすぎていて、今、我々が目にしている現実に照らせばその予想はあまりにも楽観的だったと思います。しかしチャンもそうですが、ラレイは中国の権威主義体制の恐ろしさに目を向けさせてくれる。それだけでも本書は一読に値します。
クアルコムが勝つかどうか
ゴードン・チャンの近著『The Great U.S.-China Tech War(米中テクノロジー大戦争)』にも触れておきたいと思います。
この本は六十ページにも満たない短い本ですが、中国脅威論の新しい方向性を示すものとして私は注目しています。宗教的、民族的迫害はこれまでほど取り上げない。つまり中国人民への弾圧に着目するのではなく、中国の積極的な海外進出に主導的な役割を果たすテクノロジーに目を向けているのが新しい方向性です。
チャンは次のように言っています。米中のテクノロジー戦争は詰まるところ、5Gにおけるクアルコムとファーウェイの戦いであり、アメリカの国家安全保障はアメリカ人が好むと好まざるとにかかわらず、クアルコムが勝つかどうかにかかっている、と。厳密な意味で、国家としての中国の抑圧的な性格について述べていません。もちろん、権威主義的性格がチャンの分析の背景にあることは確かですが、彼が近著で強調しているのは習近平体制の人民共和国は好戦的国家であり、アメリカを敵とみなしているという点です。
チャンは権威主義的要素に触れてはいますが、彼がこの本で言わんとしているのは、ウェストファリア体制による国民国家の多元的共存主義と、自国のみを主権国家とみなして中国を中心に世界のシステムを再構築したいと考える中国の間で、世界は二極化しているという点です。権威主義から中国の海外進出、世界支配への渇望に軸足を移したチャンは正しいのかもしれない。中国の世界での振る舞いがますます世界秩序のリスクとなっている今日、賢明な方向転換かもしれない。それは同時にアメリカ人の中国観の変化も表しているかもしれません。
ジャーナリストの中国批判 権威主義の新しい波
次にジャーナリストによる近年の中国批判を見ていきます。二〇一八年三月一日のNYTに掲載されたマックス・フィッシャーの記事「中国の権威主義的方式によるリスキーな実験」です。フィッシャーは中国に昔からあった権威主義、言い換えれば個人崇拝カルトの延長線として習近平の権威主義を捉えていません。確かに中国はこれまでも常に権威主義国家だったが、それはあくまでも「官僚制やコンセンサスのようなもの」に基づく制度だった。しかし近年になって中国は、制度的権威主義と習近平を中心とする個人崇拝に基づく現代的な権威主義のハイブリッドを生み出した、と言います。
しかし習近平が死んだらどうなるのか。誰にも分かりません。彼が亡くなるころには、フィッシャーが言う中国の権威主義に強靭性を与えていた制度はすでに弱体化してしまっているでしょう。
中国的権威主義が、今後の大きな流れになるかもしれないということについては、ラリー・ダイヤモンドがフィッシャーの一年後に、WSJに記事を書いています。WSJの記事はダイヤモンドが二〇一九年に書いた『Ill Winds(悪しき風:ロシアの怒り、中国の野心、アメリカの慢心からいかに民主主義を救うか)』の抜粋です。
ダイヤモンドは「権威主義の新しい波が我々に向かってきている。さらに問題なのはアメリカ国内の政治の劣化である。それがアメリカの道徳水準を押し下げ、世界に対するアメリカの訴求力を下げ、中国に抗する能力を弱めている」と述べています。フィッシャー同様ダイヤモンドも、独裁主義に対する歯止めとなっていた制度を中国が骨抜きにしてしまったと述べています。
しかしヨシハラ、ホルムズと同様に、ダイヤモンドが主に懸念しているのは、中国の国際的な影響力です。習近平の中国が現代の独裁者たちを勢いづけ、彼らは自らに異を唱える者をあからさまに虐げている。アメリカのリーダーシップをもう一度元気づけ、民主派を支持し、独裁者に圧力をかけ、中露の悪しき勢力拡大に対抗すべきだと提言しています。
しかし、アメリカの民主党とそれを代弁するアメリカのメディア、法執行機関、司法は、ダイヤモンドが言う権威主義体制が批判分子を扱うのと同じ様な扱いをトランプ前大統領とその取り巻きに対して行っています。ダイヤモンドの言っていることがすべてその通りだと思いませんが、アメリカの民主主義が衰退していることで、中国の権威主義がアメリカの民主主義と同じくらい正当性があるとみる向きが世界に広がっています。
デジタル覇権主義の脅威
ダイヤモンドとフィッシャーの中国権威主義へのアプローチは、二〇二〇年ごろから魅力を失い始めました。潮目が変わったのは、中国の通信機器大手ファーウェイの孟晩舟副会長兼最高財務責任者(CFO)の一件があったからでしょう。孟晩舟は一八年十二月一日に、アメリカの対イラン経済制裁に違反して金融機関を不正操作した容疑で米当局の要請に基づきカナダのバンクーバー国際空港で逮捕されています。これを受けて中国は直ちに報復としてカナダ人ビジネスマンのマイケル・コヴリグとマイケル・スパヴァーをでっち上げのスパイ容疑で逮捕しています。
孟晩舟が二人のカナダ人ビジネスマンと引き換えに開放された二一年九月二十五日までの間、アメリカのジャーナリズムはファーウェイと中国共産党の結びつき、あるいはイランなどの権威主義国家との距離の近さ、ファーウェイの技術、5Gネットワークへの参加が安全保障上の深刻な問題となりうるということを盛んに取り上げました。中国のデジタル覇権主義に対する注目が集まったのがこの時期です。
その急先鋒がニュージャージー選出の民主党上院議員ボブ・メネンデスです。二〇二〇年七月二十一日に、中国のデジタル権威主義に関する上院外交委員会の民主党スタッフによる報告書についてプレスリリースを出しています。
これに続いてワシントン・ポストが二〇年八月六日に『ぞっとするような権威主義者のビジョン』という論説を掲載しています。それはメネンデス報告書とスタンフォード大学のレポートに言及し、中国共産党が国内で磨いてきたデジタル権威主義は今や中国国外に輸出され世界の民主主義国家にとっての脅威となっていると強調しています。ワシントン・ポストはデジタル権威主義がウイグルに対する文化的ジェノサイドに使われているとして、アメリカなどの外国にとってそれがいかに危険かを訴える内容です。中国国内におけるキリスト教などに対する弾圧には触れていません。デジタル覇権主義が外国にとっていかに危険かを訴える内容となっています。
二〇二〇年頃までには中国批判の軸足は、宗教、民族、その他の中国国内の迫害から、デジタル覇権主義の脅威、特に中国以外の国にとっての脅威に移ってきました。NYTに二一年三月二十一日に掲載されたデビッド・サンガーの記事がその最たる例です。
いくつか例外もあります。例えばグレッグ・イップはWSJに中国の権威主義はアメリカと違ってコロナの感染拡大にうまく対処したと書いています。ただイノベーションがなかなか進まない状況で中国はこの先も成功し続けるだろうかとの疑問も呈しています。記事のタイトルの通りです。「二〇二〇年、中国はうまくゲームに勝ったがこの先も勝ち続けられるのか? アメリカの民主主義はパンデミック、経済危機、政治不安の対処にてこずった一方で、中国の権威主義は成功をおさめ国際舞台での力を高めた」
中国の権威主義が技術や経済の分野で効果を上げているという議論で見落とされがちなのは、中国の体制下で基本的人権を蹂躙されている人々です。中国の権威主義が効果を発揮しているという人たちが何を懸念するかといえば、中国のデジタル企業が伸びてしまうとアメリカのIT企業の利益が奪われてしまうのではないかということです。中国の体制下で犠牲になっている人々はどうなるのでしょうか。
トランプ政権とバイデン政権 トランプ政権の中国批判
では、アメリカ政治において中国はどのような論調で扱われているのか。中国を強硬に批判する最も影響力のあるアメリカの政治家は、もちろんトランプ前大統領です。彼の中国観は『アメリカを再び偉大に(Make America Great Again.)』という基本政策に根ざしています。トランプはアメリカにとって中国が今や最大の敵対者であり、アメリカの繁栄や世界における影響力に対する最大の脅威であると知っています。トランプが中国に対して取った措置の中には、例えばコロナウイルスを「中国ウイルスだ」と喧伝したような象徴的なものもありました。左派のジャーナリストから「なぜ中国ウイルスと呼ぶのか」と問われてトランプは「中国から来たウイルスだからだ」と答えています。
しかしトランプは実質的な措置も取っています。台湾の蔡英文総統と二〇一六年十二月に電話会談(直接のコンタクトとしては一九七九年以来初めて)をし、一七年一月に大統領に就任すると直ちに中国製品に何十億ドルもの関税をかけ、対中貿易戦争を始めました。この政策はトランプ政権を通して実施され、さらに様々な分野で二百以上の対中強硬政策を導入しました。まさにアメリカの政府一体となったアプローチでしたが、中でもトランプ政権で中国の権威主義的強硬姿勢を最も強く批判したのはマイク・ポンペオ国務長官でした。
二〇二〇年七月二十三日にリチャード・ニクソンライブラリーで、彼は記憶に残るスピーチを行っています。「共産主義中国と自由世界の未来」というタイトルで彼は次のように述べました。今後何十年もの長きにわたり我々の指針となるべき厳しい現実を自覚しなければならない。二十一世紀を自由の世紀にしたいなら、習近平が夢見る中国の世紀にしたくないなら、盲目的に中国と関与するというこれまでの姿勢では絶対に上手くいかない。関与政策を続けるべきでも関与政策に回帰するべきでもない。理由がどうであれ、中国は今、国内ではますます権威主義的になっており、国外における自由に対しては過去にも増して攻撃的になっている。こうポンペオは述べました。
トランプ政権で中国の権威主義に立ち向かったもう一人のキーパーソンは、当時の司法長官だったウィリアム・バーです。彼を有名にしたのは「中国指導者の究極的野心はアメリカとの貿易ではない。アメリカを奇襲することだ」という発言です。中国の対日貿易政策についても同じことが言えるかもしれません。
対中強硬派
では、現在のアメリカ政治はどうなっているでしょうか。中国に対して批判的な政治家は共和党に多く見られます。穏健派はどちらかと言えば民主党に多い。もちろん例外はあります。先ほど触れたニュージャージー州選出のボブ・メネンデス民主党上院議員がそうです。「American Foundries Act(AFA:アメリカ半導体生産強化法案)」を共同提出したチャック・シューマー民主党上院議員も例外と言えるでしょう。シューマー議員は上院院内総務として、アメリカの技術が中国に流出するのを阻止するため民主党議員たちに「対中競争法案2・0」の策定を指示したと述べています。シューマー上院議員はこうも言っています。中国政府が嘘を繰り返し、騙したり盗んだりして世界支配を実現しようとするのをアメリカは黙って見過ごすわけにはいかない。ただ時間はアメリカの味方ではない、と。しかし、フロリダ選出のマルコ・ルビオ共和党上院議員はシューマー議員もバイデン大統領も真剣に何かをしようとしているようには見えないと現政権を批判しています。
確かに米民主党は対中政策において難しい立場に置かれています。バイデン大統領とその家族が中国を含む外国から一千万ドルを受け取ったという証拠が出てきています。中国からの贈収賄に関する調査はFBI(連邦捜査局)が議会が召喚した書類の提出を拒んだことも含め、政府機関が協力的でないことが理由で進んでいません。FBIはこれまでバイデンの息子ハンター・バイデンのノートパソコンの提出も拒んでいます。ハンターに対する贈収賄の調査を邪魔をしているわけです。
バイデン大統領は五月十六日に三回目の拒否権を行使しました。中国の影響下にある東南アジアの太陽光パネルメーカに対する関税を復活させる超党派の法案に対して拒否権を行使したのです。多くの国民の目にはバイデンは中国に魂を売ったと見られています。
共和党の対中強硬派としては、トム・コットン上院議員、ジョシュ・ホーリー上院議員、そしてもちろんチャック・シューマー議員とAFAを共同提出したマルコ・ルビオ上院議員がいるわけです。ルビオ上院議員はキューバからの難民だった自分の家族の歴史、特に自分をかわいがってくれたおじいさんと結び付けて次のように中国を批判しています。
資本主義は中国を変えなかったが中国が資本主義を変えてしまった。その結果、中国共産党は豊かになり、その統制を強めた。そして我々は中国共産党の脅しや威圧に対して脆弱になってしまった、と。ルビオ上院議員は有言実行の人です。今年一月、中国共産党によってアメリカ人が搾取されないための法案を八本、改めて提出しています。これらいくつかの法案の共同提出者となっている共和党のマーシャ・ブラックバーン上院議員も議会における対中強硬派の一人です。
今後、中国に批判的な政治家は増えるかもしれません。テッド・クルーズ上院議員、リック・スコット上院議員がその候補です。下院ではジム・バンクス議員、エリス・ステファニック議員が対中強硬派として知られています。今挙げた議員たちは中国に対して批判的で、アメリカの政治的価値観や制度に対する中国の危険性に警鐘を鳴らしています。中国の危険性に警鐘を鳴らす議員は誰かと問われたとき、誰もが彼らの名前を挙げます。中国に批判的な研究者やジャーナリストとしては下院議長だったニュート・ギングリッチ、コンドリーザ・ライス、サダナンド・ドゥメ、ゴードン・クロビッツ、ワシントンタイムズのビル・ガーツなどですが、他にも見落としている人がいるかもしれません。
米大統領選での中国論 政治はすべてローカルで
中国に批判的な人々をこうやって調べるのは結構大変な作業だったのですが、結論を導き出すのはもっと難しい作業です。少なくともアメリカの保守派の間では中国の権威主義的性格についての認識が高まっていることは明らかです。ただその認識がどのような帰結を生むのか、その認識が次の大統領選挙を左右しうるのか、それはいくつかの理由でなかなかわかりません。
一つは、恐らくこれが一番大事な理由ですが、アメリカ政治では有名な「政治はすべてローカルで決まる」ということわざがあります。アメリカの大統領選挙は戦時下でもない限り外交が争点になることは稀です。それが正しいか間違っているかは別として、アメリカ人は中国よりも、ローカルな関心事、また犯罪、違法薬物、税金、中絶、人種などアメリカ特有の問題の方に関心がいく傾向があります。偉大な帝国は皆それが原因で衰退していったのだと言う人もいるでしょう。より大きな死活的問題を見失って、自分の足下だけしか見ていないと衰退するという人もいるでしょう。近年のアメリカは確かに自分の足下をまじまじと凝視しているだけなのかもしれません。
二つ目の理由は中国マネーが多くのアメリカの政治家、研究者、そして各種機関を腐敗させている現実があるからです。中国に反論したり、アメリカの価値観を中国共産主義から守ろうという切迫した思いが彼らにはありません。
もっともアメリカの価値観そのものが今変わりつつあるという問題もあります。中国共産主義に対する抵抗はアメリカで信仰を持つ人たちに最も強く、中でも最大がキリスト教徒です。しかしアメリカ国民に占めるキリスト教徒の割合は近年大幅に減っています。この十年でキリスト教徒の割合は七十七%から六十四%まで減っており、今後も減少が予想されています。
宗教色のない人々にも中国の権威主義に反対する理由は当然ありますが、彼らの中国批判はあまり聞こえてきません。自分たちの楽しみや利益が損なわれかねないデジタル権威主義に対する恐れがある時は別として、予想通りにアメリカのキリスト教徒の数が今後も減少していくと、アメリカにおける対中批判はかなり弱まってしまうかもしれません。特に若いアメリカ人は宗教の自由にあまり関心を持っておらず、中国の拡張主義を大きな問題だと思わないかもしれません。特に中国を相手に大儲けができている場合は。
もう一つの理由は米国内の権威主義にあります。近年、アメリカの法執行機関が、全体主義的な警察国家の一部であるかのような行動をしています。バイデン政権やその政策を批判する者、政敵を逮捕しています。
アメリカより日本の脅威
今年五月初めには、中国はアメリカの債務上限のいざこざに乗じてアメリカ政治に影響を及ぼそうとしているというヘインズ国家情報長官の話が報道されました。ヘインズ長官のような民主党員も共和党員と同様に、中国を脅威だと考えていると思うかもしれません。しかし、ハンター・バイデンのノートパソコンはロシアによる罠だったとする五十人の元諜報機関トップが署名した二〇二〇年の文書は、FBIや司法省も含め政治的に中立なはずの諜報コミュニティーの評価を著しく損ないました。その流れで考えると、ヘインズ長官は債務上限問題で共和党からの譲歩を引き出すために、中国を持ち出して共和党にプレッシャーをかけたと言ってもおかしくない。特にヘインズ長官は「国務省と連携して」と盛んに言っていますが、その国務省は二〇二〇年の文書の音頭をとったブリンケン長官が率いているわけです。端的に言って、ヘインズ長官は議会共和党に対して債務上限の引き上げに抵抗するなら中国に塩を送ることになると言っているわけです。
この話に中国は全く関係ないかもしれません。つまり私の結論はすべては不確実だということです。アメリカが今後も中国を批判し続けられるかどうかも、次の大統領選挙において中国が要因となるか、なるとしたらどのように影響を与えるのかも不透明です。中国の未来を予想しようと試みて間違った人は多いわけですから、私も慎重でなければなりません。私に言えるのは、中国が自国民、そして我々に与える脅威は、今そこにある現実の脅威だということです。アメリカ人が断固とした決意と勇気をもって抵抗するかどうかは神のみぞ知るということです。
日本にとっては、中国の脅威についてこれまで以上に明確に発信するチャンスです。確かに日本企業は中国との経済的な結びつきが強く、声を上げられないこともあるかもしれません。しかし日本の国益のほうが重要なはずです。中国はアメリカよりも日本の国家安全保障にとってより大きな脅威となっています。
G7首脳会合が広島で行われましたが、その後の垂秀夫駐中国大使の発言のような日本の政治リーダーからの原則に基づいた妥協のない発言は、新しい世界秩序における日本の役割を明確にするでしょう。リーダーシップを発揮することで、日本は中国に対して国際的規範や法の支配に沿った行動を促すことができるかもしれません。それはすべての人に恩恵をもたらすことになります。(敬称略)