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2017.02.13 (月) 印刷する

根拠なきレッテル貼り―西岡氏の再反論への反論 富坂聰(拓殖大学教授)

 西岡氏への再度の反論に際し、まず私の発言や立場を不正確に伝えるルール違反をしないことをお願いします。例えば、「日韓合意で韓国の約束違反を問題にしない富坂氏が」との記述ですが、私は「問題にしない」と発言・記述したことはありません。品位のない行為は慎んでください。
 私は前回2月1日付で、「西岡氏の文章を読む限り、大使らを一時帰国させるという強い措置であったからこそ、ああいう反応を引き出せたと納得できる点はありませんでした」「韓国の反応とは何なのか。それと分かる記述はどの部分なのでしょうか」と書きました。その指摘には答えず、相手に根拠のないレッテルを貼る。まるで文革時代の中国です。
 私は強すぎる措置は良策ではないと思っています。日本は、「ウィーン条約で守られるべき権利を侵害されている」ときちんと申し入れれば、それで伝わった話です。前回の拙稿で、「そもそも釜山市にしても、日本が強い措置を取る前から自ら像を一時的にせよ撤去したのではなかったでしょうか」と指摘したのもその観点からでした。
 韓国の今後を見通し、日本に厳しい政治勢力の台頭が不可避であれば、仮に強硬措置で慰安婦像を撤去させたとしても、いずれ再建され、今より大きな勝利宣言をされるのではないかと考えたからです。それならば日韓合意を、力不足ながら守ろうとする意思を示した現政権に配慮を示す選択もあるという意味です。政治には必ず揺り戻しがあり、現与党勢力が再び政権に返り咲くこともあることを考慮した発想です。

 ●政策目標と外交の一貫性は?
 次に私の主張について「宮家邦彦氏らの流れに乗るものだ」としている問題です。西岡氏は、「わが国の名誉を守るという目標を他の問題との関係で譲ってもよいと考えている」ことが根拠としましたが、いつ私がそんなことを言ったのでしょうか。
 私の主張は、学術の世界で事実を追求することと、それを政治・外交の場に持ち込むことは別だというものです。政治・外交の場に持ち込むのなら、当然、日本の立場を利する行為か否かを精査する必要がありますから。短い言葉に置き換えても、「他の問題との関係で譲ってもよい」とは明らかに違います。
 西岡氏はこの視点で宮家氏を批判していますが、「譲れない」ということは現実的な対応もしないということでしょうか。極めて身近な話をすれば、米国が地域の安全保障、または同国の世界戦略の観点から日韓が歴史問題で対立することを諫めたとき、日本は頑としてそれを突っぱねるということでしょうか。
 また、これは少々頭の体操になりますが、もし日本が死活的に必要とする物資がその相手国にしかない場合にはどうでしょうか。中国によるレアアース(希土類)の対日輸出規制で日本企業は少なからず同様の危機に直面しました。生き馬の目を抜くグローバル経済においてライバルのドイツやアメリカの企業が、このチャンスを逃がすでしょうか。そうなれば日本の屋台骨を支える企業は立ち直れないダメージを被りますが、西岡氏はこの事態にどう対処するのでしょう。
 三点目、「日本の朝鮮半島政策の目標は明確」とする部分ですが、この記述を読んで意味の分かる人はいるのでしょうか。そもそも「半島の人々の自由意思に基づき」というのであれば、日本がすることは何でしょうか。しかも、そう言いながら「資本主義で法の支配を尊ぶ、そういう統一国家ができることがふさわしい」という安倍晋三首相の言葉を引用し、あっさり政体選択にまで言及する。そして赤化を防ぐために日本が基地を提供する――そんな覚悟がなくとも国連軍の後方司令部はずっと日本に置かれていますが――というのです。では、朝鮮半島の人々が自由意思で赤化統一を望んだらどうするのですか?
 そして、もっと分からないのが、この〝政策目標〟が日本の外交にどんな一貫性をもたらしているのかです。今回のケースに当てはめると、河野談話に疑義を呈しながら、最終的にはそれ以上に韓国に譲歩したともとられかねない合意を結び、その合意が破られると大使を一時帰国させる。この流れをどのように解釈すると、「つまり、国家目標は明確なのだ」と西岡氏が断じる結果になるのでしょうか。

 ●条約の優位性への疑問
 最後に日中共同声明についてです。
 西岡氏は、「日中共同声明は条約と違って国会の批准を受けたものではない」「過去を清算するのはあくまでも条約」と条約の優位性を強調されているのですが、そもそも、その条約は読まれたのでしょうか?
 1978年に締結された日中平和友好条約には、「千九百七十二年九月二十九日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が共同声明を発出して以来、両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもつて回顧し、前記の共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認」と明記されています。
 国交正常化に続いて平和条約が締結されるのは通常の外交の流れだから当たり前です。
 ただ、よしんば条約に反映されていなかったとしても当時の田中角栄首相が署名した声明を簡単に「国会の批准を受けたものではない。時の政府が行った外交行為(筆者注:この言葉もよくわからない)だ」とぞんざいに扱ってよいものとは私は考えません。
 今後、日本はロシアとの間で北方領土をめぐる交渉を詰めてゆくことになりますが、その過程では日本が粘り強い交渉で引き出した言質を声明という形で担保するケースがあるはずです。そのとき、ロシアが「条約じゃない」ことを理由にそれを守らなくても、日本には怒る権利はないのでしょうか。さらに、尖閣諸島に日米安保条約第5条が適用されるとした安倍総理とトランプ大統領の声明も同じように扱うことができるのでしょうか。