旧正月である1月25日、金正日の妹で2013年12月に処刑された張成沢の妻である金慶姫が姿を見せた。北朝鮮の公式媒体は26日、金慶姫が金正恩や与正らといっしょに平壌で旧正月の記念公演に出席したとして、写真や動画を報道した。彼女の姿が公開されるのは6年ぶりだ。
実は私(西岡)は数年前、情報源から金慶姫は張成沢処刑に強く抗議し、金正恩を叱責し続けたので、金正恩によって毒殺されたという内部情報を入手していた。韓国の脱北者らも金慶姫が2014年5月に死亡し、金正恩に殺された疑いがあるという情報を、YouTube放送などで繰り返し公表していた。一方、韓国の国家情報院は公式に、金慶姫が平壌近くで療養中に死亡したという説は間違いだと主張していた。
日韓のマスコミは今回、北朝鮮からの報道を疑わず、金慶姫の生存が確認されたと一斉に報じた。しかし、一部脱北者らからは、今回登場した金慶姫は偽物で、金慶姫は金正恩によって殺されたことは間違いないという主張が改めて出ている。
その中で、特に注目されるのは、金正恩の秘密資金を管理している朝鮮労働党39号室の元課長である李ジョンホ氏が、2014年5月に金慶姫が死んだということを金正恩が当時の国家保衛部長の金元弘に直接伝えていたという情報などを根拠に、強く金慶姫死亡説を主張していることだ。
李氏は39号室傘下の大興総会社大連支社長のとき、39号室の資金500万ドルを持って韓国に亡命した。現在は米国で活動している。
李氏は、「金正恩が叔母である金慶姫を殺し、側近を皆処刑したので衝撃を受けて亡命を決心した。そのとき、慶姫暗殺は平壌市では秘密でもなんでもなく、党中央や中央機関の幹部たちはみな知っていた」と話している。
李氏が主張する金慶姫死亡の根拠を、YouTube放送「NKニュース」1月28日やネットメディア「リバティ・コリア・ポスト」1月28日から整理して紹介する。
金慶姫死亡の根拠
1.金正恩が直接、国家保衛部長にその事実を伝えている
張成沢が処刑されて5ヶ月が経った2014年5月初め、国家安全保衛部の活動家大会が平壌の425文化会館で行われた。地方からも多数の保衛部幹部が参加した。大会の目的は張成沢事件を終わらせ、保衛部の士気を上げることだった。参加者3000人は、金正恩が大会に出席して全員と記念撮影すると通報され、2日間待機していた。
ところが金正恩は来なかった。そこで、金元弘部長が参加者3000人にその場で金正恩に対する忠誠の手紙を書かせて、金正恩に提出した。そのことが金正恩に書面で報告された。それを受けて金正恩は金元弘部長に直接電話をかけてきて、叔母である金慶姫書記が突然死亡したので記念撮影に行けなかったと伝えた。金元弘部長はそれを保衛部の局長級幹部に伝えた。李ジョンホ氏は保衛部の友人からそのことを聞いた。当時、平壌では多くの幹部らがそのことを知っていた。
2.2014年4月から9月にかけて、金慶姫の側近の多くが粛正された
金慶姫死亡の直前、その側近であった朝鮮統一発展銀行総裁、党軽工業部傘下の銀河指導局局長が4芯高射砲で公開処刑された。同銀行にあった金慶姫の資金3000万ドルは回収された。
金慶姫が死亡した直後の5月から9月まで、彼女が軽工業担当党書記(現在は党副委員長)として自分の下に置いていた党軽工業部とその関連機関に、組織指導部の大規模な検閲が入った。検閲の結果、白桂龍軽工業部長(党中央委員候補)をはじめとして副部長、課長、副課長など20人から30人が処刑された。
公式記録を見ても、2014年5月に白桂龍軽工業部長が解任されたことは確認できる。金慶姫の健在時には、党内の最高権力機関である組織指導部ですら軽工業部を検閲することは一度もなかった。
3.党政治局委員をはじめとする党と国家の全ての公職から解任された
公式映像や書籍から金慶姫の姿と名前がすべて削除された。党政治局委員などの公職は、闘病中や老齢であっても維持される。解任は政治的責任を追究された場合に限られる。
4.6年間、父金日成、兄金正日の遺体を一度も参拝していない
白頭血統である金慶姫が生存していたなら、そんなことはあり得ない。