10月10日、北朝鮮の首都平壌で「朝鮮労働党創立80周年慶祝閲兵式」(軍事パレード)が行われた。パレードは激しい雨の中で深夜に行われた。先月3日、中国の北京で行われた「抗日戦争勝利」記念軍事パレードでは、主席壇に習近平中国共産党総書記、プーチン・ロシア大統領と並んで金正恩朝鮮労働党総書記が立って、中ロ朝の連帯を誇示したかに見えた。ところが、10日の主席壇では習近平、プーチン両氏の姿はなく、金正恩総書記の向かって左には李強中国首相、右にはトー・ラム・ベトナム共産党書記長が立ち、その隣にメドベージェフ・ロシア前大統領が立った。北京で見せた北朝鮮と中国、ロシアの連帯は後退した。
金正恩総書記も中国とロシアだけに頼っては体制を維持できないと考えているはずだ。韓国からの支援は韓国の豊かさの情報が一緒に入るので、遮断することを決めた。ロシアからの支援はウクライナ侵略戦争に兵士と兵器を提供した見返りに得ているが、停戦になれば止まる。中国は北朝鮮の核開発に反対し、改革開放政策を採用せよと圧力をかけ、権力世襲に反対して、実は関係がとても悪い。9月に北京で金正恩総書記は習近平氏と会談したが、経済支援どころか中国当局が差し押さえた金正恩一家の贅沢品や軍需工場の設備など約10億ドル相当の物品の返還さえ応じてもらえなかった。
まとまった支援が期待できるのは日本からだが、核ミサイル問題で国連制裁がかかっている現状では、実現不可能だ。金正恩総書記との会談に積極的なトランプ米大統領と首脳会談を行い、核ミサイル問題で一定の譲歩をして国際制裁の緩和を得てから、日本と交渉し大規模経済支援を得るしかない。だから日朝関係は動く。その時が拉致被害者の即時一括帰国のチャンスだ。私は繰り返しこう書いてきた。
核開発の目的の一つは中国の侵略防止
10月10日の軍事パレード録画中継を横目で見ながら、私は2023年11月に韓国に亡命した北朝鮮外交官の手記をむさぼるように読んだ。元在キューバ大使館参事官の李イルギュ氏が日本で出版した『私が見た金正恩 北朝鮮亡命外交官の手記』(李相哲訳、産経新聞出版)だ。同書は大枠で私と見方が一致しており、大いに励まされた。
同書で李氏は、亡命直前までの北朝鮮外務省内部の状況を詳細に伝えた。多くの興味深い事実が明らかにされている。ここでは金正恩政権下で中朝関係が最悪となったことと、北朝鮮が対日接近を望んでいることの二つに絞って紹介したい。
まず、中朝関係だが、李氏は「北朝鮮の核保有に対して最も強く反対し、圧力をかけていたのは、他ならぬ中国であった」と驚くべき事実を暴露した。2006年10月、北朝鮮が1回目の核実験をしたとき、当時の金正日総書記が姜錫柱第1外務次官に電話をしてきて「今回、我々は核実験に成功したことで、大きな山を越えた。私が言う〝大山〟とは米国でも日本でもない。中国だ。もはや中国が私たちを弱小国とみなすことはできなくなった。中国だけでなく、米国や日本も私たちを侵略する勇気はないだろう」と語ったという秘話を紹介した(115〜116ページ)。金正日総書記が、核開発の目的の一つは中国の侵略を防ぐことだと告白している。金正日時代から中朝関係は良くないのだ。
金正恩政権で中朝関係最悪に
2017年11月に北朝鮮の李容浩外相がキューバを訪問したが、「当時、北朝鮮の首脳部は中国を非常に嫌悪しており、主要幹部が外国に出かけるときは、中国を経由しないように指示された」ため、実務を担当した李氏らは苦労したという(221〜222ページ)。ここで言う首脳部とは金正恩総書記を指している。
李氏は「金正恩政権下で中朝関係は最悪の状況に陥った」としてこう説明した。
〈張成沢処刑など複数の要因があるが、核問題に対する中国の拒否反応が最も大きかった。一方、北朝鮮からすると対北朝鮮制裁に加担する中国が最大の障害でもあった。そこで北朝鮮では、中国なしの社会主義建設を図るとして、中国製品の排除や中国貿易の削減措置をとりつつ、外務省に対しては中国を完全に無視する戦術を採るように指示した〉(303ページ)
李氏は、中国が北朝鮮を生かさず殺さず状態にしておこうとしていると見る。
〈しかし、中国は北朝鮮の体制崩壊を望んでいない。なぜなら、北朝鮮が崩壊すれば、千四百キロに及ぶ中朝国境に多数の兵力と戦略資産を常時配備しなければならず、中国に膨大なコストと負担がかかるからだ。中国は北朝鮮が飢え死にするのも、豊かに暮らすのも望んでいない。適切な範囲で体制維持を支援しつつ、自らに従順であることを望んでいる〉(302〜303ページ)
対北支援が可能なのは日本だけ
次に北朝鮮外務省が対日交渉をどのように見ているかを紹介しよう。李氏は「北朝鮮の外交官は、大国の中で実質的な支援を可能にするのは日本だけだと考えていた」としてこう説明する。
〈中国は「北朝鮮を殺すことも、救うこともできない国」、ロシアは「北朝鮮を支援する能力のない国」、アメリカは「北朝鮮に興味のない国」、韓国は「経済発展を遂げているものの、まだ北朝鮮に対し大規模経済支援ができるほどの経済の余裕はない国」と見なしていた。 結局、北朝鮮に実質的な支援をできる国は日本だということだ〉(305ページ)
日本からの経済支援について李氏は、2002年9月に小泉純一郎首相が訪朝したとき、拉致問題さえ誠実に解決すれば300億ドルの経済支援をすると約束したという噂が流れていたと書いた(105ページ)。実は、小泉首相訪朝直後に北朝鮮外務省職員を対象に姜錫柱第1外務次官が講演をして、100億ドル相当の経済支援がくると話している。李氏の先輩にあたる亡命外交官の太永浩・元英国公使はその講演を直接聞いている。李氏はその講演を聞いていない。たぶん、外務省通信管理局の「養成生」つまり、正規の部員ではなかったので、講演会に呼ばれなかったのだろう。
拉致解決は日本への「餌」
拉致問題に関する北朝鮮外務省の考えは、本書の末尾に付けられている訳者の李相哲龍谷大学教授によるインタビューに李氏が詳しく答えている。
〈北韓にとって、拉致問題解決は「餌」であり、手段であります。最大の狙いは日米韓共助を破壊し離間させること、日本を通じて大規模経済援助を受ける目的をどうやって達成するかということです。(略)日本はおいしい「肉の塊」で、十分に利用できると思っていました〉(324ページ)
小泉首相訪朝で拉致を認めるという大きな譲歩をしたにもかかわらず、大規模な経済支援を得られなかった。北朝鮮外交官らは、その理由を米国のせいだと考えている。彼らは、当時日本で全被害者の救出を支援の前提条件にすべきだとする家族会などの主張が世論の圧倒的支持を得ていたことを見落としている。その点も予想したとおりだった。李氏はこう述べる。
〈02年の小泉訪朝を通して、一つ、あることを悟りました。日本を動かすためには、どうしても米国を動かさなければならないということです。当時、金正日が拉致を認めた理由は、日本の経済的な援助を目当てにしていたからです。しかし、それが実現できず、北朝鮮はかなり失望しました。(略)その後、日本に近づくにはまず障害物を除去しなければならないと理解しました。障害物とは米国のことです。北朝鮮は、日本という美味しい「肉の塊」を食べたくて仕方がない。涎を垂らしながら見つめていますが、中途半端に手を出すと火傷をするかもしれないと慎重になっています。必ず大きなものを得なければならないという戦略を持っています〉(324〜325ページ)
北に日朝関係を動かす用意
最後に紹介したいのが、最近の日朝関係に関して李氏が「私個人としては、取引が始まっているのではないかと見ています」と述べていることだ。北朝鮮外務省の考えではなく、李氏が亡命した後に様々な情報を集めて自分なりに分析した結果だ。李氏は米朝が関係を緩和させる兆しがあれば北朝鮮は日朝関係を動かすと見る。
〈今後、米朝関係に変化の兆しがあり、関係緩和が確実と判断し、日本から何らかの利益が得られる見込みが立てば、北朝鮮は本格的に日朝関係を動かすでしょう〉(326ページ)
李氏は、北朝鮮が昨年から韓国との統一を放棄するという戦略変化を見せた結果、日朝関係構築をより切実に模索するようになったと考えている。その上で、次のように北朝鮮が岸田文雄政権に接近しようとした背景を分析した。
〈昨年から、北朝鮮は「敵対的二国家論」を唱え、韓国を完全に排除しようとしてきました。それを実現するには、米国と日本を自国側に引き込む必要があります。しかし、米国に接近するためには中国やロシアの顔色をうかがう必要があり、その準備は昨年までに整っていませんでした。現在も十分に準備ができているわけではありません。こうした状況の中で、北朝鮮は日本との関係を動かそうとしたように見えます。岸田文雄政権に替わった機会にそれを試みてみようと判断したようです〉(326〜327ページ)
確かに、岸田政権下で日朝関係は動く兆しがあった。金正恩総書記が韓国は同じ民族ではなく敵対国だと公に宣言したのが2023年12月と2024年1月の党と国家の重大会議だった。同じ1月に金正恩総書記は能登半島地震への見舞い電報を送り、そこで岸田首相に「閣下」という敬称まで付けた。2月には金正日総書記の妹である金与正副部長が談話を出して「日本が、われわれの正当防衛権について不当に言い掛かりをつける悪習を捨て、解決済みの拉致問題を両国関係展望の障害物としてのみ据えない限り」という条件を付けて「両国が親しくなれない理由がなく、首相が平壌を訪問する日もあり得る」と述べた。北朝鮮が公式に首相訪朝に言及するのは小泉氏の訪朝以降で初めてのことだ。
米朝関係進展なら拉致問題で「成果」も
その金与正談話について李氏はこう分析する。
〈「拉致問題は完全に解決した。その問題は提起するな」と金与正は言っていましたが、「完全に解決した」というのは文字どおり解決したという意味ではありません。「拉致問題はあなたたちにとって非常に厄介な課題だ。それをわたしたちは解決する用意がある。ただし、話し合いを行うつもりなら、それにふさわしい報償を確実に準備せよ」という暗示です。 そうでなければ、金与正があえて拉致問題に触れる必要はありません〉(327ページ)
続けて李氏は、岸田政権での日朝接近が失敗した要因を、トランプ政権誕生や国際問題の複雑化(ロシアのウクライナ侵略戦争などを指すと思われる)を挙げた。その上で今年か来年初めに米朝関係が進み、それを日本がうまく利用すれば拉致問題で成果が出る可能性があると、次のような見通しを述べた。
〈その後の金与正談話などを総合すると、日朝関係はもしかすると動くかもしれないと、私自身は考えるようになりました。今年になるか、来年初めになるかはわかりませんが、米朝関係に変化が生じ、それに日本がうまく乗れば、成果が出る可能性はあるでしょう〉(同)。
冒頭書いたように、私もほぼ同じような見通しを持っている。日本政府、議会、民間の力を結集すべき勝負のときだ。(了)




