公益財団法人 国家基本問題研究所
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第九回(令和4年度) – 日本研究賞 受賞者

国基研 日本研究賞
産経新聞PDF2022年6月15日付産経新聞に、 第9回「国基研 日本研究賞」の 記事が掲載されました。 内容はPDFにてご覧いただけます。【 PDFを見る 】

日本研究賞
エヴァ・パワシュ= ルトコフスカ(ワルシャワ大学教授)

「【増補改訂】日本・ポーランド関係史―1904-1945
日本・ポーランド関係史Ⅱ―1945-2019年」
(いずれも彩流社、2019、2021)

受賞のことば

エヴァ・パワシュ= ルトコフスカ

私の『日本・ポーランド関係史』第1巻(1904−1945)及び第二巻(1945−2019)の2冊の著書を受賞に値する重要な研究成果として評価してくださった日本研究賞の選考委員会の皆様に、心より感謝いたします。また、選考委員の一人、東京大学名誉教授の伊藤隆先生に心からお礼を申し上げます。この賞に推薦していただいたのは、ひとえに先生のおかげです。それは長年に及ぶもので、私が初めて東京大学に研究員として滞在した1983/1985年に、先生のゼミに参加して以来、日本近現代史やその他の分野で、貴重な専門的・実践的な助言をいただいてきました。この時の滞在によって、また伊藤先生のご助力により、多くの資料にアクセスすることができ、博士論文を書くことができました。その次に東大に滞在した1990/1991年には、伊藤先生のご助力を得て、日本・ポーランド関係史の史料収集を開始しました。私は当時、ほとんど未開拓であったこのテーマを扱うことは、日本研究者として、またポーランド人としての私の義務として受け止めました。この研究は、数年後、1冊目の『日本・ポーランド関係史 1904-1945』(A.T.ロメルとの共著)として実を結びました。両国関係についての知識を広めることは、日本とポーランド双方にとって極めて重要であるという確信のもと、以後数年にわたり調査を続けました。まもなく、戦後から現代、すなわち日本とポーランドの外交関係樹立100周年にあたる2019年まで、それまで未開拓であった交流史の続きを明らかにすべく、研究を展開しなければと考えるに至りました。結果として、この記念すべき年に、1945年から2019年までをカバーする関係史の第2巻をポーランドで出版することができました。また、彩流社社長の竹内淳夫さまがこのテーマに関心を持たれ、増補改訂版した第1巻が2019年に、第2巻が2年後に出版されたのはとても幸運なことでした。訳者の柴理子さん、白石和子さんの素晴らしい仕事なしに、日本での出版はかなわなかったはずです。お二人への感謝の気持ちは計り知れません。

私が約30年に及ぶ研究によって導き出したのは、ポーランドと日本は100年以上もの間、友好的な関係にあったという結論です。第二次世界大戦中でさえ、反対側の戦線で戦いながらも、軍の諜報将校の間での協力は続きました。第二次世界大戦後、東西冷戦下において、両国は敵対する政治陣営に属すことになりましたが、1957年に外交関係を回復した際にも、両国関係には困難な問題や対立、論争は生じませんでした。1981年12月にポーランドで発令された戒厳令は、両国関係にきわめて否定的な影響を与えましたが、日本は他の西側諸国のようにポーランド人民共和国に制裁を加えることはなく、より穏やかな形式である「制限」にとどめました。1985年に安倍晋太郎外相がポーランドを訪問して以来、二国間関係は段階的に改善するようになり、ポーランドが民主化への道を歩み始めた1990年代には、それがさらに加速しました。1994年のワレサ大統領の訪日が転機となったのは確かですが、2002年の天皇皇后両陛下のポーランド訪問は特に重要な出来事となりました。また、2019年の国交回復記念行事を締めくくったのは、秋篠宮殿下・妃殿下のポーランド訪問でした。

両国の関係が非常に良好であることは、私が聞き取り調査を行っている大使やその他の多くの人々から何度も聞いており、このことは外交文書や報道資料からも明らかです。両国の利害が対立するような争点はなく、最近のウクライナ情勢など、国際的に重要な課題について、両国は近い立場をとっています。

この2冊の本は、私の長年の研究の成果であると同時に、個人的な性格を持つものでもあります。この中には、私の長年の経験が集約されています。第2巻で紹介した出来事の多くは私が目にしたもので、登場人物の多くと知り合いました。これらの方々の貴重な協力と、多くの機関からの支援がなければ、私の研究の目的は決して実現しなかったでしょう。これらの方々もこの賞の受賞者です。あらためて心から感謝申し上げます。


略歴

1953年、ポーランド・ワルシャワ生まれ。ワルシャワ大学日本学科卒業。1987年、同大東洋研究所(現在の東洋学部)で博士号(人文科学)を取得。2003年に同大学教授となり、2006年から2013年まで同大東洋学部日本学科長、同時に2007年から2013年までポーランド日本情報工科大学教授も務める。現在もワルシャワ大学日本学科の教授。
この間、1983年から1985年まで東京大学に留学、以来数十回にわたり日本(主に東大)に留学・研究(客員教授としても)を続ける。2015年には旭日中綬章を受け、2019年には国際交流基金賞も受賞した。
主な著書・論文には、日本研究賞受賞作となった『日本―ポーランド関係史1904-1945』『同1945―2019』のほか、『明治天皇、近代化する日本における君主像』(ポーランド語、ワルシャワ大学出版 2012年)、『日本におけるポーランド人墓碑の探索』(文化省編、2010年)、『20世紀の日本』(ポーランド語、K.スタレツカと共著、TRIO 2004年)。論文として、「ポーランド日本間の国交回復問題。第二次世界大戦後の外交関係」(『日本歴史』2015/7)、「日本に眠るポーランド人たち」(『軍事史学』2011/47/3)など多数。


日本研究特別賞
李 大根(成均館大学名誉教授)

「帰属財産研究 韓国に埋もれた『日本資産』の真実」(文藝春秋、2021)

 

受賞のことば

李大根

この度は、輝かしい賞を頂戴し光栄に思います。

色々と欠点が多いにもかかわらず、拙著(『帰属財産硏究』)を今年の光栄な「日本硏究特別賞」の授賞作として選定してくださった公益財団法人「国家基本問題硏究所」の櫻井よしこ理事長をはじめとする選定委員の方々の身に余るご親切とご厚誼に厚く御礼申し上げます。

当初、この本がこのように日本語にまで翻訳出版され、また、このような光栄ある受賞までするようになることを前もって知っていたら、微力ながら力を尽くしてもう少し熱心に研究に研究を重ねて、より一層充実した内容として皆さんに謹呈できるようになったのかもしれません。そうならなかったことを今になって残念に思っても仕方がないとは思います。

実にこれより残念に思う点は、執筆当初、必ず研究に含ませると何度も念を押したにもかかわらず、自分の力不足でついに自分との約束を守ることができなくなった、即ち、①敎育-保健-衛生②治山治水-山林綠化-林業開發③灌漑・水利施設(組合)などの分野は、結局、誰かの後学に研究を押し付けることになってしまいました。

もう一つ追加させて頂きたいことは、1945年8月15日の解放(終戦)直後、韓国の新統治者として登場した「米軍政」が真っ先に処理することになった重点事業が正に退去する日本人らが置き去りにした財産(米軍政はこれを ‘vested property’と呼び、韓国人はこれを「帰属財産」と翻訳)受けつけ(没収)、管理することだったが、実はその全過程を見てみると、そこには常識的に到底納得しがたいことが一つ二つだけではなかったと思います。

代表的な例を一つ挙げるとすれば、米軍政が1945年9月、これら日本人の財産を受付する際、当初、民間人所有の「私有財産」については、私有財産保護という名分で受付対象から除外させたが、3か月後の同年12月に何の事由なのか、突然、私有財産まで追加の受付対象に含める特別措置を取ることになった。このため、財産所有者に私有財産権の侵害はもちろん、早急に日本に帰国しなければならない彼らに極度の悲哀と苦痛を与えたということがそれです。

米軍政によるこの日本人私有財産侵害事件に関しては、関係当事者(8.15終戦当時、朝鮮に居住の日本人)から日本政府に対して財産上の損害賠償請求といった要求があったはずですが、公式にそのようなことがあったとすれば、それがどのように処理されたのかという問題が常に私には非常に気になる事案でした。この点に関しては、私は平素から帰属財産問題を扱いながら、このように自分の全財産を米軍政に没収され、完全に空手で日本に強制退去させられた彼らに、終戦後、日本政府によって果たしてどのような応分の補償(?)措置が取られたのかが、実に気になることでした。受賞、まことにありがとうございます。


略歴

1939年、韓国慶尚南道陜川郡生まれ。1964年から77年まで、韓国産業銀行勤務。77年9月から79年8月まで、米ニューヨーク州立大学に留学、経済学修士号を取得。同80年9月、成均館大学経商学部助教授に就任。同87年2月、ソウル大学大学院を修了、経済学博士号を取得。同91年12月から一年間、日本の京都大学招聘教授に、2000年3月から半年間、中国北京大学の訪問教授を務める。同5年、成均館大学を定年退職。現在、成均館大学の名誉教授。  主な著書には「韓国戦争と1950年代の資本蓄積」(1987年、カチ社)、「世界経済論」―グローバル化と国民経済(1993年、カチ社)、「韓国貿易論」(1995年、法文社)、「世界経済システムと東アジア」(2008年、ハヌル社)、「現代韓国経済論」(2008年、ハヌル社)、「帰属財産研究」(韓国語版2015年、イスブ社、同日本語版2021年、文藝春秋社)


日本研究特別賞
ジェイソン・モーガン(麗澤大学准教授)

LAW AND SOCIETY IN IMPERIAL JAPAN Suehiro Izutaro and the Search for Equity(Cambria Press、2020)
(帝国日本における法と社会:末弘厳太郎と衡平を求めて、邦訳なし)

 

受賞のことば

ジェイソン・モーガン

私が大正、昭和時代の法学者である「末弘巌太郎」という名前に初めて出会ったのは、アメリカ人学者ジョン・オーエン・ヘイリーの著作「日本の法制史」を読んだ時で、彼の名前は確かその本の判例を扱った文章の脚注として記載されていたと記憶しています。私は大変興味をそそられて、まずはオンラインや私の大学の図書館で予備的な情報を集めました。その後、私は入手できる彼に関するものはすべて読破し、以来それを中止したことはありません。20世紀前半の日本の法制の変遷や波乱に満ちた政治、社会の激変、加えて世界の動きの中で、彼が人生で直面し、対応して取り組んだ数々の挑戦に関する彼の世界は、読み物として本当にすばらしいものでした。末弘は創造心のある優秀な思想家であり、私はしばしば彼の議論や見解に同意できないこともありましたが、彼の思考について私はもっと学びたいという気持を常に持ってきました。彼は私が生まれるずっと前に逝去していますが、彼の著作や彼に関するものを多量に読んで、ある意味で、彼があたかも私の友人になったかのように感じています。

私はこの研究で二つの大きな教訓があったと考えています。

一つ目は、華麗な日本の歴史の中に踏み込むと、必ずどの時代にも精一杯その時代に生き、人の心をつかんで離さないような人物がいるということです。日本の歴史の記録には、退屈な年や日さえ本当にありません。例えば、末弘は壊滅的被害のあった1923年の関東大震災を生き抜きましたが、その災害の発生直後から東京大学の同僚教授や学生グループを率い、大学教育の延長として「セツルメント」と呼ばれる救援の社会活動プロジェクトを展開。被災地域に住み込んで、赤十字社などの組織と連携を図りながら、住民たちに医療や教育を提供する活動を行いました。こうした活動は末弘が東大の学生時代に、英国や米国に留学し、そこで学んだ考え方を日本にもたらしたものです。

末弘は後年、中国の北部にもう一つの調査団を派遣し、彼や彼のチームが人道主義的な「セツルメント」活動で学んだ調査技術や手法を活用しながら、中国の農民層の「生ける法」の収集と記録の作成に乗り出した。「生ける法」とはオーストリアの法学者オイゲン・エールリッヒが提唱した法概念で、慣習法も含め人々が受け入れ実践している行動規範のことであるが、彼はこの法概念を援用して調査したのです。  末弘は第2次大戦後、米占領軍に一時、教職追放されるが、すぐに復帰し、本来の学問的情熱の対象であった労働法の研究を続けました。これは彼が関東大震災以前から、地方の農村の大地主と小作農の関係改善を目指す激しい政治的な労働争議で、農民側に立って関与してきたテーマでもありました。

末弘は最初から最後まで社会活動の真っ只中にいました。その意味で彼は日本史の一つの時代を代表しているともいえます。日本史には常に何か興味深いことがあり、常にもっともっとあり、それらを学ぶことができます。日本研究特別賞は私にとって、その偉大な真実の祝賀のようなものです。日本史は少なくとも私にとって、世界の中でもっとも魅力的な歴史です。私はほかの多くの人々がこの特別賞に関するニュースを知り、日本の歴史の書籍を手にするようになるように願っています。もし見つかれば、末弘に関する私の著作を手にしてほしいですが、ほかにも別のテーマの本を含め、選択できる多くの良い本があります。

二つ目としては、この特別賞は国基研と櫻井よしこ理事長や田久保忠衛副理事長の遺産になると考えます。多くの点で私と全く違う世界の人物であり、しかも私と大きく違う見解の持ちである人物の研究であるにも関わらず、私にこの特別賞を授与されたことは、桜井理事長や国基研の精神をよく示しているということです。それは研究内容の公開性、健全な議論、複雑な問題を前にしての勇気、さらに党派的な政治では見られそうもないような真実を追求する精神です。

私の考えでは、本当はこの賞が私に与えられたものではなく、末弘本人に与えられたものと思っています。まず第一に、興味深く、波乱に富んだ人生を送り、高い知性の研究によって築いた彼の世界こそが賞に値すると思うからです。また、偏見にとらわれず、自由な探究心をもって研究するすべての人々に与えられるものでもあります。

博士論文作成のために末弘の研究をしていた当時、多量の資料を提供してくださった末弘家にも感謝したいと思います。末弘のご子孫のご家族と会うことができ、彼自身が所有していた書籍や資料に直接触れることができたのは、このご家族のお陰であり、とても幸運でした、このことがなければ私のささやかな著作もなかったと思います。

日本はとても良い、美しい国です。それは守っていく価値があり、歴史的な真実を伝える価値がある国です。日本研究特別賞は私にとって大きな励みになるものであり、歴史や真実、日本自体について関心のある誰にとっても、そうであると考えます。有難うございました。


代表者略歴

1977年、米ルイジアナ州の生まれ。テネシー州立大チャタヌーガ校で歴史、国際関係を専攻、修士号はハワイ州立大学マノア校(アジア学、2005年)、コネチカット州ホーリー・アポッスル・カレッジ(キリスト教哲学、2021年)で取得。2016年には州立ウイスコンシン大学マジソン校で日本史専攻、博士号を取得した。
2014年から翌年にかけ早稲田大学大学院に卒業論文フルブライト研究生として留学。その他、海外ではイスラエル・ハイファ大で比較法、中国・雲南大で中国語、名古屋外国大学で日本語、名古屋大学で日本史の勉強を続けた。
2017年から麗澤大学の教壇に立ち、現在は准教授を務めている。
本年度日本研究特別賞作品に選ばれた「帝国日本における法と社会:末広厳太郎と衡平を求めて」(ニューヨーク・カンブリア社、2020年出版)のほか、主な作品には「歴史バカの壁」(育鵬社、2020年)、「アメリカン・バカデミズム(育鵬社、2019年)、「リベラルに支配されたアメリカの末路」(ワニブックス、2018年)、「日本国憲法は日本人の恥である」(悟空出版、2017年)などがある。