第七回「国基研 日本研究賞」
受賞作品
日本研究特別賞 |
李建志 関西学院大学社会学部教授 「李氏朝鮮最後の王 李垠」:第一巻 大韓帝国1897―1907、 第二巻 大日本帝国[明治期]1907―1912」(作品社、2019) |
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日本研究奨励賞 | ミンガド・ボラグ フリーランスライター、通訳・翻訳家「草はらに葬られた記憶『日本特務』―日本人による『内モンゴル工作』とモンゴル人による『対日協力』の光と影」(関西学院大学出版会、2019) |
選考の経緯
第七回「国基研 日本研究特別賞」
李建志 関西学院大学社会学部教授
「李氏朝鮮最後の王 李垠」:第一巻 大韓帝国1897―1907 第二巻 大日本帝国[明治期]1907―1912」(作品社、2019)
全四巻の大作だが、既刊二巻についての書評を、という変形の仕事を選考委員会から依頼された。完成を待っていられなくなる理由はよくわかる。歴史研究者、作家、編集者らにとって、李垠は李朝五百年の最後の王であって、大韓帝国の皇太子だ。日韓併合で大日本帝国の「準皇族」となり、日本の皇族梨本宮方子と結婚した。
数奇な運命という五文字で片付けるにはあまりにも魅力が多すぎる。著者の李建志氏も指摘しているように、いま韓国では日本という名のつくものに対するわけのわからない攻撃が続いている。日本に関係する人間に批判が向けられるとすれば、李垠氏以上の親日派は韓国に存在しないだろうに、何故同氏は非難を浴びないのか。
著者は李垠の生い立ちから日本の陸軍幼年学校留学までの様子を詳細に追っていく。取材に要した時間と労力がいかに大変であったかは李王朝の祭祀などの詳細きわまる描写ひとつ取ってもよくわかる。文章で包んでいるのは李垠への愛情だろう。朝鮮半島がロシアや中国に対する地政学的重要性を帯びているところから、明治天皇、伊藤博文ら明治の政治家がいかに李垠を大切に扱ったか。明治天皇や伊藤の可愛がりようは実の子や孫以上だったともいわれている。
日本の事情にも通じている李建志氏には、併合は耐え難い屈辱だ。伊藤の李垠に対する「愛情」には、李垠の父である高宗を「ハーグ密使事件」で廃位させた協力者から見た「あわれみ」に近いものがある。その分ゆがんだ「愛情」だ、などとも表現している。日本側から見れば、このような見方はひがみに近い。ただ、「朝鮮半島を、日本軍は事実上『橋桁』として利用した。いや濫用したといってもいいかも知れない。そしてそのついでに『朝鮮半島の利権』を火事場泥棒さながら奪い取っていったわけである。ここには司馬遼太郎が『坂の上の雲』で語るような『美しい日本人』など、かけらも見当たらないではないか」という部分など、歴史観の相違が存在するとしか言い様がない。
立場の違いなどはどうでもいい場面がある。1907年に李垠は東京で教育を受けるために訪日する。訪韓して十歳の李垠に会った皇太子の嘉仁(大正天皇)は二十八歳。李垠は一日も早い再会を望み、嘉仁は風邪を押して新橋駅頭に出迎える。「嘉仁の姿を見るや、急に伊藤総督の手をふりはらい、嘉仁の前に急いでかけつけ、なつかしそうに笑顔で敬礼した」と著者は淡淡と書いた。感動した。
講評 選考委員 副委員長 田久保忠衛
国基研副理事長・杏林大学名誉教授
第七回「国基研 日本研究奨励賞」
ミンガド・ボラグ フリーランスライター、通訳・翻訳家
「草はらに葬られた記憶『日本特務』―日本人による『内モンゴル工作』とモンゴル人による『対日協力』の光と影」(関西学院大学出版会、2019)
日清日露戦争を経て、我が国は、アジア大陸との関係を深くしていく。1868年の明治維新から昭和7年(1932年)の満洲国の成立までわずか64年である。それから大東亜戦争の敗北までたつたの13年である。
満洲国は、昭和6年(1931年)の満洲事変の結果として誕生した。満州事変は我が国の進路を誤らせ、その後我が国は誤つた戦争に突き進んで敗北したといふ歴史家もゐる。しかし、歴史をそのやうに簡単に一刀両断できるであらうか。
英訳は民間有志の醵金と義侠心により実現した。そのお陰で、外国に販売ルートをもたぬ日本の出版社でなく、国際的に通用する、綿密な註のついた学術書として米国大手出版社から世に出すことを得た。
本書の著者は、我が国と内モンゴルとの関係から満洲事変は日露戦争の延長戦であるともいへるといふ。我々は、精々我が国に協力した政権を樹立した徳王などごく少数のことのほか、内モンゴルのことをほとんど知らないが、本書を読むと両者は深い関係があつたことがわかる。
カルピスが内モンゴルの飲料からヒントを得て作られたものであるとか、日露戦争で払底した軍馬を内モンゴルから輸入したことは単なるエピソードであるが、日本は日露戦争後、内モンゴルに入り込み、特務機関を設立して広く大陸政策を推進した。教育機関を設立し、軍人も養成した。日本に協力したモンゴル人も少なくなかつた。そして、日本の敗戦後あつといふ間に日本人は去つて行つた、とモンゴル人はいふ。
本書は、著者の身内を含む日本と接触した経験のある多数のモンゴル人や関係日本人が語るオーラルヒストリーである。記憶違ひや誤りについては関連資料と照らし合はせたといふ。
本書から、中国、ロシア(ソ連)、それから日本など大国に挟まれて翻弄され、つひに自分たちの国を持つことができないで迫害されてゐる内モンゴルの歴史の一端を知ることができる。著者は、日本がこの内モンゴルとかつて深い関係にあつたことを忘れないでほしい、そのため本書のタイトルを「草はらに葬られた記憶・・・」としたといふ。粛然たらざるを得ない。
講評 選考委員 髙池勝彦
国基研副理事長・弁護士
選考委員
委員長 | 櫻井よしこ 国家基本問題研究所理事長 |
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副委員長 | 田久保忠衛 同副理事長・杏林大学名誉教授 |
伊藤隆 東京大学名誉教授 平川祐弘 東京大学名誉教授 渡辺利夫 拓殖大学学事顧問 髙池勝彦 国基研副理事長・弁護士 |
推薦委員
推薦委員 | ジョージ・アキタ 米ハワイ大学名誉教授 ジェームズ・アワー ブラーマ・チェラニー ケビン・ドーク ワシーリー・モロジャコフ ブランドン・パーマー 許世楷 アーサー・ウォルドロン エドワード・マークス デイヴィッド・ハンロン 楊海英 陳柔縉 ロバート・D・エルドリッヂ ジューン・トーフル・ドレイヤー ヘンリー・スコット・ストークス ロバート・モートン 崔吉城 蓑原俊洋 ペマ・ギャルポ 秦郁彦 (順不同) |
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