公益財団法人 国家基本問題研究所
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第七回(令和2年度) – 日本研究賞 受賞者

国基研 日本研究賞
産経新聞PDF2020年7月10日付産経新聞に、 第7回「国基研 日本研究賞」の 記事が掲載されました。 内容はPDFにてご覧いただけます。【 PDFを見る 】

日本研究特別賞
李建志(関西学院大学社会学部教授)

「李氏朝鮮最後の王 李垠:第一巻 大韓帝国1897-1907、
 第二巻 大日本帝国[明治期]1907-1912」(作品社,2019)

 

受賞のことば

李建志

この度、私の著した「李氏朝鮮最後の王 李垠」第一巻及び第二巻が日本研究特別賞を受賞しましたことに大変感謝しております。李垠という人物に関しては、大韓帝国最後の皇太子として、また梨本宮守正王のご息女である方子さまと結婚した朝鮮王族として、日本でもかなり広く知られた存在です。そして彼の苦難に満ちた人生は、日本では方子さまとの関係から描かれることが多かったといえます。

もちろん、新城道彦氏の『天皇の韓国併合』(法政大学出版会、2008年)では、朝鮮が日本に併合されるとき、朝鮮王家の人びとをどのよう扱ったかを詳しく論じていますし、小説家の張赫宙が李垠本人からの聞き取りを元に書いた小説『李王家悲史 秘苑の花』(世界社、1950年)や、韓国の作家ソン・ウヘ氏が書いた『最後の皇太子』(全四巻、プルンヨクサ社、2010~2012年)など、決して粗末に扱われているわけではありません。

しかし、彼がどのような通過儀礼を受けてきたか、そしてどういう人びと交流していたのか。文化研究者である私にとって、もっとも知りたかったのは、そういう李垠の人としての生 活の記録でした。『護産庁日記』や『英親王府日記』など、彼にかかわる「日記」類を読みこむことで見えてくるさまざまな物語や、また『大正天皇実録』から読み取れる李垠と嘉仁親王のたしかな友情など、静かではあっても相当に驚きと発見のあるものでした。「日記」とは不思議なもので、退屈な日々を淡々と描いているのではありますが、何度も読みこむことで、その裏にある「政治」―たとえば、大韓帝国皇帝だった高宗が、あえて「仮病」を使って伊藤博文を遠ざけ、「ハーグ密使事件」を計画していたことなど―も見えてきます。私の書いたものは、小説家が著したようなドラマではなく、このような淡々とした日常を読みこむことで見えてくる「政治」や「国際関係」、そして李氏朝鮮の王妃や官吏たちが繰りひろげた「絵巻」とでもいうべきものです。この「絵巻」を見るときの私の思い入れは、ときに自分でも不思議になるほど、とても深いものでした。

今回の受賞で、李垠の評伝をこれからもあと二冊書き継ぐという仕事の意義をあらためて自覚し、またより厳しい読者からのご鞭撻をいただくことで成長しなければならないとい う覚悟をする次第です。私のような者の書いたものを丁寧に読んでくださった、平川祐弘先生や渡辺利夫先生、私の指導教授を引き受けてくださった延廣真治先生、そしてなにより も天国にいらっしゃる芳賀徹先生に感謝の言葉を捧げます。


略歴

1969年3月、東京都品川区小山に生まれる。87年、都立日比谷高校卒業。92年、中央大学文学部哲学科卒業。94年、東京大学大学院総合文化研究科比較文化専攻修士修了。2000年2~3月、韓国延世大学大学院国語国文学専攻、東大大学院超越文化科学専攻のそれぞれ博士課程満期退学。2000年4月、京都ノートル女子大学人間文化学部専任講師、2003年県立広島女子大国際文化学部助教授、2007年、県立広島大学人間文化学部准教授、2010年9月から関西学院大 学社会学部教授を務める。

主な著書には、『朝鮮近代文学とナショナリズム―「抵抗のナショナリズム」批判』(作品社、2007年)、『日韓ナショナリズムの解体―「複数のアイデンティティ」を生きる思想』(筑摩書房、2008年)、『松田優作と七人の作家たち―「探偵物語」のミステリ』(弦書房、2011年)。夫人の齋藤由紀氏との編著で『京都の町家を再生する―家づくりから見えてきた日本の文化破壊と文化継承』(関西学院大学出版会、2015年)。
現在、京都市内の着物の町にある築百年の町家で、夫人と二人暮らし。


日本研究奨励賞
ミンガド・ボラグ(フリーランスライター、通訳・翻訳家)

「草はらに葬られた記憶『日本特務』―日本人 による『内モンゴル工作』とモンゴル人による 『対日協力』の光と影」(関西学院大学出版会、2019)

 

受賞のことば

ミンガド・ボラグ

この度は国家基本問題研究所の日本研究奨励賞を受賞したことを大変光栄に存じます。拙著を評価してくださった選考委員の方々に心より感謝を申し上げます。また、拙著を公刊してくださった関西学院大学出版会のみなさんや帯のキャッチコピーを書いてくださった楊海英教授に改め感謝を申し上げます。そして、日々、私を応援してくださった方々や、支えてくれた家族にも感謝致します。

私は中国内モンゴル自治区から来日した者です。通称「内モンゴル」であり、「南モンゴル」とも呼ばれています。満洲国時代、現在の内モンゴルの東部が満洲国に編入されていて、西部が事実上「第二満洲国」になっていた歴史があります。カルピスの生みの親で知られている三島海雲氏は、明治四十年頃、この内モンゴル草原でカルピスのもととなる乳酸菌飲料と出会い、そこから今のカルピスが誕生しました。また、日本で広く知られている、モンゴル の民族楽器である馬頭琴の起源にまつわる話「スーホの白い馬」も内モンゴル発祥の話です。

このように内モンゴルは近代日本が長く関与し続けた地域なのです。私の大叔父は今年96歳ですが、今でも毎日のように虫眼鏡を手に日本語の哲学書を読んでいます。というと驚く日本人が多いかもしれませんが事実です。大叔父は満洲国時代、第二満洲国であった内モンゴル西部草原で日本語教育を受けました。中学校から高校を卒業するまで全科目を日本語で勉強したそうで、今でも綺麗な日本語が話せます。大叔父の日本語能力の高さは、内モンゴルと日本のつながりの深さを表していると私は思っています。

しかし、日本が内モンゴルに関与した歴史の重みに比して、今日、多くのことが忘却されており、それがモンゴル人からすれば非常に淋しいことであります。だから、私はあえてこのテーマを選びました。その研究が評価されたことを大変うれしく思っております。拙著は日本、ソ連、中国といった大国に翻弄され、その狭間で生きるモンゴル逸史でもありますが、三者の中で主導権を握っていたのは間違いなく日本であり、日本の直接または間接的な関わりによって生まれた逸史こそが日本近代史の一側面であると私たちは認識しています。だから、一人でも多くの日本人にこの史実を知ってほしいと心から願っています。

私は今回の受賞を励みにより一層邁進する所存です。今後とも応援よろしくお願いいたします。


略歴

1974年、内モンゴル自治区シリンゴル草原生まれ。モンゴルの伝統的な放牧文化の中で幼少期を過ごす。1995年、四年制教員養成専門学校であるシリンゴル盟蒙古師範学校を卒業、教員として働く。2011年、関西学院大学教育学研究科博士課程後期課程修了。教育学博士。関西学院大学教育学部非常勤講師などを経て現在はフリーランスライター、翻訳・通訳、馬頭琴奏者として日本各地で活動する傍ら関西地域を中心に外部講師として国際理解や多文化共生、外国籍児童生徒の問題や母語教育に携わっている。

専門分野は教育学であるが、比較文化的教育論を基盤に文化人類学、民族音楽や音楽療法、モンゴル近代史など教育者に不可欠な広い分野の知識を求め、そのテーマに挑戦している。

2005年に最も優秀な学業成績を修めた者として関西学院同窓会賞を受賞。2013年に論文「『スーホの白い馬』は本当にモンゴルの民話なのか」(『日本とモンゴル』第126号、2013年)で日本モンゴル協会・第六回村上正二賞を受賞。2017年に著書「『スーホの白い馬』の真実―モンゴル・中国・日本それぞれの姿」(風響社、2016)で第四十一回日本児童文学学会奨励賞を受賞。その他著書や論文多数。