第三回「国基研 日本研究賞」
受賞作品
選考の経緯
第三回「国基研 日本研究賞」
楊 海英(大野旭)静岡大学教授
「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」(中央公論新社、2015年)
「チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史」(文藝春秋、2014年)
1964年、内モンゴルで生まれ、現在は日本国籍の楊海英氏は、国際社会の力学に翻弄され続ける南モンゴル人の目で中国と日本を描いた。祖国の南北分断を、米英ソによるヤルタ協定によって決定的にされたモンゴル人、とりわけ南モンゴル人は、その後に続く中国支配に対する民族自決の熾烈な闘争の真っ只中に、21世紀のいまもある。
ヤルタ協定の源に満州国を創った日本が存存することを氏は指摘する。同時に戦後の価値観に基づく日本否定を否定し、満州国における日本の統治と教育、とりわけ騎兵の育成に、武を尊び知を崇める日本人の文武両道の精神とその実践を見てとり、遊牧の民のモンゴル人の価値観と重ね合わせて評価する。モンゴルの興安軍官学校と騎兵たちに思いを馳せつつ、モンゴル人が中国共産党によって主導権を奪われ、チベット戦に利用された歴史を深い哀しみの内に実証的に描いた。
氏の研究の秀逸さは徹底した現地調査と膨大な量の第一次資料の収集にある。受賞作に登場する人物の軌跡は史実に沿って忠実に描かれている。そこには現在も続く事象に密接に関係する中国共産党支配の構造が見てとれる。
氏は本書にもつながる主題として文革当時の状況を長年研究してきた。それらは「モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料」としてすでに8巻、9000頁に上る大部の研究書として発刊済みだ。文革中に起きたモンゴル人ジェノサイドを中国が向き合うべき未解決の人道上の犯罪であるとする氏の研究を単なる中国批判ととるのは皮相にすぎる。
中国は現在、なぜ国際社会の秩序と価値観を根底から揺るがしつつあるのか。その国柄を理解して、初めて国際社会は中国に対応できるが、その意味で氏の研究は貴重な手掛かりである。
モンゴル人の視点に基づく日中両国の民族性及び国柄の比較は日本人自身に改めて日中両国の文明の隔たりを知らしめる。優れた日中文明論でもある楊氏の作品は日本に対する切な要望でもあろう。
モンゴルをはじめ、かつて日本が支配下に置いた民族や国では、実は大東亜戦争の傷は癒えておらず、それらの国々の現状を放置せず、真の回復のために日本が積極的に関与していくことが求められている。特にモンゴルでは日本への期待が強いことを認識してほしい、と楊氏は語っているのではないか。
講評 選考委員 櫻井よしこ
国家基本問題研究所理事長
第三回「国基研 日本研究奨励賞」
陳 柔縉 コラムニスト・元聯合報(日刊紙)政治部記者
「日本統治時代の台湾」(PHP研究所、2014年)
台湾とのおつき合いはかれこれ40年ほどになる。最初に台北市内をほっつき歩いて感じたのは、戦前にあった日本がここにあるとの実感だった。店、街路樹、薄暗い電燈、人々の仕草など私が小学校時代に経験した現実が存在し、日本が変貌を遂げてしまったのだ。
以来台湾の知人、友人から教えてもらったのは後藤新平、新渡戸稲造、八田與一らの秀れた日本人がいかに台湾のためにつくしたかの美談が多かった。実際に台湾の専門家が書いた後藤など日本人の優れた伝記類は少くない。
陳柔縉さんの「日本統治時代の台湾」は視点ががらりと異なる。戦後生れの陳さんは、「台湾が日本だった時代、祖父母の世代は、どんな暮らしをし、どんな感情を抱いていたのか」の角度から戦前の一般的日本人を観た。だから後藤新平論とは味が違う。取材したものを柔軟な表現で書くコラムニストなのだ。影響力は大きい。
いまから10年以上前に私は司馬遼太郎の顰に倣って列車で東海岸沿いに旅行をした。陳さんが紹介している「板橋」という駅があり、昼めしどきには駅名は忘れたが著書に登場する「駅弁」を買って食べたことがある。日本通で台北駐日経済文化代表処広報部長だったころお世話になった張超英の名も出てくる。占領軍を相手にした日本人売春婦の話も紹介されている。日本人として触れてもらいたくない問題だが、新しい世代のコラムニストには余計な遠慮もない。魅力の一つだろう。
講評 選考委員 田久保忠衛
国基研副理事長・杏林大学名誉教授
第三回「国基研 日本研究奨励賞」
ロバート・D・エルドリッヂ 元在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長
「The Origins of U.S. Policy in the East China Sea Islands Dispute: Okinawa's Reversion and the Senkaku Islands」(Routledge、2013年)
「尖閣問題の起源 沖縄返還とアメリカの中立政策」(名古屋大学出版会、2015年)
尖閣諸島は、明治28年(1895年)、沖縄県に編入され、第二次世界大戦の敗戦後、沖縄の一部として、米軍の施政下におかれた。ところが、昭和45年(1970年)ころ、尖閣付近に石油などの資源の可能性が分かると、台湾や中国本土の政権から領有権の主張がなされて、現在に至っている。
本書は、尖閣問題の歴史からはじめて、アメリカの統治下、さらに昭和47年(1972年)の日本への返還後に至るまで、アメリカ政府が尖閣問題をどう扱ったかに焦点を当てた学術書である。公刊された文献はもとよりアメリカの外交文書を渉猟してこれ以上ないと思われるほど詳細に事実が語られる。70頁以上の脚注がその事実の正確性を担保している。
アメリカは、日本が琉球諸島について潜在主権を有し、尖閣は琉球諸島に属すると言う考えを持っていたにもかかわらず、沖縄返還の際に、尖閣諸島について施政権は行使し、それを日本に返還したが、領有権についてはそれを主張する国(日本、台湾、中国)の間で解決するべきだとする「中立政策」をとった。著者は、結論として、アメリカが沖縄返還の際に、日本の立場を指示しなかったから現在の混乱を招いたという。
本書は英語で出版されたものの訳本であるが、このようなものが英語で出版されたということは我が国にとって非常に役立つものである。
講評 選考委員 髙池勝彦
国基研副理事長・弁護士
選考委員
委員長 | 櫻井よしこ 国家基本問題研究所理事長 |
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副委員長 | 田久保忠衛 同副理事長・杏林大学名誉教授 |
伊藤隆 東京大学名誉教授 平川祐弘 東京大学名誉教授 渡辺利夫 拓殖大学学事顧問 髙池勝彦 国基研副理事長・弁護士 |
推薦委員
推薦委員 |
ジョージ・アキタ ジェームズ・アワー ブラーマ・チェラニー ケビン・ドーク ワシーリー・モロジャコフ ブランドン・パーマー 許世楷 ヘンリー・ストークス アーサー・ウォルドロン エドワード・マークス デイヴィッド・ハンロン |
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