脱北者の李日奎(リ・イルギュ)元キューバ駐在北朝鮮大使館参事官は、7月3日、国家基本問題研究所企画委員会にて、旧知の西岡力・企画委員の通訳のもと、北朝鮮の対日外交の内情について報告し、その後櫻井理事長をはじめ企画委員らと意見交換を行った。

【概要】
・北朝鮮外務省はラジオを聞いて日本を分析
2023年に韓国に亡命するまで、北朝鮮外務省で勤務してきたが、その中で2003年からラジオ課という部署で、日本のラジオ放送を聞き分析をする機会があった。北朝鮮は外交関係のない日本との連絡手段が少ないことから、ラジオ放送が重要な情報収集手段であった。
北朝鮮と日本の関係は特別である。敵対関係にあるということから、外務省が担当ではなく、特殊機関である対外工作機関の統一選戦部が金丸訪朝以来担当してきたが、小泉訪朝の時点ではやはり特殊機関である国家保衛省が担当した。
他の特別な関係は、例えば中国だが、外務省ではなく労働党国際部が担当する。また韓国は、かつて統一戦線部が担当し、現在は党10局に改称し外務省に移管されたが、省内でも特別扱いされている。
長期間、日本は外務省の扱いでなかったが、90年代末に拉致問題が公になり、対日外交が表舞台に登場すると、外務省アジア局の中に日本課ができた。それからは外務省で核、人権、拉致問題を扱うようになった。
ラジオ課勤務時代には、VOA(ボイス・オブ・アメリカ)を聞いて核問題を、NHK短波放送を聞いて拉致問題を分析した。ラジオは北朝鮮の一般市民が聞くことを禁止されており、外務省でも他の職員と隔離された最上階にラジオ課があったほどである。日本課も特殊な部門としてアジア局ではなく、ラジオ課の隣に配置されていたが、日本課の職員であってもラジオを直接聞くことはできなかった。
日本に関係する情報は、ラジオ課から局長にあげて、それを日本課に伝えるという流れである。ラジオ課勤務当時は、日朝国交正常化と拉致問題を中心に情報を収集していたが、日本側の情報収集能力には驚くことが多かった。他方、北朝鮮の日本課の職員は情報が極端に少ない中で検討せざるをえず、担当者はラジオ課から直接情報を聞きたがったほどである。
・北朝鮮は拉致問題を利用する
金日成時代は、社会主義圏と非同盟国との外交に力を入れ、韓国より多くの国家承認を得ていたほど、国威高揚の時代といえる。しかし1994年に核開発問題を契機にIAEA(国際原子力機関)を脱退し、2003年にNPT(核兵器不拡散条約)を脱退して以降、苦難の道を歩むようになった。アメリカ、韓国からの軍事侵攻の可能性や、経済危機と相まって、体制の危機さえ感じるようになった。
そのような中、金正恩総書記は外交方針の転換を指示した。これまで隠されてきた経済事情を表に出し、外国から人道的な支援を得るという作戦に出たのである。同時に対日関係の改善も重要な案件に浮上した。対米、対韓の防波堤として日本が利用できるのと同時に、経済支援をえることができる相手だからである。拉致問題さえ解決できれば経済支援を得られると考えている。
ただし、拉致問題の解決に外務省は残念ながら無力である。水面下の交渉などの情報にも接することはない。一方、外務省は日本との関係改善を望む理由がある。北朝鮮外交官の目標は海外派遣で、自分も専門の中南米に派遣されることが最大の目標であった。しかし日本は敵対国なので担当者が日本に派遣されることはない。日本担当者にとって関係改善は、自分の将来にかかわることである。
北朝鮮が経済支援を日本に求める理由は、他国の事情にもよる。米国は実質的利害関係がないから期待できない。韓国は発展したとはいえ、総合力でまだ余裕がない。ロシアは戦争で疲弊しており、実力不足である。中国とはこれ以上の関係を望まない。もちろん日本との関係改善は経済回復という効果だけでなく、政治的にも重要な意味を持つ。日米韓の連携が強化されると北朝鮮にとって戦略的に不利となるため、日本を味方にして西側の連携を崩すことは、政策課題の一つとも言える。
・すべては最高指導者の意思次第
2002年9月の日朝首脳会談で金正日国防委員長(当時)は拉致問題を解決して、関係改善を求めた。そのため、同年10月に拉致被害者5名の日本帰国が実現したが、残りの被害者の帰国はいまだ実現できていない。その後も、日本政府から拉致問題を解決するために首脳会談開催の働きかけは続いた。膠着状態を打開すべく2019年に安倍総理が前提条件なしで話し合うと表明し、その情報は金正恩総書記にも伝えられたが、事態打開には至っていない。
いまも北朝鮮では日本への関心は高い。だが、すぐに改善できるだけの客観的条件は少ない。日本独自の対北朝鮮経済制裁や、日中間の対立も障害になっている。金正恩総書記は内心、関係を改善して経済支援を受けたいと思っているはずだ。重要なことは双方の意思である。日本の当局には、トップの意思がすべてを決めるということを前提に、対北朝鮮外交の進展を望む。
【略歴】
1972年、北朝鮮平壌市生まれ。平壌外国語大学卒業、1999年北朝鮮外務省入省。2008年朝鮮労働党入党。2016年2月外務省1局(政策総合局)課長、同年12月中南米担当のアラ局(アフリカ、アラブ、ラテンアメリカ)副局長、17年党細胞秘書を歴任。2019年3月、駐キューバ北朝鮮大使館の政治参事官兼細胞秘書に任命され、23年11月に脱北するまで4年8か月間勤務した。北朝鮮船舶「清川江号」が13年7月パナマで拘留された事件では法廷闘争で勝利し、清川江号の船員、貨物の全てを救出。この功績で「金正恩表彰状」を授与された。現在、韓国の国家保安戦略研究院責任研究員。著書に、『私が見た金正恩-北朝鮮亡命外交官の手記』(産経新聞出版、2025年)がある。(文責 国基研)




