日本研究奨励賞受賞記念特別寄稿
「トシヲ・ナカヤマ ミクロネシアと日本」 清本修身 訳
デイヴィッド・ハンロン
ハワイ大学マノア校歴史学部教授
「Making Micronesia: A political biography of Tosiwo Nakayama」(邦訳なし)
地理的に海洋ミクロネシアとされる地域の中で、私が関心を持つのはチューク、コスラエ、ポンペイ、ヤップの四州の島々で構成される国家ミクロネシア連邦(FSM:Federated States of Micronesia)である。FSMは第二次大戦後のアメリカの太平洋諸島信託統治領から生まれた四つの政体のうちの一つである。私はチューク諸島(旧称トラック諸島)出身で、FMSの初代大統領となり、同連邦自治政府の誕生に最も重要な責任を果たした個人である日系人トシヲ・ナカヤマの生涯を通して、この地域の歴史的営為から今日の発展に至る経緯の研究に貢献できることを目指している。
すべての歴史をひとつの言葉で表現する手法によれば、彼の人生物語は、ミクロネシア物語同様、一九四四年以来、カロリン諸島やマリアナ諸島、マーシャル諸島にあった“アメリカ化”という現象におおむね包まれたままになっている。私はそれがこれらの諸島の歴史へのアプローチとして今日ではいくつかの理由から問題があると議論してきたが、「ミクロネシア」や「ミクロネシア人」という言葉も同じように問題がある。ナカヤマが日本の統治期のミクロネシアで育ち、米国統治期に著名な政治家として登場した事実は、比較植民地主義に興味のある誰にとっても、格好の研究対象になる。広い海洋を超えた彼の人生の足跡の特徴もまた、この広大な島嶼世界の中での日本の立場を再検討するよう誘っている。
ナカヤマが若くしてチューク州で著名な政治家になったことは、彼の出生地の同州北西部のナモヌイト環礁島と、州の中心礁湖地帯との物理的、政治的、文化的距離からすると、注目すべき物語となりうる。彼の人生の中心にあるのは植民地主義、脱植民地化、そして新国家建設との関与である。彼がこうした問題と遭遇したことは、太平洋の島国の二十世紀の歴史の中の最も複雑で重要な諸課題のいくつかと正面から対峙し、その真っただ中にいたと位置づけられる。さらに彼の経歴は移住や国家間の越境、島嶼世界の実際の規模といった問題の再検討へと導く。政治的に統合したミクロネシアを作り上げる彼の努力にもかかわらず、彼の人生物語によって、政治的境界や文化人類学的な範疇、歴史的仮定に挑戦するような海洋世界の再考察が必要になってくる。... < 続きを読む >