公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研ろんだん

2017.02.07 (火) 印刷する

富坂氏の反論に再度反論する 西岡力(東京基督教大学教授)

 本研究所企画委員を私とともに務めている富坂聰(拓殖大学教授)氏が、2月1日付本欄に「慰安婦像撤去を最終目的にするな‐西岡氏への反論」を寄稿し、私の批判(1月24日付「大使召還は効果あり。富坂氏への反論に代えて」)に回答くださった。言論による論争は問題の本質に迫る重要な手段だと常に考えている私としてはとてもうれしいことだった。そこで回答に対して再反論して論争を続けたい。
 富坂氏の挙げた論点にそって再反論する。第1に、「日本外交があまりに対症療法に陥っていることを問題視しました。日本外交は最終目的地(つまり最終的に何が国益か)を定めないまま、日々持ち上がる問題に受け身で対応してばかりいるために一貫性を欠き、戦略面でも乏しいと指摘したものです。ところが西岡氏の文章には、この点への言及が見当たりません」としている点である。

 ●国家国民の名誉という「国益」
 私は1月24日付の拙論で「歴史認識問題」の4つの拡大過程の1つとして「外務省がその不当な要求に対して事実に踏み込んだ反論をせず、まず謝罪して道義的責任を認め、人道支援の名目で、すでに条約・協定で解決済みである補償を再び中途半端な形で実施」したことを挙げた。政府が守るべき「国益」には先人を含む国民と国家の名誉が含まれると私は考えている。ところが、外務省は1982年の教科書問題以来、対処療法に陥って安易に謝罪し国益を損なってきたことを私は繰り返し批判し続けてきた。だから、その限りにおいては富坂氏の意見に反論する必要を覚えなかったということだ。
 しかし、富坂氏は、中国は朝鮮半島の永久分断を国家目標にしているが日本の目標は不明確だと論じる。その点は富坂氏が企画委員に就任する前ではあるが、本研究所は2009年9月、「韓国による自由統一推進を戦略目標とし中国の半島支配を防げ」という政策提言を出している。そこでは以下のように論じている。
 「日本にとって望ましいのは、朝鮮半島における自由民主主義体制の拡大であり、異常な反日政策の払拭である。それが、半島の人々の自由意思に基づき、平和的かつ速やかに実現されるのが理想と言える。
 問題は、中国共産党だ。中共は、自らの全体主義的統制システムを維持するため、自由の拡大を阻止すべく、対内的にも対外的にも積極的に動いてきた。」
 安倍晋三首相も2013年3月発売の韓国誌『月刊朝鮮』で韓国人ジャーナリスト趙甲済氏のインタビューに答え、「朝鮮半島が平和的に統一をされて、民主的で自由な、そして資本主義で法の支配を尊ぶ、そういう統一国家ができることがふさわしいと、考えている。北朝鮮の人権が著しく侵害されているという状況に、胸が痛む」と自由統一支持を明言している。
 つまり、国家目標は明確なのだ。しかし、それはあくまでも日本にとって最善の最終シナリオで、当面の第1の目標として、わが国の主権守護と同盟国そして友好国、周辺地域の安全を目指すことが設定されるのは当然だ。

 ●日韓合意を破ったのはどちらか
 わが国の安保政策の中心に位置する日米安保条約では第6条で、わが国が攻撃されなくても「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」との表現で、韓国が攻撃されたときもわが国内の米軍基地の使用を認めるとしている。それは韓国が赤化されることはわが国の安全保障、すなわち主権守護に甚大な悪影響をもたらすので、北朝鮮からの攻撃を受けるリスクがあるが、それにもかかわらず在日米軍基地の使用を認めるというわが国の戦略的判断があるからだ。その意味でも日本の朝鮮半島政策の目標は明確だ。
 そして、国家目標である主権守護の中には国の名誉を守ることが含まれると私は考える。その意味で、国の名誉を守るために今回安倍政権がとった措置は、これまで外務省が歴史認識問題で対処療法的な措置しか取らず、問題を悪化させてきたことと比べれば大変望ましいものといえる。
 私が富坂氏の議論が宮家邦彦氏らの流れに乗るものだと書いたのは、わが国の名誉を守るという目標を他の問題との関係で譲ってもよいと考えている点だ。富坂氏は「そもそも私の主張は、慰安婦像を撤去させることを外交の目的としてはいけないということです」と書いているが、まさにその点が、歴史問題では譲歩しても安全保障などで国益を計れれば良いと考えている宮家氏と同じ流れにあると私は見ている。
 富坂氏は「極左勢力が日本への憎悪をたきつけることで自らの存在意義を高めようとしているときに日本が慰安婦問題で強引なことをすれば、かえって相手に利用される結果になりかねない」と書いている。まず、今回の措置を「強引なこと」と見ることに驚きを感じる。日韓合意を破ったのは韓国政府である。
 前回拙論で書いたとおり韓国政府は慰安婦像撤去に向けて、「関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力する」と約束しながら、いまだに慰安婦像を設置した左派団体と協議すら行っていない。これは明確な約束違反だ。それに抗議する措置を取り、約束履行を求めることは「強引」ではなく「理性的対応」だ。
 その上で、富坂氏が日本の措置が極左勢力を利するとしている点について反論する。1月24日付で書いたように、日本の措置を受け、韓国の保守陣営の中では慰安婦像設置を批判する意見が出てきた。釜山総領事館前では慰安婦像撤去を求める良識派の1人デモも見られた。極左勢力の力を削ぐためには、韓国の多数の世論が保守勢力を支持して孤立させるしかない。そのための第1段階は、極左勢力が非難する日韓合意の正当性を日本が堂々と主張し、それを履行しない韓国に対して節度ある抗議措置を行うことだ。

 ●富坂氏の日中関係特殊論の間違い
 最後に、富坂氏が日中関係の特殊性を強調している点について反論する。富坂氏はこう書いた。「西岡氏は、『互いに国家主権を尊重し合い、内政不干渉の原則を守る。それが近代国家だ』と書いていますが、それは少なくとも日中関係においてはもう少し複雑です」。その論拠として日中共同声明(1972年9月)で日本が戦争で損害を与えたことについて日本が「責任を痛感し、深く反省する」としたことだと主張し、「日中間にある歴史問題は、どちらの歴史が正しいかという争点ではなく『日中共同声明』で約束した態度と違うという点が常に問題視されてきた」と論じている。
 まず、日韓合意で韓国の約束違反を問題にしない富坂氏が、日中間の歴史問題では日本人全員が共同声明での約束に拘束されると主張することに驚いた。日中共同声明は条約と違って国会の批准を受けたものではない。時の政府が行った外交行為だ。それは国民の歴史認識や言論を縛るものではない。共同声明は日中平和友好条約を結ぶ前に出された。過去を清算するのはあくまでも条約であり、条約では内政不干渉を定めている。
 現在の両国関係は内政不干渉を定めた条約に規定されているのであって、それ以前に出された共同声明の「責任を痛感し、深く反省する」ことは内政不干渉の原則の例外にはなり得ないはずだ。言い換えると、共同声明における反省表明は、純然たる内政問題である教科書記述や戦死者の慰霊方法について中国の干渉を容認するものではないということだ。その理解が富坂氏と私で大きく異なっている。
 私が北京で中国学者らと非公開で討論をしたときのことだ。彼らの一人が「日中戦争で日本軍の軍犬にかまれた傷が今も痛い」といって謝罪を求めてきたとき、「私の叔父は日本軍人として出征し中国軍に殺されたが、それは戦争行為だったから謝罪を求めない、近代国家は戦争の清算は平和条約で行ない、それを結んだ後は外交に歴史認識を持ち出さないものだ」と反論した。そのとき相手との関係で一定の緊張が起きたが、外国との付き合いはそういうものではないか。