2016年6月15日付産経新聞に、
第3回「国基研 日本研究賞」の
記事が掲載されました。
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日本研究賞
楊 海英(大野旭)静岡大学教授
「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」
(中央公論新社、2015年)
「チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史」
(文藝春秋、2014年)
受賞のことば 「太陽の国」からの近代文明とモンゴル
ナラン・ウルス(Naran Ulus)というモンゴル語がある。直訳すれば、「太陽の国」との意であるが、モンゴル人はこのように日本を呼ぶ。「太陽の国」たる近代日本にモンゴル人が出会ったのは、19世紀末のことである。以来、無数のモンゴル人と日本人がアジアの近代化、いやユーラシアの近代化の為に戦ってきた。
モンゴル人は遊牧民で、独自の遊牧文明を紀元前の匈奴の時代から創出してきた、と私の恩師である国立民族学博物館の館長だった故梅棹忠夫と松原正毅教授らが研究してきた。日本文明と西洋文明は性質上同じであるがゆえに、近代化に成功した、と梅棹先生は唱えた。
私は先生の主張に則して、近代日本の歩んだ路は成功しただけでなく、アジアのみならず、世界に通用する優れた文明であると認識している。
南モンゴルのオルドス(Ordos)高原に生まれた私は、子どもの頃から「太陽の国」に憧れていた。モンゴル軍の騎馬兵だった父親やその仲間たちはいつも、「日本人のように正直に、公平に、規律正しく生きなければならない」と私を諭していた。
父は日本語こそ出来なかったが、それでも満洲国の興安軍官学校で教育を受けた上官に習い、日本語で数字くらいは教えられるようになっていた。
私が高校に入り、日本の影響下にあったモンゴル自治邦(蒙疆、Mengjiang)の役人だった人から日本語を学ぶようになった時の家族の喜びは今でも忘れられない。その後、私は北京にある大学に進み、外国語学部で本格的に日本語を専攻するようになると、南モンゴル各地に住み、日本時代を経験していた親戚や知人たちはみな、日本語で私と話すようになった。モンゴル人にとって、日本語は近代化を象徴する洗練された文明の言葉である。
日本は南モンゴル各地に学校を創設して教育制度を普及させ、先進的な医学の知識と衛生観を広げた。その結果、1945年夏になると、草原の遊牧民は完全に近代的な民族(nation)に変身していた。それだけではなく、五個の日本式の騎馬兵師団をそのままモンゴル人に残していた。いわば、満洲国とモンゴル自治邦という二つの近代国家と諸制度を近代化したモンゴル民族(nation)に引き渡してから、日本人は撤退したのである。
しかし、モンゴル人は「太陽の国」から学んだ近代文明の財産を充分に継承できなかった。「ヤルタ協定」の密約によって、南モンゴルが中国に売り渡されたからである。
それでも、民族自決の機会を奪われたモンゴル人たちがいかに日本的精神と思想を堅く守りながら力強く生きてきたかを私は著書『チベットに舞う日本刀―モンゴル騎兵の現代史』と『日本陸軍とモンゴル―興安軍官学校の知られざる戦い』の中で描いている。日本人とモンゴル人たちの生き方に、日本近代文明の精粋が宿っている、と私たちモンゴル人は信じている。
略歴
1964年、南モンゴルのオルドス高原に生まれる。北京第二外国語学院大学アジア・アフリカ語学部日本語学科卒業。同大学助手を経て、1989年春に来日。総合研究大学院大学博士課程修了。現在、静岡大学人文社会科学部教授。博士(文学)。専攻は文化人類学。長く中国内モンゴル自治区と新疆ウイグル自治区、カザフスタン共和国とロシア連邦、それにモンゴル国の遊牧社会で現地調査。著書に「墓標なき草原―内モンゴルの文化大革命・虐殺の記録」(岩波書店、2009年)「中国とモンゴルのはざまで―ウラーンフーの実らなかった民族自決の夢」(岩波書店、2013年)、「ジェノサイドと文化大革命」(勉誠出版、2014年)、「モンゴルとイスラーム的中国」(文藝春秋、2014年)など。モンゴル名オーノス・チョクトを訳した日本名が大野旭(おおの あきら)。
日本研究奨励賞
陳 柔縉(コラムニスト・元聯合報(日刊紙)政治部記者)
「日本統治時代の台湾」
(PHP研究所、2014年)
受賞のことば
若いころ、ふたつの目標がありました。ひとつは政府の役人になること、そしてもうひとつは(夢といってもいいですが)、書家になること。ところが、大学は法学部で学び、社会に出てからは新聞社の政治部で政治ニュースを追いかけました。ずっとあさっての方向で右往左往して、ついに、「日本統治時代」と出会いました。このとき、自分でも異常なほどこのテーマにこだわっていることに気づきました。
そしてこれまで七冊の本を書きました。その原動力はきっと、台湾の近代に大きな影響を与えたはずの日本統治時代が、その後政治的な理由で隠蔽され、歪曲されていたからでしょう。そんな不遇に、私は大きな闘志を燃やしました。
私は「一般人」の角度から日本統治時代を観察しました。そうすることで、日本人と台湾人がともに過ごした50年のくらしがどういうものか理解し、また感じることができると考えたのです。
「日本」との縁はそれだけでは終わりませんでした。日本統治時代に関する七冊以外に、日本との関係が非常に深い二人の回想録を聞き書きしました。一人は台北駐日経済文化代表処の広報部長だった張超英さん(2007年逝去)、もう一人は台北駐日経済文化代表処の代表を務めた羅福全さんです。
お二人から賜った交情と信頼に心より感謝いたします。また至らぬ研究に大きな励ましを下さった貴研究所にも感謝を申し上げます。今後も真摯に、また好奇心を忘れず日本を見つめ、新しい縁と出会えることを期待しています。
略歴
1964年、台湾・雲林生まれ。台湾大学法学部卒業。聯合報(日刊紙)政治部記者、新新聞(週刊誌)記者を経て、現在コラムニスト。日本統治時代台湾を今に伝える第一人者。オーラルヒストリーの好手でもある。
単著に「總統的親戚(大統領の親戚)」(1999年)、「台灣西方文明初體驗(台湾西洋文明事始め)」(2005年。聯合報「読書人」年間最優秀賞、金鼎奨(政府出版賞)受賞)、「囍事台灣(台湾ウェディング)」(2007年)、「人人身上都是一個時代(日本統治時代の台湾 写真とエピソードで綴る1895~1945)」(2009年。金鼎奨受賞。邦訳・PHP研究所)、「舊日時光(古きよき時代)」(2012年)、「廣告表示(広告はこうだった)」(2015年)など多数。
聞き書きに「宮前町九十番地(国際広報官張超英――台北・宮前町九十番地を出て)」(2006年、中国時報「十大好書」入選。邦訳・まどか出版)、「栄町少年走天下(台湾と日本のはざまを生きて 世界人、羅福全の回想)」(2013年。邦訳・藤原書店)。
日本研究奨励賞
ロバート・D・エルドリッヂ
元在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長
「The Origins of U.S. Policy in the East China Sea Islands Dispute: Okinawa's Reversion and the Senkaku Islands」
(Routledge、2013年)
「尖閣問題の起源 沖縄返還とアメリカの中立政策」
(名古屋大学出版会、2015年)
受賞のことば
私は、2016年度「国基研 日本研究奨励賞」の受賞者の一人に選ばれて、大変光栄に思います。国家基本問題研究所の選考委員会の方々に厚く御礼を申し上げたい。
2014年に母国語の英語で出版し、昨年名古屋大学出版会より日本語版の『尖閣問題の起源』として刊行された私の受賞作は、元々書く予定はなかった本であり、執筆に当たっていろいろ苦労しました。尖閣問題は、最初、日中(台)の領土問題として見なしていたが、沖縄返還の本を書く準備の過程で、一次資料を見れば見るほど、実は沖縄返還の際、米国も尖閣の処理に深く関係したことがわかりました。
当時、米国政府が採った立場の曖昧さや尖閣防衛へのコミットメントをめぐる日本の不安は、現在の地域の緊張を招くかなりの理由となった。尖閣問題をめぐる歴史をより正確に理解するために書いた拙著は、本来意図したことではなかったが、日本の尖閣諸島に対する領有権を明確にしています。本書を通じて、アメリカ政府が日本の領有権を認め、日本領土の保全に対する日米の安全保障の連携の強化によって、直ちにそして直接にこの地域の平和に貢献することを期待しています。
名古屋大学出版会の三木信吾をはじめ、翻訳に協力してくれた吉田真吾及び中島琢磨の両先生に感謝の意を表したい。また、いつも研究か執筆をしている私を暖かく見守ってくれている妻と子供たち、この困難な一年間で私たちを支援してきた数多くの友人・知人や家族の皆さんに心より感謝を述べたい。
略歴
昭和43年1月23日、米国ニュージャージー州生。パリ留学等を経て平成2年5月リンチバーグ大学卒(国際関係論)。同7月、来日。平成11年、神戸大学大学院法学研究科博士課程後期課程終了。政治学博士。サントリー文化財団、平和安全保障研究所等の研究員を経て平成13年大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授。平成16年~17年、在外研究先としてハワイにある海兵隊太平洋軍政治顧問。平成21年9月、沖縄県にある在日海兵隊基地司令部政務外交部次長就任。平成27年5月退任。現在、エルドリッヂ研究所・代表、日本戦略研究フォーラム・上席研究員、アジア太平洋研究所・主任研究員、世界平和研究所・客員研究員、法政大学沖縄文化研究所・国内研究員、沖縄国際大学法政研究所・特別研究員、大島っ子夢と将来基金・代表、将来基金日本・代表、日本アジア協会・理事、太平洋戦争記念協会・理事などを務める。
専門分野は、日本政治外交史、日米関係論、戦後沖縄史、安全保障、外交、防災・減災政策、危機管理、人道支援・災害活動など。
著書に、「沖縄問題の起源」(名古屋大学出版会、2003年)、「オキナワ論」(新潮新書、2016年)、「だれが沖縄を殺すのか」(PHP研究所、2016年)、「次の大震災に備えるために」(近代消防社、2016年)、「大島と海兵隊の物語」(集英社、近刊予定)など多数。現在、「大学改革と日本の再生」、「沖縄返還への道」および「尖閣問題の今」の執筆に取り組んでいる。
主な受賞は、第5回読売論壇新人賞最優秀作(1999年、「サンフランシスコ講和条約と沖縄の処理」)、第15回アジア・太平洋賞特別賞(2003年、「沖縄問題の起源」)、第25回サントリー学芸賞・思想歴史部門(2003年、「沖縄問題の起源」)、第8回中曽根康弘賞最優秀賞(2012年、実務・研究両方における日米関係への貢献を対象)、第8回「真の近現代史観」懸賞論文佳作(2015年、「沖縄のメディアと日本の危機」)、第32回大平正芳記念賞(2016年、「尖閣問題の起源」)。